ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H29.3.20(月・祝) 北勢線

2017-03-26 | 関西、北陸
 15年ほど前に愛知県に住んでいたが、そのころ北勢線をどうしようか議論されていた。
 記憶はあいまいになっているが、改軌とか、バス転換といった案もあった。
 当時、どんなところか何度か見に行ったが、長らくご無沙汰しているので、行ってみることにした。


 車両は昔と変わらないが、冷房化された車両もあり、駅もそれなりに手を入れられており、以前よりは明るい雰囲気になっていた。

 当時は、存廃、バス転換といった話もあり、利用状況に気が行っていたが、今回は天気がいいこともあり、遠くの景色を眺めながら阿下喜に向かったが、意外に鈴鹿山脈の山々が楽しめる。当時はいったいどこを見ていたのだろうか・・・と思ってしまった。


 藤原岳は秩父の武甲山ほどではないが、山が削られており、秩父に来たような気分がする。妄想すれば、スイスの登山鉄道にも見えるが、それはかなり無理がある。
 途中、車内で「ふじさん、ふじさん」と連呼する子ともがいて、山=富士山じゃないぞ、と思ったが、もしかして藤原岳のことだったのだろうか。


 阿下喜に着く直前に、藤原岳をバックに撮影できそうなところを見つけたので、5分ほど歩いて行ってみた。


 何気にこの車両もブラックフェイスである。


 阿下喜の町は再開発(?)が行われており、以前の街並みを思い出せなかったが、そこそこ大きな病院がふたつほどあり、まるっきり人がいない街ではない。うまく北勢線を活かしてくれれば、と思った。


 昼飯は駅前の食堂で、おそばを。


H29.3.19(日) 大和路線201系

2017-03-26 | 201系(その他)

 河内国分寺を散策した後、高井田駅方面に向かうと、大和川の向こうに関西本線が走っているのが見えたので、201系を撮影。


 大阪に住んでいる間にもっと201系を撮りに行ければよかったのだが、大阪の南の方に行く余裕がなく、今頃になって行っている・・・。


H29.3.12(日) 小浜線

2017-03-26 | 関西、北陸
 最近、駅間で列車の写真を撮ることがめっきり減っているが、上中~新平野間で雪をかぶった三十三間山をバックに小浜線を撮影。


△934M


△935M

 コンデジじゃなくて、一眼レフ持っていけばよかった・・・。

 このあたりは、若江線(ジェイアール西日本バス)が走っているので、便利である。

H29.3.5(日) 江田島のテクノスーパーライナー

2017-03-26 | 中国、四国
 午前中は大和ミュージアムを見て、午後はテクノスーパーライナー探しへ。


 むかし、戦艦武蔵のプラモデルを作った時、パイロットは主砲を目の前にして気持ち悪かっただろうなぁと思ったが、この模型を見て、改めて思った。


 呉から12時30分発の江田島(小用)行きのフェリーに乗船。


 テクノスーパーライナーは、秋月という地名のところにあるのはわかっていたので、江田島バスに乗り、途中で下車して歩くことにした。


 44号線から298号線に入り、1㎞ほどの秋月トンネルを歩いた。


 秋月に着いたが、海を見渡したものの、それらしき船は見当たらず。

 ネットで検索すると、フルサワという会社で解体工事が行われているようなので、南下することにした。


 バスを降りて1時間ほど歩いたところで、フルサワの事務所にたどりつき、そこにすでにかなり姿が変わってしまったテクノスーパーライナーが停泊しているのを発見。




 隣は、海上自衛隊エアクッション艇整備科の敷地になっていた。


 帰りは小用港まで歩く気がしなかったので、タクシーを呼んだ。
 小用までは2000円弱だったが、運転士の話によると、最近、江田島は修学旅行の学生が増えており、特に九州北部からの学校がよく来るとのこと。


 お昼は港で牡蠣を。1000円で7個。


 広島行きの船と同時出帆。
 短い滞在だったけど、瀬戸内海の島めぐりは楽しそうである。

H29.3.4(土) あき亀山

2017-03-26 | 中国、四国

 車止め3種類。


 このあたりの人は「電化延伸」というとらえ方なのか。確かにそうであるが、ちょっと新鮮。






 この踏切ってどういう扱いなんだっけ、というのはともかく、113系が撮れたので嬉しい。


 駅の背後の高台の人は便利になるのかな。

H29.1.22(日) 小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館)

2017-03-26 | 北海道

 1月21日の夜は小樽運河沿いのホテルに泊まり、翌22日は小樽市総合博物館に行ってみた。屋外展示の車両はどうしているんだろうと思ったら・・・雪をかぶっていた・・・。

 だから冬季は入場料が割引になっているのか。

 と言っても、館内展示の資料や模型は見ごたえがあり、特に北海道開拓期の路線選定過程や炭鉱開発と鉄道との関連に興味がある人にはお勧め。


 資料の写真は添付を省略するが(現地で見てください(笑))、写真の小樽の高架桟橋は取り壊されず、もし残っていれば○○遺産になっていただろうなと思う。残念。


 この模型。
 作業員の人数・配置、作業工程はそれなりに土木工学的な観点から検証されているような気がした。



H29.1.21(土) 宗谷岬へ

2017-03-26 | 北海道

 朝、テレビをつけると札幌市電の運賃値上げのニュースが流れていた。



 旅行先で鉄道関係のローカルニュースを見ると得した気分になる。



 ホテルから稚内港北防波堤ドームが見えたので、朝食を食べた後、見に行った。風は冷たかったが、稚内と言うところは北海道の内陸に比べると気温は高く、むしろ津軽の方が寒さは厳しいのでは・・・という気がした。


 ホテルから稚内駅に行く途中、駅前広場に掲げられた案内図を見て、稚内駅が道の駅に取り込まれていることを理解した。駅がだいぶきれいに整備され、おそらく行政が絡んだ施設と一体化されたものだろうと思ったが、どうやら、道の駅の中の施設のひとつという扱いになっているようである。




 道路に向けた案内では、JRはこのような扱い。


 観光案内所近くにこのような模型もある。


 さて、この日は稚内から浜頓別を経由して音威子府までバスで行く計画であった。


 いま、JR北海道の路線は、今後どのようにしていこうか、岐路にたっている。
 骨格となる交通機関であり残すべきという意見があったり、鉄道がなくなると町がさびれるという意見があったり、輸送密度が低くバスで運べるではないかという意見があったり、自動車分担率の実態から鉄道を残す必要はないという意見があったり、いろんな意見がある。
 また、交通計画の観点とは別に、ステークホルダーに絡んだ意見もあり、責任のなすりつけ合いのような声も見受けられる。
 ここまでは、今までの鉄道の存廃に関する議論でもよくあったことではあるが、昨今のJR北海道の路線の議論において、今までと異なるのは、頻度が多いとは言えず、路線としては地方交通線の分類ではあるものの、地域間を結ぶ特急が運行されている長距離幹線鉄道の存廃が議論の遡上に挙がっているということか。

 仮に、特急が走っているような路線が廃止されれば、観光バスタイプのバスが運行されると思うが、ローカル輸送のバスはトイレのない路線バスタイプとなるだろう。たいていの転換バスは乗客の数からして、トイレ付のバスにしてくださいと言うのは酷であろう。

 では、実際、どんな感じだろうと思い、天北線の流れをくむ浜頓別行のバスに乗ってみることにした。

 稚内駅では、トイレを念入りに済ませたが、バスの車内が寒く、早くも南稚内駅を過ぎたあたりで、オシッコしたくなってきた。

 こんな調子で浜頓別を経由して、音威子府まで行くのは無理だと思い、宗谷岬で離脱・・・。



 おそらく1995年の夏以来の宗谷岬であるが、宗谷海峡の向こうに、かすかに白い島影が見えた。
 あたりを見回したが「宗谷海峡横断トンネル早期実現!」といったカンバンは見当たらなかった。



 バス待合室に落書きノートがあったが、平成26年までは日本人ばかり、それも鉄道マニア(ファン?おたく?・・・)かライダーか自分探しの旅系の人々が大半であったが、平成28年になると外国人が半数を占め、ざっと見た印象では多い順に、台湾、香港、韓国、中国本土、若干タイ・・・といったところか。
 こんなところからもインバウンドが感じられる。
 国境地帯であるが、領土問題にかかわる書き込みはなく、平和である。