明鏡   

鏡のごとく

『子豚とサイクリング』

2015-11-09 11:58:05 | 小説
子豚を自転車の前籠に乗せて、サイクリングしている、一人の男Hがいた。

雨の中、九州から東京まで自転車で行くのが、男Hの最上級の目的であった。

知人Kが死んだのは、一昨日のこと。

引っ越しのあと、あっけなく、炬燵の中でなくなっていたという。

知人Kは、翻訳をしていた。

韓国の演劇の翻訳をして、日本で上演させることが、知人Kの仕事であった。

大學に入るとき、第二外国語を、韓国語で受けられる人もいると聞いたことがあるが、そういう人たちは、第二外国語というよりも、母国語であるわけで、自ずと日本人よりも、難関に合格しやすい。と彼はいった。

弁護士や、大學の教授にも優遇されて使われるのは、戦後日本の最たるものだ。と知人Kはいった。

知人Kは、どこで韓国語を覚えたのか、言わなかった。

もともと知っているようでもあった。

ふとしたことから、韓国語が出てくる。

ツイッターなどでも、つぶやいている。

知っていて当たり前のように使うのをみて、男Hは己と違う二重の世界を生きている、翻訳のいる世界にいるものの、二重使いの世界においては、言葉を使う場合、その言葉を伝達する対象が限定されると共に、そこにしか知らせたくない心情のようなものを吐露しているのを感じた。

それは日常の中で培われたものであって、むりやり覚えていかなければならないものではなかった。

母国語というものは、人を使うのか、人に使われるのか。


彼らは、使い分けているようであった。

外国に向けて発するときは、日本語で。

同胞に向けて発信するときは、母国語で。

日本にいながら日本を拒んでいるように。

男Hのように、日本人でいながら、日本に決して受け入れられないもののように。



男Hには新羅の末裔という別の知人Nがいた。

報道関係者である。

外国人差別を許さない、排外主義を許さないと言いながら、排日主義を推し進めているようにしか見えなかった。

どこに行っても、日本の過去に起こった差別的な言動しか残そうとしない。

荒探ししかしない。

そういう時だけ、全て日本人がしたことにする。

新羅の末裔である知人Nの祖先は、戦前に満州に行き故郷に受け入れられず、引き上げてきたというが。

彼は一体、新羅人なのか、満州人なのか、日本人なのか。

彼のようなものが、もともとそこにいて追い出されたものが満州に集っただけではなかったか。

満州人になるために行ったのに、当然新羅もなく、満州も消えてなくなったからといって、日本人として帰ってきただけではなかったか。

外国に向けては、日本人が侵略したというのが、お決まりの彼の言説であったが、どう見ても日本人を憎んでおり、その憎しみを、なぜか満州人として持っている奇妙な分裂状態なのである。

悪党としては日本、血統としては新羅、被害者としては満州を使い分けている。

一見では、察しがつかない、複雑な構造を、やっと彼の中で、識別できるようになったのは、最近のことである。

何も知らされていなかった日本人は、いいように利用され、プロパガンダにがんじがらめにされていたのが、戦後日本そのものであった。

日本は中国に対して侵略したという時の、彼は一体、何者なのであろうか。

日本人風な新羅人というものなのだろうか。

あるいは、いわゆる世界市民とでも言うのであろうが。

日本が悪いというだけの。

それがスタンダードだといいたげに。

当時、日本人として、帰った新羅人であったものが、そのもともといた地にやはり受け入れられなかったという二重の跳ね返された憎しみを、一重で逃げ出さずに生きて苦しんでいた、彼らの内面の事情など何も知らない日本だけが悪いという都合のいい、己の苦しみだけが本当の苦しみなのだという、偏った世界観のなかで、生きている。

満州で優遇されていたのは、己ではなかったのか。

日本人という面を被った新羅人ではなかったのか。

知人Nがいうように、戦後は、日本だけが悪者にされていれば、丸く収まると勘違いされていたが、もう、そのような勘違いは通用しなくなっている。

戦後のドサクサで、奪われた踏みつけられた魂は自ずと復活するのである。

力だけでは、人には浸透しないのだ。

嘘は自ずと分かるものなのだ。

そこに見える二重性を見た一重は、ゆるぎなく、そこにいつづけるのだから。

いくら、二重写しにした世界を押し付けようとも、一重のものは、一重でしかないのだから。

逃げ場はない。

二重のものは、いずれ、一重に吸収されて、己に向けていた非難を、己が全面で受けることとなるのに、気付きもしない。

外から見たものには、その二重性は見えないので、自己反省的で良心的などと誤解されたりするが、決して自己を反省している訳ではなく、己が二重そこで生きていくためにしている偽りの良心で、己ではない一重の日本人に対する悪意でしかないのだから、そこが見えてきた言論界において、興冷めされ、誰もがその本意を見破れるようになった、個人的報道の世界では、誰も信用しなくなり、落ちぶれていき、誰も本を買ったり新聞を買ったり、報道を見なくなっていった。

己の正当化のためのプロパガンダでしかないと、誰もが知るようになったら、なおさら彼らは食べていけなくなるであろうが。

日本人の苦しみが理解できるかもしれない、そこしれない希望はあった。

戦後を享受してきたもののそこが見えた時、苦しみが彼らを変えるかもしれない。

そこに理解があるならば。


彼らは己が日本を受け入れていないのを投影し、いつも漠然としたひとくくりの「日本」のせいにし、日本に己の我慢ならない憤りをぶつけ、サンドバックになるのが日本の正しい姿のように言い続ける。

ただ黙って、甘んじて攻撃され続けるように過去を挙げへつらうのをやめない。

日本人が最低限の反論すると、すべてが右翼と決めつけ、我が物顔で、攻撃し続ける。

己の境偶を安全な誰にも侵されない「被害者」の立場に置くことでしか、存在を確認できないように。

どれだけ、その姿が醜いものか、考えようともしない思考停止状態。


子豚は、ピクリともしない。

死んでしまったのかもしれない。

炬燵で死んだ、知人Kのように。


彼は、翻訳の仕事が無い時は、肉体労働をしていた。

引越のアルバイトである。

子豚のマークの引越屋。

彼は、己の引っ越しをして、しばらくして死んでしまったのであるから、引っ越しは、彼を生かしも殺しもしたということであろうか。

ある程度の年齢になると、なかなか仕事が見つからないのは、わかっていたが、これほどまでに仕事が制約されるのは腑に落ちなかったようで、二重の苦しみを彼に与えているようであった。

翻訳で生きるにも、引っ越しで生きるにも、何かが足りないのであった。


それは、男Hにとってもそうであった。

日本人であろうが、なかろうが、何かが足りないのである。

それを正当化できるか、できないかの違いである。

外国人だから差別される。と知人Kはいった。

彼は、どこからみても日本人であったが、己の中に、二重の言葉を持っていて、思考回路も、身体状態も二重なのだといった。

日本の中の外国人に見えない、外国人。

日本の中の日本人の、一重の完全に重なったままで積み上げられる、逃れられない苦しみはまったく知らないのだ。


子豚が鼻をピクリと動かした。

まだ、生きているのかもしれない。

この子豚を連れて、死んでしまった知人Kに会いに行くということに、なにか意味があるのか。

生きていることに、意味が無い。

といっていた知人Kの葬式に出るのに、この子豚が必要なのか。

死んだことにも、意味が無い。

ただそれだけのことでも、意味が無いように、男Hはドラック欠乏、脳内麻薬豊穣症状を前籠に乗せて、人には見えない、己だけの生きているのか死んでいるのかもしれない子豚とサイクリングしているのであった。


子豚はおれか、それともお前か。

あるいは、おれの中のお前か、お前の中のおれなのか。

雨に打たれながら道の上を、朦朧としながら走っていた。


一重と二重の間をトランスして、狂ったように、男Hは走っていた。