4年ほど前に、神鉄粟生線の存続が話題になっていることを知った。
昔は、神戸の都市開発を支えた路線のひとつであり、部分複線化も行われたが、いつの間にか存亡の危機に至っているということに驚いた。
最初に神鉄粟生線に乗ったのは平成15(2003)年の夏であり、その後、夕方ラッシュ時に2回ほど乗ったことがあるが、沿線風景の記憶が消えてしまった。
この日は特に予定もなかったので、粟生線に乗ってみることにした。
新開地9時07分発の志染行きに乗車。
鈴蘭台で緩急接続の待ち時間に新開地行きの6000系を撮ったが、留置線にも6000系が停まっていた。6000系は少しづつ増えているようであるが、4両固定編成は利用状況からするとちょっと長いような気がしないでもない。
前から思っているのだが、たいして所要時間短縮するわけでもないのに、鈴蘭台でわざわざ後続の有馬線準急を待つ必要があるのだろうか。
新開地~鈴蘭台間の運転間隔を均等化した方がいいような気がするのだが。
志染駅は2面3線で、志染折返しの列車は3番線に入る。
沿線風景を見ていると、東京圏で言うと八高(南)線・川越線くらい、志染まででもデータイム毎時4本は少々過剰かなという気がした。
ただ、利用に見合った頻度設定にして減便した場合、選ばれない路線になり、負のスパイラルに陥る恐れもあり、経費節減策というのも悩ましいのだろう。
志染駅にはこのような看板が掲げられていた。「乗って残そう」というフレーズは全国でよく使われるが、あまり沿線の人々に響かない言葉だと言う話を聞いたことがあり、それを思い出した。神鉄沿線の人はおそらくマイカー利用が主になっていると思うが、そのような人々に響くだろうか・・・。
話は変わるが、私が子供のころ見ていた鉄道の図鑑では、神鉄の車両はこの形式のイラストが載っていた。
志染からは10時35分発の粟生行に乗車。乗った車両は6504であり、初の6000系乗車である。
小野駅では乗客の半分が下車したが、同じくらい乗車があり、この地区の中核となっていることが伺えた。
終点、粟生に到着。
加古川線は1両もしくは2両編成。
粟生線もこれくらいの長さでもいいような気がする。
神戸の郊外電車と言う認識でいたが、志染以西は播磨のローカル線と思った方がいいんだろうなと思った。
こちらは現在の時刻表。
こちらは平成15年7月の時刻表。データイム以降はほぼ半減している。