ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H24.11.24(土) 紅葉と201系

2012-11-28 | 中央線201系(H21.8.21~)

 土曜日は豊田車両センターまつりへ。
 もしかしてクハ201-1が・・・と期待したが、いつものところに放置されたまま。


 少しばかりだが、後ろの雑木林が赤く色づいている。
二度と紅葉と一緒に豊田の201系を撮ることはないと思っていたが、シャッターを押していると毎日201を追いかけていた頃のような気分に。

H24.4.15(日) 201系「青梅特快 河辺」

2012-04-15 | 中央線201系(H21.8.21~)
 今日は八王子へ。
 天気がよかったので久々に自転車でトタ区へ行ってみた。



 昼過ぎにトタ区に行くと、E233系や115系が昼寝をしていた。
 左からM40(7レーン)、T37(9レーン)、H43(11レーン)。



 201系を見に行くと「青梅特快 河辺」表示であった。



△T42(3番線)、H57(4番線)
 立川で買い物した後、久しぶりに高尾まで乗車。

中央線201系H7編成 廃車回送(H22.10.17)

2011-01-02 | 中央線201系(H21.8.21~)
 H7編成のさよなら運転を浅川で見送った後、大宮からあさまで長野に向かい、冠着へ。


 お昼は大宮弁当。


 長野で直江津行きや飯山線を撮って暇つぶし。


 H4編成のさよなら運転と同じく冠着で撮ることにした。


 H7編成が悠々と近づいてきた。
 最後の回送を見届けることができ、達成感を感じた。


 冠着で小休止。


 たくさんの人に見送られ、冠着を出発。
 走行しているH7編成を見た最後の場面となった。


 その後、後続の長野行きに乗車。


 H7編成は無事、長野に到着していた。
 明かりが灯っており、また動き出しそうに思えたが、ここでお別れとすることにした。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 帰りの長野行きの車内で、このブログを見ていただいている方にお会いした。

 平成19年8月に八王子に戻ってから201系を撮り続け、平成21年1月からこのブログをはじめたが、この間、沿線で201系を追いかけるたくさんの方にお会いした。
 また、お会いした方々が作っていると思われるブログから撮影地、撮り方などを真似させていただいた。

 中央線から201系が消えた今、これらの方々にお会いする機会はめっきり減ったが、中央線沿線に住んでてよかったと思っている。

中央線201系H7編成 最後の八王子市内走行(H22.10.17)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 H7編成の最後は前々から浅川で撮ろうと思っていたが、八王子の街の風景を入れて撮りたいとも思った。

 そこで、トタ区からも近い浅川左岸から撮ることにした。

 浅川に行ってみると右岸側は100人ほどの大群が中央線に向かってカメラを構えていたが、左岸側は私以外に一人いたのみ。
 そんなにこちら側で撮るのはマイナーかと驚いた。
 

 踏切の音が鳴り、林の中からH7編成が飛び出してきた。





 浅川をわたり、八王子市内へ入っていく。



 たくさんの人に見送られてH7編成が浅川に別れを告げた。

中央線201系H7編成 トタ区との別れ(H22.10.17)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)

 10月17日、8時半過ぎにトタ区に行ってみると、H7編成が出発準備をしていた。



 豊田駅には横断幕が。



 9時56分、H7編成がゆっくりと動き出す。
 変な例えかもしれないが、このシーンはご出棺と同じ気持ちになる。



 30年余り中央線を支えてきた201系がクハ201-1を残し去っていく。





 一両、一両、ゆっくりと。



 JR社員も記録撮影していた。

 H7編成は「さよなら運転」の乗客が待つ豊田駅に向かっていった。

中央線201系定期運用終了(H22.10.14)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 この日は15時まで会合があったが、午後は半休を取っていたので、終了後直ちに退社し、東京駅へ。

 朝は八王子駅を発着するH7編成を撮ったが、夕方は帰宅客の並ぶ東京駅で撮ることに。
 中央線201系が東京駅の2番線に入るのは、これが最後である。
 17時半だとまだ帰宅ラッシュのピーク前であるが、201系入線前に乗客の列ができた。





 東京駅では201系を最もよく撮った場所であるが、ここでの撮影はいよいよ最後となる。
 慎重にシャッターを押した。



 定期運用最終日とあって、H7編成が到着すると、学校帰りの学生たちが201系の顔のまわりをとり巻く。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 H7編成は、立川まで往復した後、東京駅19時27分発の豊田行きとなり、これをもって中央線における通勤輸送の使命を終える。

 19時前に、会社から仕事の電話があったが、19時20分以降、1時間ほどは電話に出られないのでよろしく、と伝える。


 


 最後は東京駅重層化で登場したアーチ屋根の下で入線風景を撮ることにした。



 ドアが開き、東京駅最後の乗降が始まる。


 感慨深いものがあり、ゆっくり眺めたいところだが、乗り逃すわけには行かないので、数枚撮影して、モハ201-254に乗り込む。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 帰宅ラッシュ時間帯だが、それにしても混雑している。
 まわりを見渡すと、そこらじゅうに見覚えのある顔が。
 沿線の201系ファンが集結しているのだ。

 神田、御茶ノ水と、一般客も何かを察したのか、乗る前に写真を撮っている。

 201系は、飯田橋の急カーブをいつもどおり通過し、お堀端を快走。

 新宿では、いつもより多くの乗客があり、出発がやや遅れた。

 中野駅でも乗降に手間取っているようでホームから「この電車、通常より混雑しております」という放送が聞こえてきた。
 通常ではないことを匂わす放送に、車内の201系ファンは苦笑。
 一般客も、「この電車、最後みたいだね」などと話している。

 途中駅で、普段から201系を追っかけている人が下車しているのが見えた。
 あれ、豊田まで行かず、ここで降りてしまうのか・・・と思ったら、写真を撮り、再び乗車していた。
 自分の駅の201系最後の停車を撮ったのだろうか。


 通常であれば、少しづつ乗客が減るのだが、なかなか減らない。
 三鷹、武蔵境、東小金井・・・と、201系は各駅に別れを告げ、終着豊田がだんだん近づいてくる。
 ムコ区を見下ろすと、あと少しだなと思う。



 国分寺では通勤快速大月行きを待つため、少々停車。
 最後尾1号車は撮影会状態になっていた。

 
 再び2号車に戻り、車内を見渡すと、201系ファンばかり。
 これまで中央線・青梅線などで見かけた201系ファンが集結し、最後の定期運行にふさわしい車内となっていた。


 最後の多摩川もいつもどおり爆音をとどろかせ通過。

 日野駅を出るといよいよ最後の一駅である。
 車内の乗客は最後の一駅を様々な思いで過ごしているようであった。


 豊田駅に入る手前で、車内放送が流れる。
 車掌は最後に「本日は201系にご乗車いただきましてありがとうございます」と添え、車内の乗客は満足げであった。

 H7編成は、途中混雑したものの、豊田駅にて無事使命を終えることができた。





 中央線201系が最後の定期運用を通勤電車本来の姿で終えられたこと、そしてたくさんの201系ファンとともに過ごせたことはなによりであった。

中央線201系最後の出勤(H22.10.14)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 いまさらではあるが、中央線201系H7編成、最後の定期運用のことは書いておかねばならない。

 10月14日、この日は休みにしたかったが、午前中と15時頃まで会合があったので、午後半休の扱いとし、朝は通常出勤、午後は会合終了後に抜け出すこととした。



 最後の運用は15T運用。
 最後はやはり地元八王子駅を発着するところを撮りたかったので、まずは高尾行きを4番線で撮影。



 そして、2番線で見慣れた風景を。
 何度も撮った風景だが、さすがにこの時は緊張した。



 H7編成に乗り込む乗客を撮って、2号車に乗車。
 最後の201系での出勤となった。



 四ツ谷で中央特快高尾行きを見送り、いったん中央線を離脱。

できる限り乗る -10月13日(水)-

2010-10-15 | 中央線201系(H21.8.21~)
 H7編成の運用離脱の日が直前まで迫ってきた。
 ここまで来ると朝晩、少しでも乗っておきたいという気になる。


 この日の朝は豊田で迎撃。







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 帰りにH7編成を待っていると、目の前の女性が携帯で撮影。
 JRの徹底した(?)201系キャンペーンのせいか、あるいは、今週に入ってからの中央線の駅の雰囲気からか、普段鉄道の写真を撮らないような人もいよいよ201系の最後を察するようで、H7編成を見ると反応している。



 日野を出るとガラガラ。
 深夜のこんな車内風景はこの日が最後となった。




週明け -10月12日(火)-

2010-10-15 | 中央線201系(H21.8.21~)

△H7編成 15T運用
 中央線201系H7編成は、いつもの週明けと同じように運行された。
 しかし、週明けの運行はこれが最後となる。
 週明けの朝の楽しみは、なくなってしまうのだ。

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 仕事は適当に切上げ、東京駅へ。


 1番線で待機していると、宮崎あおいラッピング編成がやってきた。
 月曜に多摩川でラッピング編成を見かけたが、正体が判明。

 しかし、宮崎あおいは東京メトロの印象が強く、妙な感じがした。



 そして、H7編成が到着。
 この場所は東京駅重層化の頃を思い出す場所である。




 
 終点豊田駅に到着すると「回送」表示で車庫に向かって行った。
 2日後に同じ運用で最後を見送ることになるとは、この時は思わなかった。

最後の月曜日 -10月11日(月)-

2010-10-15 | 中央線201系(H21.8.21~)
 H7編成最後の月曜日は体育の日。
 見事に晴れたので多摩川へ。


 いままで201系を撮影する際、一番よくバックに入れたのは大岳山。
 最後にもういちど大岳山と一緒に撮っておきたかった。



 上りは富士山をバックに。

 

 もう一回、大岳山をバックに。



 来週の月曜のことを考えると、いよいよ最期との思いが深まった。

今、栄光の航跡をきざんでいます・・・・・・

2010-10-11 | 中央線201系(H21.8.21~)
 1988年3月に青函連絡船が津軽海峡線の開業に伴い、長年の役目を終え廃止された。
 廃止直前に最後まで残った青函連絡船を一隻づつに図柄にした「今、栄光の航跡をきざんでいます・・・・・・」シリーズのオレンジカードが発売されていた。

 中央線のH7編成の定期運行は残すところあと数日と言われているが、今の姿を見ていると「今、栄光の航跡をきざんでいます・・・・・・」というフレーズがぴったりとくるような気がする。


 さて、10月5日から10日までに撮影した写真をいくつか。



■平成22年10月4日(月)

 週明けの月曜の朝、H7編成が八王子駅に入ってきた。


 うっかりシャッターを押してしまった写真。
 けど、まぁいいか。


 四ツ谷まで乗って出勤した。


■平成22年10月6日(水)
 夜、H7編成の時間に合わせて退社したが、四ッ谷駅につくと人身事故によりダイヤが乱れていた。
 東京駅あたりにいるはずなので、御茶ノ水あたりまで迎えに行こうかと思ったが、手堅く四ッ谷駅で待つことに。


 立川駅で折返し各駅停車東京行きとなるのを確認して帰宅。


■平成22年10月7日(木)
 月、火、水と5時間残業かつ帰宅後も1時間程度雑務をしたためか、疲労気味なので定時退社。
 なんだか、風邪でもないのにせきが出る。


 H7編成を撮っていると、目はさえるのだが、疲れはなかなかとれない。


 立川で寄り道して、日野で迎撃。
 夜の日野はけっこうお気に入りだったが、これが最後か。


■平成22年10月8日(金)
 
 この種別は果たして本当に必要なのかと登場当初から思っていたが、だいぶ長続きしている。
 201系の通特はおそらく最後と思われるので、仕留めてから出勤。


■平成22年10月9日(土)
 最近、あんまり記念きっぷの類は買わなくなったが、さりとて欲しくないと言うわけではないので昼食後、豊田・八王子・高尾の各駅に出かけた。


 雨の高尾駅3番線。




■平成22年10月10日(日)

 西武の支線に紛れ込んだような。


 東小金井夕景。

宮城野へ -10月3日(日)-

2010-10-11 | 中央線201系(H21.8.21~)
 最近、少々仙台のことを調べてたら、無性に牛タンを食べたくなった。

 前日に大宮から仙台までの「はやて1号」を予約したが、大宮に7時頃に着ける電車の時刻を調べたところ、八王子からH7編成に乗れることが判明。


△H7編成 47T運用
 南口のタワーを入れて撮影。



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 久しぶりに仙台市の南北線に乗車。
 開業して20年以上が経つが、4両編成のまま。
 ホームは6連対応だが、さほど混んでもいないし、将来も増結されることはなさそう。



 多賀城駅は連立工事中。


 
 EH500-31、42が展示してあったが、どちらかと言うと鉄道フェスタがメインのようで、あまり面白くないので、会場には長居しなかった。


  
 こ線橋から眺めている方が面白い。

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 午後は仙空線に乗って東北地方の私鉄・第三セクターは完乗。

 夜はH7編成を捕まえようと思って帰路についたが、運用が変わってしまい、まっすぐ帰宅した。