ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H29.1.22(日) 小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館)

2017-03-26 | 北海道

 1月21日の夜は小樽運河沿いのホテルに泊まり、翌22日は小樽市総合博物館に行ってみた。屋外展示の車両はどうしているんだろうと思ったら・・・雪をかぶっていた・・・。

 だから冬季は入場料が割引になっているのか。

 と言っても、館内展示の資料や模型は見ごたえがあり、特に北海道開拓期の路線選定過程や炭鉱開発と鉄道との関連に興味がある人にはお勧め。


 資料の写真は添付を省略するが(現地で見てください(笑))、写真の小樽の高架桟橋は取り壊されず、もし残っていれば○○遺産になっていただろうなと思う。残念。


 この模型。
 作業員の人数・配置、作業工程はそれなりに土木工学的な観点から検証されているような気がした。



H29.1.21(土) 宗谷岬へ

2017-03-26 | 北海道

 朝、テレビをつけると札幌市電の運賃値上げのニュースが流れていた。



 旅行先で鉄道関係のローカルニュースを見ると得した気分になる。



 ホテルから稚内港北防波堤ドームが見えたので、朝食を食べた後、見に行った。風は冷たかったが、稚内と言うところは北海道の内陸に比べると気温は高く、むしろ津軽の方が寒さは厳しいのでは・・・という気がした。


 ホテルから稚内駅に行く途中、駅前広場に掲げられた案内図を見て、稚内駅が道の駅に取り込まれていることを理解した。駅がだいぶきれいに整備され、おそらく行政が絡んだ施設と一体化されたものだろうと思ったが、どうやら、道の駅の中の施設のひとつという扱いになっているようである。




 道路に向けた案内では、JRはこのような扱い。


 観光案内所近くにこのような模型もある。


 さて、この日は稚内から浜頓別を経由して音威子府までバスで行く計画であった。


 いま、JR北海道の路線は、今後どのようにしていこうか、岐路にたっている。
 骨格となる交通機関であり残すべきという意見があったり、鉄道がなくなると町がさびれるという意見があったり、輸送密度が低くバスで運べるではないかという意見があったり、自動車分担率の実態から鉄道を残す必要はないという意見があったり、いろんな意見がある。
 また、交通計画の観点とは別に、ステークホルダーに絡んだ意見もあり、責任のなすりつけ合いのような声も見受けられる。
 ここまでは、今までの鉄道の存廃に関する議論でもよくあったことではあるが、昨今のJR北海道の路線の議論において、今までと異なるのは、頻度が多いとは言えず、路線としては地方交通線の分類ではあるものの、地域間を結ぶ特急が運行されている長距離幹線鉄道の存廃が議論の遡上に挙がっているということか。

 仮に、特急が走っているような路線が廃止されれば、観光バスタイプのバスが運行されると思うが、ローカル輸送のバスはトイレのない路線バスタイプとなるだろう。たいていの転換バスは乗客の数からして、トイレ付のバスにしてくださいと言うのは酷であろう。

 では、実際、どんな感じだろうと思い、天北線の流れをくむ浜頓別行のバスに乗ってみることにした。

 稚内駅では、トイレを念入りに済ませたが、バスの車内が寒く、早くも南稚内駅を過ぎたあたりで、オシッコしたくなってきた。

 こんな調子で浜頓別を経由して、音威子府まで行くのは無理だと思い、宗谷岬で離脱・・・。



 おそらく1995年の夏以来の宗谷岬であるが、宗谷海峡の向こうに、かすかに白い島影が見えた。
 あたりを見回したが「宗谷海峡横断トンネル早期実現!」といったカンバンは見当たらなかった。



 バス待合室に落書きノートがあったが、平成26年までは日本人ばかり、それも鉄道マニア(ファン?おたく?・・・)かライダーか自分探しの旅系の人々が大半であったが、平成28年になると外国人が半数を占め、ざっと見た印象では多い順に、台湾、香港、韓国、中国本土、若干タイ・・・といったところか。
 こんなところからもインバウンドが感じられる。
 国境地帯であるが、領土問題にかかわる書き込みはなく、平和である。


H29.1.20(金) 「サロベツ」で稚内へ

2017-02-19 | 北海道
 今春のダイヤ改正は、全国的にあまり目立った変更がなく、ダイヤ改正の案内は見ごたえがない(笑)。

 幹線系では、北海道のサロベツ、オホーツクの見直しが目立ったところであるが、せっかく札幌まで来たので、札幌12時30分発の「サロベツ」に乗ってみることにした。


 編成は前から「キハ183-1501」「キハ182-3」「キハ183-212」であった。
 指定席はあらかじめ新千歳空港で取っておいたが、通路側しか取れず、自由席は発車直前に見たところ、ほぼ満席であった。むかしは30分おきにスーパーホワイトアローとライラックが交互に走っており、いくら利用客が減少したからと言っても、旭川まではそれなりに流動がある区間なので3両では少々混むのかもしれない。


 函館本線の札幌~旭川間は久しぶりだが、晴れた日に乗るのは1995年の夏以来と思われる。景色が新鮮で、いままで気づかなかった増毛山地がよく見えた。

 昔は、キハ183は高性能のDCと思っていたが、塩狩峠をえっちらおっちら、さすがに今の時代となっては老兵だなぁ、と思った。


 昔、筬島で途中下車して天塩川沿いをゆく列車を撮ったことがあるので、筬島あたりから天塩川を観察。
 絵画の世界である。


 どこで撮影したのか思い出そうとしたが、もう20何年前ゆえ、さっぱりわからず。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 南稚内到着前に、1号車(指定)に乗っている乗客を数えると21人であった。2号車、3号車もおなじくらいとすると、「サロベツ」で南稚内・稚内に向かっている人は60人くらいか。






 あれっ、駅が新しくなっている。




 期間限定で資料が展示されていたけど、こういう資料は常設にしてほしい。




 この日は稚内泊だが、路線バスの時刻表を見てびっくり。
 なんと、終日15分パターンダイヤが組まれているではないか!!!


 しかも、さらに、もう1系統!!!
 県庁所在地クラスでも、こんなにしっかりしたパターンダイヤになっている路線バスはそんなに多くはない。

 稚内は、たしかに線状に市街地が連なっており、公共交通には適したコンパクトシティではあるが、これには驚いた。


 夕食は、名物タコしゃぶを。


H29.1.20(金) 札幌市電ループ化区間へ、日本の鉄軌道完乗

2017-02-18 | 北海道
 昨年12月24日に札幌圏大雪のため札幌に到達を断念し、札幌の市電のループ化区間に乗り損ね、日本の鉄軌道完乗(ケーブルカー含む、ロープウェイ除く)を逃したので、改めてチャレンジ。
 羽田7時発のANA51便で千歳に向かった。羽田を離陸すると雲に突入し、景色は眺めらえないので、ひと眠り。


 青森県上空にさしかかると雲が切れ、恐山の宇曽利山湖が見えた。

 新千歳空港から9時発の快速エアポートに乗り札幌へ。南北線に乗換え、大通で下車。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 さて、最後まで残った西4丁目~すすきの間が目前にして、今乗るかどうか、これで終わってしまうではないか、最後はどの車両で完乗しようか・・・ちょっと迷った。ループ線での完乗と言うのは気分が出ないが、今さら仕方ない。


 この日は、札幌から稚内まで行く予定だったので、あまり、ゆっくりしていられない。来たのに乗っちゃえ、ということで記念すべき完乗電車はこちらの「8512」電車となった。




 サイドリザーベーションを走行するが、それより信号待ち時間が非常に長いのが気になって仕方ない。どうやら電車優先信号にはなっていないようだ。


 すすきのにて完乗。・・・だけど、なんとも思わなかった。


 すすきの電停の西側には電留線があった。


 狸小路の電停はデザインを工夫したようなので、札幌駅に戻る際に観察。




 狸小路の交差点は、信号待ちの時間が非常に長いので、写真を撮るにはここがおすすめ。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 さて、日本の鉄軌道完乗ということで、民鉄(公営、三セク含む)の平成15年度以降の未乗区間推移のグラフをつけておく。JRは途中まで作っているけど、めんどくさくなったので省略。


 平成15~16年に関西をたっぷり消化しているが、この頃は名古屋に住んでいたので、近鉄を利用してよく出かけていた。ただ、この頃は年に3~4回、海外にも行っていたので、ずいぶんと精力的にまわったものだと思う。
いまは、この気力・体力はない(笑)。

 いま、乗りつぶし二順目も始めたが、どうも列車に乗っても寝てしまうので、無理に乗ることはないか、という気もしている。

H28.12.25(日) 夕張から厚岸へ

2017-02-18 | 北海道
 クリスマスイブの夜は夕張駅から1㎞ほど離れたホテルシューパロに泊まった。


 朝、目が覚めて街の方を見ると晴れていた。

 朝食を食べに行くと、半分以上が外国人で、次から次へとやって来る。インバウンドの威力は夕張にも間違いなく及んでいる。
 中国でも台湾でも韓国でもなく、モンゴルかチベット、あるいはシルクロードかな?と思うような人が多くいた。どこから来ている人たちなのか気になったので、ホテルの人に聞いてみると、タイからとのこと。最近はタイ・シンガポールの人が増えているらしい。

 夕張駅まではホテルの送迎バスで移動。


 新十津川よりは本数は多いものの、ほとんどの人が自動車利用なのだろう。
 夕張支線の廃止は地元も受け入れているので、夕張から列車に乗るのはこれで最後かもしれない。


 8時17分着の列車がやってきた。

 夕張駅からの乗客は日本人3人、欧米人1人、中国人のような気もするけどイマイチよくわからないアジア系親子3人。


 列車が折返し準備をしている間に日本人3人が写真を撮るのを見た欧米人が「オー、メニー、トレインガイ!」と叫ぶ。思わず噴き出した。トレインガイと言うのか・・・。

 一方、アジア系の父親が「これはスペシャルトレインか」と聞いてきた。
 ある意味、スペシャルかもしれないけど、それを説明するまでの英作文がアタマに浮かばないし、普通のコミュタートレインの方が好きな人もいるし、何の変哲もない普通の列車を撮るのが日本人のあり方なのだ(?)ということを示す必要もある(?)だろうと思い、「ノーマルなトレインだ」と伝えた。


 キハ40-1824は定刻に夕張を出発。途中、南清水沢から5~6人の乗客があり、新夕張に到着。


 「スーパーとかち1号」は少し遅れてやってくるとのことで、駅前広場に行ってみた。駅名は紅葉山のままでもよかったのでは・・・。





 さて、遅れてやってきた「スーパーとかち1号」はST-1102編成。前日に長万部から南千歳まで乗った編成である。
新夕張を14分遅れで出発した。

 新得までは平成23年12月に来ているが、新得以東に入るのは平成7年8月以来となる。最近、JR北海道の路線のあり方について話題になっており、今さらながら、どんな利用状況なのか気になって、久しぶりに道東方面に足を踏み入れることにした。



 帯広で下車するのは初めてである。
 帯広駅は2面4線の駅だが、宮崎駅と同じく、1・2番線用の改札と3・4番線用の改札が別々となっている構造だった。




 観光案内所で十勝・帯広の観光パンフレットを入手し、駅前広場に出て見渡すとおそらく近年進出したと思われるチェーンホテルが多い。


 少し早い昼食をとることにして、帯広駅前の「ぱんちょう」に入った。豚丼、しっかりとした味だった。
 その後、帯広の中心街を歩いて藤丸デパートまで歩いたが、「もしかして、帯広って潤ってる?」という印象を受けた。あまり人通りは多いと言えないが、商店街は裏通り含めて小奇麗。
なんだか不思議なので、「帯広」「景気」といったワードで検索してみると、どうやら十勝は大規模農業で潤っているようであり、ついでに北海道の所得を調べてみると、道北・道東の第一次産業主体の自治体が高ランクに入っているようだ。

 ぶらぶらしていると、六花亭帯広本店を発見。
 お菓子のお店と思っていたが、食事もできるようなので、お茶でも飲みに、ということで入ってみた。


 豚丼を食べたばかりなので帯広本店オリジナル「帯広の森(冬)」を注文。他の客はピザを頼んでいる人が多いようだが、ピザが有名なのか???


 帯広からは「スーパーおおぞら5号」に乗るが、2番線、3番線にキハ40がとまっていたので撮っておく。「スーパーおおぞら5号」は23分遅れで帯広を出発。
 「エゾシカ、カモシカが多く発生する区間に入ります・・・」という放送が入る。




 冬の北海道は日が短い。


 16時近くなると薄暗くなってくる。
 白糠を25分遅れで出発したが、網走行き、根室行きには接続するという


 釧路からは久しぶりにキハ54に乗車。


 席が埋まっていたので、運転室後ろで前面展望し、厚岸で下車した。


 JASマークを見ると、学生時代に戻った気分。

 厚岸では、駅から徒歩1分のホテル五味に泊まった。


 食事はちょっと豪勢なものを予約していたが、予想を超える見事なものだった。


 牡蠣、牡蠣、牡蠣。

日本の鉄軌道完乗・・・ならず

2017-01-29 | 北海道
1.クリスマスイブの予定
 JRを完乗した翌日(平成28年12月24日)、大沼公園から札幌まで北斗で移動し、札幌のループ化区間を乗って日本の鉄軌道を完乗する予定であった(なお、ケーブルカーは完乗済、ロープウェイは除く)。


 24日の朝、ホテルの部屋からはきれいな雪景色が見られたが、ホテルのフロントに大沼公園までのタクシーをお願いしたが、しばらくするとフロントから電話があり、北斗7号まで運休が決まっていることを教えてくれた。
 前夜から天気予報を見ていると、そんな予感もしていたが、ホテルにいても仕方ないし、函館まで行けば、始発駅なので座れるかもしれないと考え、7時半に函館大沼プリンスホテルを出発。
 タクシーの運転士日く、今年の冬はよく降る、異常ですよ、とのこと。

 ひとまず大沼公園駅に着いたが、さすがに朝イチから札幌行きの北斗4本が運休となっていれば、函館に行っても座れるわけがない。

 この日は札幌のホテルは満室でどこも取れなかったので、夕張のホテルを予約していた。
 もし、札幌の到着が遅くなる場合は、札幌に行くのを断念し、南千歳から夕張に向かうか、札幌から夕張までタクシーを飛ばすか、どちらかを選ぶこととなるが、実際北斗がどのように動くのか定かでなかったので、ひとまず大沼公園9時08分発の長万部行きに乗って、のんびりと進むことにした。

 1時間ほど待ち時間があったので、大沼公園まで歩いて往復。


 駒ヶ岳は雲がかかっていたが、天に突き刺さるような山頂が見え隠れした。


 列車に乗る前に、念のため、大沼公園の観光案内所で非常食を調達。
 大沼公園は「千の風になって」誕生の地とのことだが、英訳は「A Thousand winds cookies」となっているが・・・。


2.長万部行き821D

 大沼からは駒ヶ岳がよく見えたが、姫川付近で、噴火湾とその向こうの羊蹄山が見えた。


 森から八雲にかけての区間からは噴火湾を取り囲む雪山の景色が壮観であった。



 長万部では、駅弁「かにめし」で知られる「かなや」へ。


 駅から2分ほどのところにあり、途中下車したときの食事にはもってこいのお店である。


 もちろん、かにめしを注文したけど、もうちょっと食べたくなって焼売を追加注文した。




 昼食後、いったん駅に戻ったが、遅れはさらに拡大しており、1時間は遅れている模様だった。駅の売店を眺めていると「クマ笹茶」という見慣れないものがあったので、あめせんと合わせて買ってみた。
 待合室にいても暇なので、再度、街の散策に出かけた。


3.スーパー北斗7号
 13時ころになり、スーパー北斗7号がまもなくやって来るという放送があり、跨線橋に上ると、倶知安方面は代行バスを利用してください、という英語の案内が立っていた。面白いことに「Kutchan Line」と案内されている。日本語でもこれでいいような気がする。

 スーパー北斗9号は62分遅れで長万部に到着したが、すでにデッキまで乗客がいっぱいな状態であり、乗車にてこずり、68分遅れで長万部を出発した。
 乗車した編成はST-1201であった。

 幸い、ドアの窓から外が見られるところに立てたので、外の景色を見ることができた。
 室蘭本線から噴火湾の向こうの駒ヶ岳を見えたのは初めてのような気がした。

 洞爺からは、外国人の乗車が多く、ここでも乗車に時間がかかった。インバウンドの効果は抜群であるが、大きな荷物を持った外国人旅行客が多く、こんな混雑時には気の毒である。

 73分遅れで東室蘭に到着し、78分遅れで出発。
 登別は83分遅れで出発。


 苫小牧に到着したところで、もう、ここまで来れば・・・と思ったところで「車両に不具合発生、5~10分止ります」という案内放送が入った。


 結局、南千歳には16時02分、113分遅れで到着。
 札幌についても暗くなっているし、この先、果たして進めるのか怪しいので、南千歳で下車した。


4.南千歳にて
 南千歳の駅の待合室に入って休憩していると、16時20分頃に「スーパーおおぞら7号は、まもなく札幌の車両基地、手稲を出発します。本日は札幌の基地の除雪により・・・」という案内が流れ、どうやら本線の除雪ではなく、手稲の車両基地の除雪で苦戦しているということがわかった。

 それなら、そうと言ってくれればいいのに・・・と思ったが、おとなしく夕張行を待った方がよさそうである。


 ただ、夕張に行けるのか、行っても晩飯にありつけるのかわからないので、南千歳駅の近くにあるのアウトレットモールReraで夕食をとることにした。


 アウトレットモールをぶらぶらし、「れんてつ」というお店で「味玉みそらあめん」を食べた。おいしいラーメンだったが、クリスマスイブの夕食がこうなるとは・・・。

 駅に戻ると、おおぞら7号がそろそろ南千歳に到着すると言う。
 南千歳の待合室にいるのも飽きてきたので、おおぞら7号で新夕張まで乗ろうかと思い、自動券売機で自由席特急券を購入し、おおぞら7号に乗った。

 が、座った瞬間、ん・・・この列車は新夕張に停車するのか、もしや・・・と思い、あわてて時刻表を見ると次の停車駅は占冠ではないか。

 慌てて下車して事なきを得たが、占冠なんぞ行ってしまったらタクシーで夕張までいくらかかるのやら。そもそもタクシーがあるのかわからないし、「夕張まで」と行先を告げても「それは・・・無理・・・」となるかもしれない。危ないところであった。


 夕張には無事到着できたが、札幌ループ化の乗車は果たせず、日本の鉄軌道完乗はお預けになった。

JR再完乗

2017-01-29 | 北海道
1.少し前の乗りつぶし達成状況
 平成26年9月6日に、盛岡から茂市まで乗車し、JRを完乗した。

 その後、嵯峨野観光鉄道、北陸新幹線、富山の環状線に乗車し、平成27年12月20日に仙台市の東西線に乗った時点で、残るは札幌のループ化区間のみとなった。
 4か月待てば北海道新幹線が開業するため、札幌のループ化は北海道新幹線と合わせて乗りつぶし、全線完乗(ケーブルカーを含み、ロープウェイを除く)としようと考えていた。

 平成28年3月に北海道新幹線が開業したが、金曜の夜、会社帰りに土曜の午前中の空席状況を見ると、たいていグランクラス、グリーン車、普通車ともに満席、席が空いていても窓側は空いていなかった。
 どうせなら天気のいい日に、窓側で行きたいと思っていたが、夏が過ぎ、秋になっても空席状況は変わらず、あわせてホテルもなかなか空きがない状況が続いたため、しばらく保留にしていた。
 冬になれば雪の季節であり、あまり天気は気にならないので、平成28年12月の3連休に行くことにして、少し早目に新幹線、ホテルを予約した。


2.これまでの北海道旅行
 北海道は、高校・大学のころは四国・九州などに比べると多く行っていたが、その後、勤務地が西日本に偏っていたり、旅行の行き先が海外旅行中心になった時期もあり、ここ20年くらいは、あまりまとまった旅行はしていない。

これまでの北海道旅行(出張を除く)
 ①1988年 青函連絡船、函館
 ②1990年 青函トンネル、道央・道南
 ③1992年 札幌
 ④1994年 北海道一周
 ⑤1995年 道北(原生花園、滝上、サロベツ原野)
 ⑥1995年 北海道一周
 ⑦2003年 留萌本線、江差線など
 ⑧2011年 日高本線など

 1995年から2003年の間はまったく行っておらず、2003年と2011年の間は2回出張で北海道に行っているが、津軽海峡沿いのところである。

 なんと、道東・道北方面は20年以上空白となっている。
 近頃、JR北海道についてはいろいろと話題になっているので、あわせて道東か道北にも足を延ばしてみることにした。


3.はやぶさ5号に乗車
 北海道新幹線は、やはり東京駅から新函館北斗まで通しで乗りたいし、最速4時間2分の列車に乗りたかった。12月2日に、12月23日の東京駅8時20分の「はやぶさ5号」を予約した。

 12月23日は、少し早いが、中央線はいつトラブルになるかわからないし、トラブルが起きると回復まで時間がかかるので、八王子6時35分発の中央特快に乗車した。


4.福島で信号トラブル発生
 中央特快は無事東京駅に着いたが、東京駅から乗車した「はやぶさ5号」は、大宮駅に着くと「福島駅構内信号トラブル発生。しばらく停車します」という放送が流れた。
 近年、東北(上越?)新幹線は、年末年始になると信号トラブルで大混乱となることが多いような印象だが、4時間2分走破は無理なようである。

 最初に北海道に渡ったのは、「ゆうづる」と青函連絡船十和田丸であり、東京から新函館北斗まで4時間2分で駆け抜けるという体験をしたかったものの、1~2時間延びるかもなぁ・・・という予感がした。
 この日は、新函館北斗に着いた後、特段予定はなく、函館大沼プリンスホテルに泊まることだけ決まっていたので、まぁ、いいか、と思ったが、旅行計画段階では、網走まで走破ということも考えていたので、他人事ながら、北斗接続はどうなるのかな・・・と若干、興味はあった。

 結局、大宮を20分遅れで出発し、「このままの遅れですと仙台10時10分着、新函館北斗着は12時37分着」という案内放送が流れた。
 新白河を9時34分、郡山を同44分に通過したが、福島駅の手前で減速し、止まってしまった。直ちに放送が流れ「福島駅で再度信号トラブル発生。しばらく停車します」とのこと。


 この時は数分停車した後、出発し、福島駅を9時57分に通過した。
 10時に「新函館北斗からのスーパー北斗11号とはこだてライナーとの接続については確認中。(接続可否については)しばらく時間がかかる」という、他人事ながらヤキモキする放送が流れた。
 仙台には10時17分に到着し、同20分に出発し、「このままの遅れですと新函館北斗着は12時49分になります」という放送が流れた。
 大宮から満席だったが、仙台で入れ替わりがあったものの、満席で出発した。

 北上を10時46分に通過し、10時57分に盛岡に到着した。
 盛岡は28分遅れ、11時ちょうどに出発したが、11時10分に「札幌行きスーパー北斗11号には接続できません」という悲しいお知らせ放送が流れた。
 はやぶさ5号に乗っている客がどこまで行くのかわからないが、盛岡過ぎても満席という混み具合は初めて見た。そこそこ北斗に乗り換える客もいるのではないか、積み残し客を次の北斗で吸収できるのか・・・と気になりだした。

 八戸を11時25分、七戸十和田を同35分に通過。
 11時40分に「新函館北斗で、13時08分発臨時北斗91号に接続します」という放送が流れるが、どこまでホントなんだか、という気がしないでもなかった。


5.北海道新幹線完乗、JR再完乗
 新青森には11時47分に到着し、同52分に出発した。
 青森からは、「はやぶさ5号」の次の便の指定券を持っていた客も乗り込んできたため、指定席の通路にも立客が出てきた。
 まさか、青函トンネルを満席、立客ありの乗客満載の「はやぶさ」で通過することになるとは、想定外だった。
 奥津軽いまべつを12時05分に通過し、青函トンネルに入った。青函トンネルの通過時間は24分らしい。
 青函トンネル内で接続案内の放送が流れ、「北斗12時34分発のはこだてライナーは乗換えのお客様を待ちます。スーパー北斗11号は乗換えできません。13時08分発臨時北斗91号は乗換えできますが、本日指定席は満席ですので、恐れ入りますが自由席をご利用ください」とのことで、北斗乗継ぎ客には悪いが、乗継いで札幌・網走に行く計画しないでよかった・・・と思った。

 12時32分、吉岡方のトンネル出口を通過し、木古内12時38分に通過した。
 車窓右手に函館山がチラチラ見えてくる。青函連絡船だと函館山が少しづつ近づいてくるのだが、そのような情緒はない。


 上磯を過ぎると大円弧を描いて走り、北斗総合車両基地(?)をかすめ、新函館北斗には12時48分、26分遅れで到着した。
 JR完乗というのは、どこかのローカル線で・・・という方がイメージに合うのだが、新幹線で完乗したときの印象は「あぁ、着いた。」といったところで、なんとも思いもしなかった。

 それより、なんでこんな駅名にしてしまったのだろう、「函館」と「北斗」が譲れなかったのはわかるが、であれば「新」はいらないだろう、という気がしてならない。

 新函館北斗の駅では、満席の客が階段、エスカレータに集まったため、滞留が発生していたため、先頭を眺めたりホーム上をブラブラして時間をつぶした。




 数分すると階段が空いてきたが、コンコースにあがると、函館本線との乗換改札が見事に滞留しており、驚いた。


 北海道新幹線で移動する客がここまで多いとは・・・。
 駅の施設はコンパクトにつくったのだろうけれども、近年の急激なインバウンド需要の高まりもあり、これに追いつかなかったのかもしれない。
 早いところ見直しをした方がよさそうであるが、JR北海道の体力もあり、難しいところだろう。
 けれども、せっかく生まれた流動は活かしてもらいたいものである。

H23.12.25(日) 冬の田園休暇 ~富良野線~

2011-12-31 | 北海道
 新得から滝川行き3430Dに乗り、富良野で下車した。
 昼食を取ろうと駅前に出たが、食事のできそうなお店はなかなか見当たらず、小さな路地に開いていた小料理屋に入って食事にありつけた。

 富良野線は旭川からの729Dの到着が遅れていた。
 函館本線の列車も雪のため遅延しているようであり、道内の交通が大きく乱れ始めているようであった。


 729Dをホームにて迎撃。

 富良野線は94年の夏にラベンダー畑と十勝岳をバックに列車の写真を撮ったり、美瑛の丘を自転車で回ったり懐かしい路線であるが、冬に乗るとこれまた違った景色が見られ車窓を堪能できた。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 旭川駅は高架化され大きな屋根に覆われる構造になっていた。
 柱が少なくすっきりしている。
 それはそうと、稚内行きの「サロベツ」が除雪待ちのため旭川で足止めを喰らっていた。




 北見行きの「特別快速」。
 いつか特急に格上げされるのではと思っていたこともあったが、ずいぶん長く「特別快速」のまま健在である。


 14時50分頃、「サロベツ」は約40分遅れで旭川を出発。

 15時ちょうど発のスーパーカムイ30号新千歳空港行きに乗ったが、通路まで立ち客が出て混雑していた。

H23.12.25(日) 狩勝峠を越えて

2011-12-31 | 北海道
 この日は夜20時30分のANAで羽田に帰るので、石勝線、富良野線などに乗って冬の北海道の車窓を楽しむことにした。

 朝、札幌7時03分発のスーパーおおぞら1号で新得へ。


 朝食は、「えぞ賞味」。

 狩勝峠は夜行を除いて2~3回通ったことがあるが、いままで眺めが良かったことはなかったが、今回は澄みきった青空の下、十勝平野が一望。
 見事であった。


 新得到着後、スーパーおおぞらを見送る。


 改札を出て、踏切から構内を。


 新得では帯広貨物行きの2073レを撮る予定であったが、予定時刻になっても現われず「スーパーおおぞら4号」が出発していった。


 しばらくするとDF200-102率いる2073レがやってきた。


H23.12.24(土) 日高本線完乗

2011-12-31 | 北海道
 平成15年1月に留萌本線や江差線などを完乗し、日高本線のみが道内で唯一未乗区間として残っていた。
 長らく放置していたが、JRの未乗区間が日高本線、岩泉線、山田線(盛岡~宮古)、予讃線(向井原~伊予長浜~伊予大洲)と残り少なくなってきたのでどこから潰していくか迷いつつ、北海道は冬に行きたかったので、日高本線は冬になるまで温存していた。

 札幌からスーパー北斗2号で苫小牧へ。


 朝食は車内で「石狩 鮭めし」。


 苫小牧で折返し準備をしているキハ40-355。


 鵡川に着くと上り2226Dが23分遅れとのことで、しばらく停車し、8時57分に出発した。

 厚賀から節婦までの間は波打際を走るが、列車は減速してゆっくりと走る。
 2226Dもこの区間で減速して遅れたのだろう。

 静内で乗客の大半が下車し、5~6人が乗車してきた。
 静内を通り越して乗車する客は私を含めた4人のみであるが、いずれも時刻表とカメラを持っており、明らかに旅行客である。

 浦河までに遅れは多少回復し、浦河を6分遅れの11時02分に出発し、終着様似に向かった。


 途中遅延があったものの、様似に無事到着。


 予定では、襟裳岬を観光して広尾に抜ける予定であったが、強風でバスが襟裳岬に行かないとのことで、バスに乗るのは中止し、日高本線を折返し乗車することにした。


 様似では昼食にありつけず、苫小牧まで食事抜きも覚悟したが、静内駅で13分停車中に改札を出てみると駅弁売り場があり、いかめしをゲットできた。





 節婦から厚賀の間は午前中以上の減速運転で慎重に運転していたが、後ろから線路を見ていると、激しい波しぶきが路盤を洗っていた。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


 札幌駅に到着後、赤レンガへ。


 クリスマスイブの大通公園。

H23.12.23(金・祝) 吹雪の小樽

2011-12-31 | 北海道
 学研都市線に行った後、小樽へ。


 小樽は吹雪いていた。


 冬の厳しさを感じる床下。




 駅の外に出ようかどうか一瞬考えたが、冬の小樽は初めてなので、小樽運河まで歩いてみた。
 小樽運河近くの鮨屋に入り、遅い昼食をとった。
 お店を出ようとすると吹雪いており、まっすぐ歩くのも大変だったが、なんとか小樽駅までたどりつけた。



 駅のホームも吹雪いており、こういうときデッキのある721系は暖かみを感じる。


H23.12.23(金・祝) 学研都市線、まもなく電化

2011-12-31 | 北海道
 来春、学園都市線、桑園~北海道医療大学間が電化される。

 架線の下を走るディーゼルカーを撮りに北海道に向かった。


 複線化されたものの、車両は国鉄時代の残党が老体に鞭打ち、おまけに2ドア車。
 80年代か90年代の気分を味わえる路線であったが、まもなく新しい時代を迎える。







・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 大学3年の夏休みに、官庁や企業に数週間受け入れていただく現業実習があり、私はJR北海道で2週間お世話になり、学研都市線の複線化&高架化の工事現場等を見せていただいた。

 当時、学研都市線増発のための複線化事業が連立事業とあわせて行われていたが、将来の電化も対応可能な設計となっているという話を伺った。

 いま、こうやって、電化を迎えようとしている姿を見ると嬉しいものである。

H23.9.10(土) 青函連絡船羊蹄丸

2011-09-26 | 北海道
 青函連絡船の最終定期運航を担った羊蹄丸。

 定期運航が終了する2ヶ月前の1988年1月に函館から青森まで乗船したが、そのときは見納めになるのだろうと思っていた。

 ところが、船の科学館で展示されることになり、身近なところで見られるようになったが、もはや安泰と思い、最近までまったく見に行くことはなかった。

 船の科学館は小学校4年生の時の社会科見学(都内めぐり)で行ったことがあるが、見ごたえのある施設で、再度、父に連れて行ってもらった記憶がある。

 しかし、今月末をもって船の科学館が休館となる。
 そして、羊蹄丸は無償譲渡されると言う。

 どこに行くのか、どのようになるのかわからないが一度は見納めとなると思った羊蹄丸が、またも見納めになる恐れがあるので、船の科学館へ。




 私が乗ったときはJRマークだったが、ここではJNRマーク。


 船内に展示されている車両はどうなるのだろう・・・。


 こういう手書きの書類を見ると、人が動かしてきたんだなぁと思う。


 「ゆりかもめ」とともに。






 羊蹄丸最後の航海日誌が展示されていた。
 どんなことを考えこれを記入していたのだろうか。



 備考欄にはこのように記載されていた。

  The old soldier will never speak anything,
  but the only thing he can do is just fading away.
 (老兵は何も語らず、ただ消え去るのみ。) 



 そして、まもなく、船の科学館が37年の航跡に終止符をうつ。
 

12月9日(水)函館 元町散策

2009-12-11 | 北海道
 帰りの飛行機の時間まで、元町を散策。
 
 昼間は何度か来たことがあるが、寒いものの夜もよい。
 ライトアップされた教会、その向こうに七重浜の方に広がる夜景が見下ろせる。


 こちらのカトリック元町教会は、1859年に司祭メルメが仮聖堂を建て、今年が150周年らしい。
 ただし初代教会は消失し、現在の聖堂は大正時代のものだと説明に記されている。


 150周年というと、中央線の開業より30年早いのか・・・と、あんまり脈絡のないことを考える。



 函館ハリストス正教会にはいままで入ったことがなかったので、今回入ってみたが、私がこれまで見てきたキリスト教の教会とは教会内の配置や装飾が違う。


 私はカトリック教徒でも仏教徒でもヒンズー教徒でもなんでもないが、ゴシック様式の塔と、教会内のリブ・ヴォールト構造の天井が好きであり、そのためカトリックの教会に行ってみることが多い。
 1週間かけて五島列島をまわったこともある。

 教会内で感じた違和感は、カトリックと正教会の違いによるものなのか、わたしには怪しげな知識しかないのでさっぱりわからないが、正直に言えば、違う宗教のように思えた。

 ふと気づいたのだが、教会内には、10人ほど、高校生か大学生くらいの女の子ばかりがいる。
 一瞬、ここは男子禁制か、とあせったが、これはたまたま偶然だった。



 元町の坂道の中では摩周丸の見える八幡坂が函館らしいと思う。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 函館の元町地区に来たのはおよそ7年ぶり。
 何度来ても飽きない町である。
 1995年頃には大手不動産によるマンション建設反対のカンバンが見られたが、まち並みは特に変わらず守られているようである。

 しかし、函館港のシンボルのひとつだった函館どっくの門型の大型クレーンがなくなってしまったのが残念である。