ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

4月26日(日)旌善線

2009-04-29 | 韓国・インド・パキスタン
 中央線の起点かつターミナルである清涼里から10時30分発安東行きムグンファで堤川へ向かう。この列車は日本で言えば特急列車に相当するが、154.9kmを2時間半かけて走る。
 地図で見ると中央線は京釜線と並ぶ2大幹線のようだが、だいぶ格差がある。
 速度は日本の特急に比べればさほど遅いというほどではないが、中央電鉄線の終点の菊秀(清涼里から約42km)を過ぎると単線で交換待ちがあるため、非常に時間がかかる。
 景色は菊秀を過ぎると、深い谷間を見下ろす区間が続き、あたかも日本の中央東線の相模湖からの桂川沿いを思わせる。すれ違う貨物列車はタンク車ばかりというのも中央東線に近いものを感じる。
 しかし、こちらの中央線は断続的に現在の路線に並行して付け替え路線の建設が進められ、高規格化が進められている。細かいことは長くなるので省略。
 
 さて、この日のメインテーマは旌善線乗車である。この線は、韓国の岩泉線とも言われる盲腸線で、一日2往復しかない超ローカル線である。
 旌善線は太白線の甑山から分岐し、アウラジに至る延長38.7kmの路線だが、2往復とも中央線の堤川発着である。
 堤川から14時05分発のアウラジ行き1653列車に乗車する。


 先頭からディーゼル機関車(7564)、電源車(99390)、そして客車2両(12328、12460)という、おもちゃのような編成である。日曜日であるため、多少観光客らしき家族連れやグループも乗車していたが、ゆったり座れる程度の乗車率であった。


 アウラジ行きは甑山までは太白線を走行するが、この路線の貨物もタンク車が多い。
 15時30分、甑山に到着すると「Rail Cruise」という展望の良さそうなジョイフルトレインが止まっていた。
 
 いよいよ旌善線に入る。


 ひとつめの駅は山間部の小さな駅だが、11~12階建ての高層住宅らしきものが3棟、6~7階建てが1棟建設中であり、ざっと400戸程度になるはずだが、いったい誰が住むのか理解に苦しむ。
 しかし、これを除けば期待通りのローカル線で、特に絶景はないものののんびりとした雰囲気満点である。

 ちょっとした観光の拠点である旌善駅で半数程度が下車した。ホテルも見られた。


 清流を横目に、終点アウラジに向かう。


 16時24分、8分遅れで終点アウラジ到着。


 さて、ここからのみどころは機回しであり、誰もいないホームで観察。
 まず、機関車を切り離し。


 機関車は引上げ線へ。かつてもう一駅先まで運行されていたためレールはその先まで伸びているが、車止めが置かれている。


 ホームで休憩中の客車たち。


 機関車は側線へ。


 ホームを通過していく。


 そして、戻ってきた。38Km600mキロポストの脇を通過していく。


 再び連結。


 アウラジ駅はローカル線らしい素朴な駅舎だった。無人駅である。


 しかし、すぐそばに、客車2両に魚をかぶせた奇妙なレストランがある。

 レストランといってもハンバーガーと麺類程度しかない、少々がっかりな施設。しかも麺類のメニューをよく見ると「さぬきうどん」だった。
 韓国では「さぬきうどん」は好評なのか、ソウル駅にもさぬきうどんのお店があり、韓国人の行楽客には喜ばれるメニューなのかもしれない。
 しかし、ここで食事を逃すとソウルまで食事の調達ができない可能性があるので、やむなくチーズバーガーセットを注文した。


 昔は、といっても数年前までは列車が運行されていたレール。


 いまは、観光客向けに、ゴーカートのような足こぎ自転車で一駅先まで行けるようになっている。料金表らしき案内に16000、28000という数字があったので、2000~3000円で乗れるようだ。
 ただし、季節営業なのか、店員も客も見当たらなかった。
 気になるのは、途中ですれ違えないはずなのに、どうやって交換するのか・・・。


 17時30分発の堤川行きでアウラジを後にした。


4月26日(日)ソウル1号線(回基)

2009-04-29 | 韓国・インド・パキスタン
 清涼里駅のひとつ隣の回基駅で、1号線の写真を撮って時間つぶし。

 まず、ソウル方面行きの韓国鉄道公社の1000系がやってきた。1043+1241+1341+1851+1441+1541+1951+1641+1741+1143という編成で、第41編成、第43編成と第51編成の付随車を寄せ集めた編成のようだ。


 次に、議政府方面行きがやってきた。先頭車は1156だったが、メモは取れなかったもののこれも寄せ集めの編成だった。


 こちらは5037-5137編成の仁川行き。5000系で寄せ集め編成は見かけなかった。



4月26日(日)中央線(九里)

2009-04-29 | 韓国・インド・パキスタン
 この日は韓国のローカル線で知られる旌善線に乗りに行くのだが、中央線の清涼里駅10時30分発の列車まで時間があるので、中央電鉄線に乗って時間をつぶす。中央電鉄線は徳沼~菊秀間が延伸され、電鉄区間としては未乗区間だが、菊秀まで行っている時間はないので九里で引き返した。
 中央線の電鉄線区間は、東海道新幹線の静岡駅や、阪急六甲駅のような配線の駅がいくつかあり、九里もそのひとつである。
 9時20分発の菊秀行きが入線。


 そして、菊秀に向かって出発していった。


 九里駅の周辺は高層住宅が並び、中央電鉄線の中でも乗降客数が多そうだった。


4月25日(土)ソウル1号線(天安牙山、新昌)

2009-04-29 | 韓国・インド・パキスタン
 天安牙山駅も、KTX開業当時には接続する鉄道のない駅であったが、3年前にKTXに乗った際、鉄道らしき構造物がKTXに直交して建設されているのを見た。
 後に、1号線の延伸路線であることが判明したが、これに乗車するため天安牙山駅でKTXを下車。



 光明駅と同様、駅前は依然何も建物がなかったが、これから何か建設する工事は進められていた。
 左がKTXの天安牙山駅、右が後から開業した長項線の牙山駅である。


 交差駅にもかかわらず駅名が違うが、KTX単独のときは、日本の水沢江刺や燕三条のように、天安牙山でよかったのだろうが、在来線の長項線の駅名としては、御本家の天安駅があり、天安を冠するのはふさわしくないと言うことからだろうか。

 牙山駅は2面4線で、内側が列車線用ホーム、外側が1号線用ホームであり、ホームの高さが異なるため、ホームの中央に階段やスロープが設置されている。


 1号線から延伸された新昌までの区間は日中は毎時2本しかなく、不便である。
 暇なので16時44分発、益山行きを撮ることにしたが5分遅れで到着。
 長項線は3年前に乗車したが、このころの長項線の終点は長項駅であり、対岸の群山線と接続する工事が進められていた。現在、長項~群山間がつながったため未乗区間が発生してしまった。いずれ乗らねばならない。



 新昌行きは16時51分発のはずだが、10分遅れでやってきた。
 5051-5151編成の10連である。


 新昌駅は2面4線の駅であり、中線が1号線の発着ホームである。中線の先には引き上げ線があり、4両編成がとまっていた。
 この区間は10連のみではなく、短編成も使われるのだろうか。


 乗ってきた5051-5151編成を撮り、改札へ。


 真新しい駅舎だが、駅前には農村が広がっていた。

4月25日(土)ソウル1号線(光明)

2009-04-29 | 韓国・インド・パキスタン
 ソウル郊外の光明駅は、2004年のKTX開業時には接続する鉄道のない単独駅であったが、いつの間にか1号線が光明まで乗り入れるなっていたので行ってみることにした。
 ソウル・龍山発のKTXは、始興駅(現・衿川区庁駅)の南で京釜線から分岐し、高速線に入るが、1号線から光明駅にいたる路線はどこで京釜線から分岐し、光明駅のどこにホームがあるのかが今回のチェックポイントである。
 さて、路線図を見ていると、1号線の光明への支線は昔の始興駅から分岐しているではないか。もしかして、4ドアの通勤電車が高速線を走行するのか???

 新吉駅から1号線に乗車したが、永登浦駅に到着すると、光明駅行き電車の案内があったので、下車すると、ホームの反対側に光明行きの電車が止まっていた。


 光明駅方から319003+319103+319203+319903の4連である。まさか1号線に4連の電車が走るとは思わなかった。
 各車両に数人しか乗っていないので、本当に動くのかと心配になったが、ひとまず乗車し数分待つ。14時19分にすべてのドアが開き、22分に出発。
 加山デジタル団地から多少の乗車があったが、それでも7人がけシートに1~2名程度がゆったりと座っている程度であった。
 いよいよ衿川区庁駅(旧・始興駅)であるが、我が光明行きは緩行線ホームに到着。なお、緩行線という呼び名でいいのか不明だが、この区間は外線が1号線各駅停車が走行し、内線がKTXやセマウル号などが走行する列車線である。

 さて、衿川区庁駅を出発すると、やはり列車線に移り、そして、KTX専用であった高速線に入って行くではないか。
 となると、光明駅もKTXと同じ駅に入るということになる。
 光明駅はもともと真ん中にKTXの上下通過線があり、その両側に1面2線のKTXホーム、さらにその外側に1線づつ相対式ホームがあるという、壮大な駅だったが、1号線くらいが入る余裕は十分ある。きっと、余っていたホームに入るのだろう。

 光明駅に近づくと、驚くことに高速線内にもかかわらずノロノロ運転を始める。
 そして、一番東側の、これまで未使用だったホームに入る。


 しかし、ここは到着ホームのようで、乗客が下車後、折返して行った。

 折り返して行くとなると、これまた驚くことに、本線支障が発生する。
 しかし、まさにその通りで、しばらくすると一番西側のホームに永登浦行き電車が入ってきた。

 さて、この後、一駅だけKTXに乗車し、天安牙山からもうひとつの1号線の延伸区間である天安~新昌間に乗る予定であるため、自動券売機に向かう。
 次のKTXの発車時刻まで5分ほどしかなく、しかし、自動券売機はハングルのみであり、「乗車人数」「発駅」「着駅」までは入力できたものの、その次に券種を答えるのだが、単純に1等、2等だけではなさそうで、さっぱりわからないので購入を断念。
 窓口に行って購入することにした。


 乗車できないかわりに、乗るつもりだった釜山行きKTXと319000系を撮影。


 そして、駅前に行ってみるが、5年前のKTX開業直後と同様、何も建物はなかった。


 光明駅15時45分発、KTX145号釜山行きに乗車。編成番号は14だった。

4月25日(土)仁川空港鉄道

2009-04-29 | 韓国・インド・パキスタン
 3年ぶりに韓国へ。
 仁川空港鉄道(A’REX)は、早朝深夜を除く6時から22時までの間は毎時Exprress1本、Commuter5本が運行されている。
 Expressの時間まで30分ほど待たねばならないので、仁川国際空港12時39分発のCommuterに乗車。金浦空港方より2109+2209+2309+2409+2709+2809の6連、2006年、Rotem社製である。

 雲西駅を出て、49km000m付近に工事中の駅がある。
 ところで、車内のドアの上には現在地案内がある。

 46km900m付近を過ぎると干潟になり、やがて鉄道道路併用橋で海を渡り、40km600m付近で陸地に入る。
 やがて3本の引上げ線が現われ、2面4線の●岩駅(●は「黒」へんに「今」)に到着。
 次の桂陽駅は仁川地下鉄1号線の駅と並んでいるが、どちらも地上の駅である。桂陽駅を出ると28km200mのキロポストがあった。仁川地下鉄が南に向かって離れていくと、続いて仁川地下鉄の車両基地が見える。

 27km400m付近から掘割となり、トンネルに入り、金浦空港に到着。
 一見、中線ありの2面3線の駅で、南側の1線のみを使用しており、未使用ホームと柵で仕切られていた。暫定開業だからかと思ったが、帰国時に未使用ホームにまもなく開業する地下鉄9号線の車両を見た。
 エスカレータから見下ろして、柵の右側がA'REXのホーム。左側が9号線(未開業)のホームである。

4月25日(土)M-106編成「ウイングエクスプレス」

2009-04-29 | 北関東、埼玉、千葉

<成田空港 9027M>
 E257系の臨時特急で成田空港へ。
 国分寺~三鷹間で、久しぶりに下から高架上り線を観察したが、いつの間にか架線柱や信号の設置が始まっていた。
 成田ではアクセス鉄道の工事が進んでいた。

4月19日(日)富士急行(上大月~田野倉)

2009-04-19 | 富士急行

<257列車>
 田野倉駅から上大月に向かって歩いていると菜の花畑がったので、ここで撮影することにした。



<22列車>
 富士山が見えるところだが、かなり富士山がかすんできたので、上り電車も菜の花畑で撮ることにした。



<19列車>
 田野倉駅に戻っても次の上りまで時間があるので国道沿いに大月に向かって歩く。バスがあれば大月まで乗ろうと思ったが、一日数本しかなく、次のバスまで何時間も先なので、歩くよりほかはない。
 途中、列車が撮れそうな場所があったので、そこで1202+1302を撮ることにした。
 踏切の警報機に被ってしまうが、ほかに行く時間もないので、ここで撮る。



<24列車> 
 上大月駅に向かって歩いていると24列車に追いつかれた。
 上大月から大月までは歩いて10分もかからないので、のんびり歩く。

4月19日(日)富士急行(三つ峠~寿)

2009-04-19 | 富士急行

<702列車(フジサン特急2号)>
 今日は旧京王5000系を撮りに富士急行へ。
 富士急行特集のDJ94年1月号を持参して、高尾発河口湖行きに乗車。
 車内でDJを眺めていると、浅川に撮りに行った八高線の高尾臨などが載っている。
 驚くことに臨時列車運転情報のうちシュプール号になんと10ページも割かれている。
 今はまったくないのに。

 さて、はたして富士山は見えるのか気になっていたが、富士急行線内に入ると、くっきりとは言わないでも、写真には十分写る程度に見えたので一安心。
 三つ峠で下車し、目的地に行く途中でフジサン特急に遭遇したので撮影。



<14列車>
 目的地に到着し、DJ94年1月号の見本写真と見比べると、線路脇まで迫っていた林の一端が道路と格子枠の法面に変わっており、農作業小屋のような建物の屋根の色が赤から水色に変わっている。
 編成両数がわからないので、さてどうしたものかと思案し、ひとまず4両でもいいように構える。まず、5000型がやってきた。



<11列車>
 1206+1306が河口湖に向かって下っていく。



<71列車(ホリデー快速河口湖1号)>
 ゆっくりとした足どりでモモずきんが通り過ぎてゆく。
 近所の子供が「あずさだ~」と叫んでいた。



<16列車>
 さて、お目当ての80周年記念塗装電車がやってきた。元京王5000系の1202+1302である。
 富士急行生え抜きの5000系ではなく、なぜこちらの車両を塗り替えたのだろうか。
 しかし、さほど違和感はなく、こんなのが昔富士急を走っていたような・・・という気にもなる。
 元京王5000系は全国各地で現役だが、どこの会社の塗装にもマッチする優れた車両である。
 と言いつつ、小学校の頃は、ボロ車とバカにしていた車両である。



<704列車(フジサン特急4号)>
 16列車が通過後、大月方がパノラマ車のフジサン特急がやってきた。



<4536M>
 国道沿いのローソンに昼食を買いに行き、戻ると朝、高尾から乗ったM8編成が戻ってきた。
 そろそろ稼動期に入るのか、耕運機が畑に出ていた。



<201列車>
 一部の田んぼには水を張る準備が進められていた。
 5000型が急坂を登っていく。
 まもなく、田んぼの水面が鏡のようになるのだろう。



<13列車>
 1202+1302が大月から戻ってきた。  

 三つ峠での撮影はこれで終わり。
 午後は田野倉へ。