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今回の登録の基本的な問題点を列挙すれば、次の通りである。
(1)中国の申請がそもそも「心の中に平和を築く」というユネスコ設立の趣旨に反する内容であること
(2)記憶遺産は人類的な価値のある文化遺産を保存するための制度であるのに、中国の申請はその趣旨に反する国際機関の政治利用であること
(3)申請資料の内容が公開されず、日本側に反論の機会が全く与えられなかったこと
(4)諮問委員は資料保存などの専門家ではあっても、歴史の専門家ではなく、歴史資料の評価を行う能力を欠いていること
(5)諮問委員会の決定は、申請国のロビー活動の結果で事実上決まること
(6)審議は公開されず、密室で決定されること
(7)ユネスコの事務局長がもともと中国寄りの立場の人物であること--
これを見れば、殆どお話にならないデタラメと不正が行われていると疑われても仕方がない。
右のうち、最後の(7)について補足しておく。現事務局長のイリーナ・ボコバ氏はブルガリアの出身の女性で、ブルガリア共産党の党員であった。フランス大使などの要職を経て、2009年からユネスコの事務局長に就任した。
重大なことは、彼女が、西側諸国が揃って出席を拒否した中国の抗日戦勝記念行事に出席していたことである。9月3日には天安門で最新兵器のパレードを参観し、習近平とのツーショット写真におさまり、習近平夫人との対談までしている。
この親中派のボコバ氏が、次期の国連事務総長を狙っていると言うから穏やかではない。東欧出身の、初めての女性事務総長として待望論があるのだという。もしそんな人事が実現すれば、国連は中国の道具に成り下がるだろう。
南京戦はあったが「南京虐殺」はなかった
「慰安婦」が却下され、「南京」が登録されたことで、戦後70年歴史戦の今年残りのテーマの中心は、否が応でも「南京事件・南京大虐殺」ということになった。
南京事件については、日本において1970年代以降の長い研究と論争の歴史がある。そもそも1970年代前半までの歴史教科書には「南京事件」は全く載っていなかった。
朝日新聞の本多勝一記者が中国共産党中央委員会の招待で四十日間、中国共産党の用意した語り部をあてがわれて「取材」した記事が「中国の旅」として報道されたのが、全ての始まりである。
1980年代は30万、20万など荒唐無稽な数字が乱舞する「大虐殺派」の天下であったが、ともかく事件があったのだということを広く認知させる役割を果たしたのは、秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書、1986年)だった。同書では4万人説が唱えられ、当時は30万人説などと比べて良識的な研究として読まれたが、今では全く時代遅れの本となった。
なぜなら、同書で公平な第3者としてあつかわれ、事件のイメージをつくるベースとなっている欧米のジャーナリストが、その後の研究で国民党から金を受け取ってプロパガンダ本を書いたエージェントであったことがわかったからだ。秦氏が中公新書を絶版としなかったので、同書は未だに影響力をもっている。しかし、研究は進歩するものであることを読者は知っていただきたい。秦氏は慰安婦問題では第一人者だが、南京事件の概説書を書くのが早すぎたのかも知れない。
1990年代の後半から、教科書問題とも関連して、虐殺の存在を前提として仮定しない研究潮流が生まれた。2000年から12年間、日本「南京」学会が旺盛な研究活動を展開し、南京事件が戦時プロパガンダとして仕組まれたものであり、事件そのものが存在しなかったことを立証した。
なお、歴史学界はこれを認めていないという説があるが、近現代史は歴史評価の上で、専門家とシロウトの間の能力的落差はほとんど認められない分野である。歴史の専門学会に所属するギルド集団に歴史解釈についてご判断を仰ぐことにあまり意味がないのである。これは、憲法学界が現行憲法を擁護する憲法御用学者の集団であり、彼等のイデオロギーに楯をつく弟子は就職すらできないのだから、憲法学界に安全保障問題の判断についてお伺いを立てるのが筋違いなのとやや似たことだといえる。