ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H29.8.12(土) 阪神5500系

2017-08-31 | 関西、北陸
 この日の午後は大阪環状線で粘ろうとしたが、大阪の天気はイマイチだし、103系、201系とも運用が少ないようなので、天気がよさそうな阪神へ。

 武庫川を過ぎると晴れ間が広がってきた。


 震災後に登場した阪神5500系、原色のままでいてほしかったけど。。。


 こちらはリニューアル編成。




 



 最後は六甲をバックに撮りたかったので。

H29.8.10(木)~11(金) 阪和線103系&205系

2017-08-31 | 関西、北陸

 和歌山鉄道に行った帰りに鳳の車庫を一周(8月10日)。









 翌日は、羽衣線に行ってみた(8月11日)。



 前回乗ったのは10年以上前だが、当時のことはまったく記憶にない。印象が薄かったのか、記憶力が怪しくなってきているのか???

H29.6.18(日) 北条鉄道

2017-07-29 | 関西、北陸
 神鉄粟生線に乗った後、北条鉄道にも乗ってみた。
 北条鉄道も神鉄粟生線と同じく、平成15年7月に乗って以来、14年ぶり2回目の乗車。
 粟生10時35分発のフラワ2000-2に乗車。

 途中、法華口で降りて、法華山一乗寺(西国三十三所第26番)でも行こうか迷ったけど、暑いので終点まで乗車。


 終点に近づくと、見覚えのある駅前の複合施設が見えてきた。




 旅先でコープに入ることはめったにないが、久しぶりに食べたくなったので、こちらを購入。

H29.6.18(日) 神鉄粟生線

2017-07-29 | 関西、北陸
 4年ほど前に、神鉄粟生線の存続が話題になっていることを知った。
 昔は、神戸の都市開発を支えた路線のひとつであり、部分複線化も行われたが、いつの間にか存亡の危機に至っているということに驚いた。
 最初に神鉄粟生線に乗ったのは平成15(2003)年の夏であり、その後、夕方ラッシュ時に2回ほど乗ったことがあるが、沿線風景の記憶が消えてしまった。
 この日は特に予定もなかったので、粟生線に乗ってみることにした。



 新開地9時07分発の志染行きに乗車。


 鈴蘭台で緩急接続の待ち時間に新開地行きの6000系を撮ったが、留置線にも6000系が停まっていた。6000系は少しづつ増えているようであるが、4両固定編成は利用状況からするとちょっと長いような気がしないでもない。


 前から思っているのだが、たいして所要時間短縮するわけでもないのに、鈴蘭台でわざわざ後続の有馬線準急を待つ必要があるのだろうか。
新開地~鈴蘭台間の運転間隔を均等化した方がいいような気がするのだが。



 志染駅は2面3線で、志染折返しの列車は3番線に入る。
 沿線風景を見ていると、東京圏で言うと八高(南)線・川越線くらい、志染まででもデータイム毎時4本は少々過剰かなという気がした。

 ただ、利用に見合った頻度設定にして減便した場合、選ばれない路線になり、負のスパイラルに陥る恐れもあり、経費節減策というのも悩ましいのだろう。



 志染駅にはこのような看板が掲げられていた。「乗って残そう」というフレーズは全国でよく使われるが、あまり沿線の人々に響かない言葉だと言う話を聞いたことがあり、それを思い出した。神鉄沿線の人はおそらくマイカー利用が主になっていると思うが、そのような人々に響くだろうか・・・。


 話は変わるが、私が子供のころ見ていた鉄道の図鑑では、神鉄の車両はこの形式のイラストが載っていた。


 志染からは10時35分発の粟生行に乗車。乗った車両は6504であり、初の6000系乗車である。
 小野駅では乗客の半分が下車したが、同じくらい乗車があり、この地区の中核となっていることが伺えた。



 終点、粟生に到着。


 加古川線は1両もしくは2両編成。
 粟生線もこれくらいの長さでもいいような気がする。
 神戸の郊外電車と言う認識でいたが、志染以西は播磨のローカル線と思った方がいいんだろうなと思った。



 こちらは現在の時刻表。


 こちらは平成15年7月の時刻表。データイム以降はほぼ半減している。

琵琶湖若狭湾快速鉄道の看板

2017-05-06 | 関西、北陸
 湖西線近江今津と小浜線上中を結ぶ「琵琶湖若狭湾快速鉄道」の看板を最初に見たのは平成15年7月27日。

 小浜線を乗りつぶしに出かけた際に、小浜線小浜駅と、街中を散歩した際に小浜市役所で見かけた。


 こちらは、小浜駅にあったもの。車両イメージは、80年代から、90年代にかけて好まれたタイプのような。


 そして小浜市役所で見かけた横断幕。

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 今年2月10日の福井新聞に嶺南広域行政組合の管理者である小浜市長が「琵琶湖若狭湾快速鉄道」の建設促進運動を中止することを明らかにしたという記事があった。
 その後、どこかの記事で3月までに「琵琶湖若狭湾快速鉄道」の建設促進看板を撤去するという記事を見かけた。

 この路線は、由緒ある未成線でり、鉄道敷設法 第77号にて「滋賀県浜大津(改正後は京都府山科)ヨリ高城ヲ経テ福井県三宅ニ至ル鉄道 及高城ヨリ分岐シテ京都府二条ニ至ル鉄道」として掲げられた予定線である。
 近年、新しい路線の建設促進を求める看板は少なくなっており、由緒ある運動の記録を残しておきたいと思い、湖西線に乗ってお出かけ。
 起点方から順に紹介していく(写真は平成29年3月10日~11日)。

1.54号線、弘川口交差点の西方(高島市)

 JRバス江若線の弘川交番西で下車し、54号線の弘川口交差点を過ぎたところに設置されているもの。先に紹介した平成15年に見かけた車両をアレンジしたキャラクターが描かれている。


2.国道303号線、新道緑地公園門交差点の西方(若狭町)

 JRバス江若線の瓜生口バス停で下車し、国道303号線の新道緑地公園角交差点を過ぎ、数分歩いたところに設置されているもの。
 この看板には所要時間がかかれている。




 地図とキャラを拡大すると、こんな感じ。


 上中側から見ると、背後にまだ雪の残った山が見える。武奈ヶ嶽だろうか。


3.国道27号湯岡橋(小浜市)
 旧名田庄村(現おおい町)から小浜市に流れる南川にかかる国道27号線湯岡橋のそばにも「琵琶湖若狭湾快速鉄道」があった。


 場所は湯岡橋東詰交差点(南川右岸)と小浜線の間であり、平成27年頃から隣に北陸新幹線の看板も設置され二つの鉄道誘致看板が並んでいたが、「琵琶湖若狭湾快速鉄道」の看板はすでに撤去されていた。「新幹線 小浜京都ルートで大阪へ」という看板の右側にある鉄骨2組がその名残である。


 もっと早く来ておけばよかった・・・と思ったが、ちょうど小浜線の踏切の警報機が鳴りだしたので、小浜線の写真を撮っておく。


4.小浜市役所

 小浜市役所にも昨年までは「琵琶湖若狭湾快速鉄道」の看板があったが、湯岡橋と同様、3月の早いうちに撤去されたようであった。


 長年、おつかれさまでした、と思った。

H29.3.20(月・祝) 北勢線

2017-03-26 | 関西、北陸
 15年ほど前に愛知県に住んでいたが、そのころ北勢線をどうしようか議論されていた。
 記憶はあいまいになっているが、改軌とか、バス転換といった案もあった。
 当時、どんなところか何度か見に行ったが、長らくご無沙汰しているので、行ってみることにした。


 車両は昔と変わらないが、冷房化された車両もあり、駅もそれなりに手を入れられており、以前よりは明るい雰囲気になっていた。

 当時は、存廃、バス転換といった話もあり、利用状況に気が行っていたが、今回は天気がいいこともあり、遠くの景色を眺めながら阿下喜に向かったが、意外に鈴鹿山脈の山々が楽しめる。当時はいったいどこを見ていたのだろうか・・・と思ってしまった。


 藤原岳は秩父の武甲山ほどではないが、山が削られており、秩父に来たような気分がする。妄想すれば、スイスの登山鉄道にも見えるが、それはかなり無理がある。
 途中、車内で「ふじさん、ふじさん」と連呼する子ともがいて、山=富士山じゃないぞ、と思ったが、もしかして藤原岳のことだったのだろうか。


 阿下喜に着く直前に、藤原岳をバックに撮影できそうなところを見つけたので、5分ほど歩いて行ってみた。


 何気にこの車両もブラックフェイスである。


 阿下喜の町は再開発(?)が行われており、以前の街並みを思い出せなかったが、そこそこ大きな病院がふたつほどあり、まるっきり人がいない街ではない。うまく北勢線を活かしてくれれば、と思った。


 昼飯は駅前の食堂で、おそばを。


H29.3.12(日) 小浜線

2017-03-26 | 関西、北陸
 最近、駅間で列車の写真を撮ることがめっきり減っているが、上中~新平野間で雪をかぶった三十三間山をバックに小浜線を撮影。


△934M


△935M

 コンデジじゃなくて、一眼レフ持っていけばよかった・・・。

 このあたりは、若江線(ジェイアール西日本バス)が走っているので、便利である。

若狭街道 熊川宿

2016-09-18 | 関西、北陸
 昨秋、鯖街道の難所である八丁平~オグロ坂と、針畑越えを歩いた。
 どちらもバスの頻度が少なく、帰りの時間を気にしながらの山歩きとなる上、道がわかりにくく迷ったところもあり、少々ヒヤッとしたときもあったが、旧街道を歩いた満足感は十分であった。
 一方、国道でサラッと通過できる熊川~朽木~梅ノ木~途中~大原を経由する若狭街道ルートは、あまり興味が湧かなかった。
 とりわけ、熊川宿は1時間毎にJRバスが運行されているのでいつでも行けると思って、いつも通過していたが、鯖街道の中の宿場町としては一番大きなところであり、重要伝統的建造物群保存地区にも指定されているようなところなので、見ておきたいところである。
 小浜から近江今津に移動する際に途中下車してみることにした。

 若狭熊川のバス停で下車し、旧街道に入ると、妻籠・馬篭ほどのにぎわいではないものの、宿場町らしい街並みが残っていた。


 まず、山すそのお寺が目にとまったので行ってみることに。


 お寺の名前は得法寺。お寺の門から旧街道を眺めてしばし休息。


 得法寺の少し東の白石神社。毎年5月3日は京都祇園祭を模した山車が巡行するらしい。
 近くにテレビ撮影のクルーがいたので、ささっと通過。


 宿の中を流れる川は水量が豊富。


 お昼は旧逸見家で。
 どちらから?と聞かれたので、八王子と答えると、珍しい、とのこと。観光客の多くは関西の人らしい。まぁ、そうだろう。


 こちらは熊川番所。こじんまりとしたものだった。


 若狭街道=鯖街道ではないのだが(笑)
 若狭街道という名のルートもたくさんあるのだが、名乗ったもの勝ちか。


 お土産はくず湯を購入。
(H28.9.4)

若狭小浜散策

2016-09-10 | 関西、北陸
 鯖、ぐじを食べたくなり、久しぶりに小浜に行ってみた。




 小浜駅前のタクシーは観光客にわかりやすいデザインになっていた。



 また、市内循環のバスも設定されたようだ。



 街中を歩いていると市役所があり、北陸新幹線の横断幕が掲げられていた。
 以前は若狭(小浜)ルートと書いてあったと思うが、小浜・京都ルートに変わっていた。



 ホテルはせくみ屋にした。せくみ屋に泊まるのは初めて。



 小浜湾が一望できる部屋。こちらは内外海半島。




 
 大島半島の夕景を眺めた後、食事をしに出かけた。



 夕食は小浜駅近くの「はまがわ」で。
 いままで、たいていは焼鯖定食を注文しているけど、今回は、ぐじ定食にした。
 (H28.9.3)

H28.8.14(日) 阪急百貨店「鉄道模型フェスィバル」

2016-09-10 | 関西、北陸

 今年は上牧~水無瀬間でしたが、なかなか手の込んだもので。見事でした。


 東海道新幹線と阪急京都線の間の仕切りといい、阪急京都線のホームのビミョーなカーブも。




 意外な展示物は、おそらく阪神西大阪延伸線建設時に作ったのではと思われる模型。


 懐かしいもの発見。ポートピアのロゴ。


 そして、さすが阪急。これぞ阪急。

H28.8.13(土) 京都北山散策

2016-09-10 | 関西、北陸
 この日は、京都北山の沢ノ池へ。
 京都駅からJRバスに乗り、槇ノ尾で下車。



 20年くらい前に行ったことあるかもしれないけど、記憶がないので光明寺に立ち寄ってみた。




 紅葉の時期にくるとよさそう。



 「北山85」で道を間違えて1時間ロス。
 沢ノ池に行くには左の細い道を登らねばならないが、右の太い道に進んでしまった。




 沢ノ池は静かな池だった。



 半年ぶりの京見峠。前回は曇っていたけど、この日は晴れていたので、京の町がよく見えた。
 大文字山の大の字がはっきりわかった。五山送り火の前日だからか。


H28.7.18(月) 平城宮

2016-09-10 | 関西、北陸
 大阪に住んでいた2年間、あまり奈良方面には行く時間がとれなかったが、平城京は一度行ってみたいと思っていた。
京都は何度も行っていたが、奈良盆地は、どこの川から水をどこから取っていたんだろうということが気になっており、平城宮に行ってみた。



 電車に乗る前に、前日から気になっていたJR西日本のポスターを改めて眺めてみると、やはりHKT48である。JR西日本は大阪の会社なのに・・・と思うが、まぁ、博多もエリア内である。まぁ、いいか。



 大和西大寺の駅を出て、平城宮に向かって歩き出すと川と交差する。秋篠川。ほほぉ、秋篠の由来を始めて知った。



 平城宮跡資料館の地図を眺めると、奈良盆地を流れる川は秋篠川と佐保川が2大河川。
 京都の鴨川に比べると水量は少なく、どうやって都の生活をしていたのやら・・・。



 阪神×平城宮。昔は考えられない組み合わせだけど、阪神なんば線が開業のおかげ。


 大阪の勤務先では、生駒山がよく見えるところに座っていたが、奈良盆地側から生駒山を見るのは初めて。見えて当然だけど、新鮮。







 あまり観光地化していないためか、東院庭園は静かに鑑賞できた。



大和葛城山、橿原神宮、そして神戸へ

2016-01-16 | 関西、北陸
 冷える一日だったが、そこそこ好天に恵まれた一日だった。

 以前から行きたいと思っていた大和葛城山だが、冬場はアイゼンが必要かもしれないので、買うまで保留にしようと思っていた。金剛山積雪情報によると、「一部アイゼン必要」と案内されていたが、まぁ、今日は大丈夫だろうと決行。
 と言っても、ロープウェイを使うので、実際に山を歩くのは10分あるかどうか。
 近鉄御所駅から奈良交通バスに乗り、ロープウェイ前で下車。


 バスから10人ほど降りたが、みんな登山道に向かい、ロープウェイに乗ったのは私一人。


 始発の9時05分発に乗り、葛城山上へ。
 今日は、気が向いたら金剛山に行こうと思っており、ロープウェイは片道切符を購入。

 眼下には大和三山、飛鳥(明日香)が広がる。10年ほど前に吉野や飛鳥には行ったことがあるけど、昨年12月から吉野、飛鳥と立て続けにお出かけしており、最近はまっているので眺めていて非常に楽しい。


 葛城山上駅から山頂までは650mだが、まったく雪はなく、あっさり、9時半前に山頂到着。
 10分弱の登山だが、山頂に着くと弁当が食べたくなる。


 今日、登ろうかなと思っていた金剛山の山容がよく見えるが、400m下って、600m登るのはなぁ、さらに、葛城高原ロッジの名物「カモ鍋」も捨てがたい。
 結局、食欲に負け、レストランの開店時間を調べてみたが11時とのことで、1時間ほど山頂にいればいいので、眺望をゆっくり眺めることにした。


 大和三山、飛鳥方面は軽くガスがかかってぼんやりしているが、いにしえの舞台の位置関係がよくわかる。


 金剛山の西側に谷間があり、ここが紀見峠であり、南海高野線が通っている。もし、ここに紀見峠がなく、山が連なっていたら南海高野線は存在していただろうか。
 大阪平野もよく見えたが、雲がかかっており、北摂の山々や六甲は見えなかった。
 しかしながら、徐々に霜柱が融けて土が泥っぽくなり、さらに雲が増えてきたので、10時40分、下山することにした。

 ロープウェイで葛城登山口まで下ると、タッチの差でバスが行ったばかりだったのでサンキュータクシーで近鉄御所駅へ。

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 昼からは橿原神宮に行くことにした。


 今年は紀元2677年であるが、神武天皇が崩御して2600年になるらしい。
 あれ、そんなにご長寿だったのかと思ったら、127歳で亡くなったらしい。


 さて、その神武天皇は日本各地に足跡を残しているが、いままで、イマイチよくわかってなかったが、この図は非常にわかりやすかった。




 なかなか立派な神社だけど、気に入ったのは帰り道の風景である。


 二つの鳥居の向こうに音羽山が見え、帰り道も参拝しに行くような気分になる。


 参道の方角がよく考えられたものになっている。

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 夕方は、三宮へ。
 

 16時半頃、東遊園地に着くと、明日の5時46分に向けた準備が整っていた。ボランティアの人たちが準備したようだ。


 21年ということで雪地蔵は21体あるらしい。

 昨年1月17日、東遊園地に行って、普段公開されていないところに初めて入ってみて、東遊園地がとても大事な場所であることを知った。
明日も行ってみようと思う。


 メリケンパークから和泉山脈を眺めて神戸を後にした。