明鏡   

鏡のごとく

詩のボクシング岐阜大会

2015-09-13 16:14:56 | 詩小説
詩のボクシング岐阜大会にはるばる行ってきました。

みなさんの詩を思う存分堪能してきました。

生の詩は、その声と人となりのたましいのようなものだなあとつくづく思いました。

それぞれのふだんはかたられないたましいが音になってやってくるのであります。


もっと自作を朗読したかったけれど、又の機会に。

読んだ後、わざわざ感想を言いに来てくださったかたがいて、「しということ」について色々話しました。

ありがとうございました。

思いがかえってくることに感謝です。

それにしても、若い力がみなぎるのはいいことだと思いました。

年寄り衆も?じゅくれんしていかなあいけんばい。

帰りにみおさんとマキちゃんと一緒に、さかな市場?にいって、みおさんのねこのはるだんじがうちにやってくるまでのはなしや、マキちゃんちの彦にゃんの口やみみだけどあっぷ写真をみせてもらい、猫談義に花がさいていたのですが、みおさんの五十音の詩を生で聞けてきたかいがあったなあと思いました。

詩のボクシングを始めた時の衝撃を話してくださいました。

普通の人が詩を読んでいるあそこに行くんだという思いが電撃的にやってきたということを話していたのですが、私も、おなじことを思っていたので、同志がここにもいたなあと本当にうれしかったのです。


それにしても、十個詩を用意していたみおさん、すごいなあ。

わたしはまだまだ読みたいのがごこくらいだったので、自分でもこれは読みたいという詩を生み続けたいものです。

o・ヘンリーのニューヨーク短編集を読みながら帰ってきました。

久しぶりに読み返して、ニューヨークの詩を読みたかったなあと、つくづく思いました。

o・ヘンリーは詩人にはなるなと百年前に忠告してはいますが、もう、それしかない自分ではあります。

また百年前のニューヨークをしのびに行きたいものですが、今度は自作の詩を読みにも、百年後の物語の続きも書きにも行きたいものです。

くすのきさんによると、これからアメリカやドイツの詩人との交流も活発になっていくようなので、もっと多くの世界に広がっていくことを望みます。

私も世界とつながっていきたいものです。



キックスターターではありませんが、創作活動資金として、どなたでも構いませんので、ご寄付の程、よろしくお願いいたします。



あと、10月にはまた選抜詩のボクシング、面白くなりそうです。

てんまさんとささりんさんのたいとるまっちもあるようで、詩界隈も、だいぶ熱をためこんでいまする。
(うちのかわいいめいっこが知らないところでお祭り(ふぇす)でお世話になっていたらしいてんまさんなのですが)
にしても、まだまだ、修行は続く。

多分、しぬまで続くのだろう。