ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

2021.1.3 E257

2021-01-03 | 中央線・中央本線(その他)
 今日も浅川へ。


9581M 豊田~八王子

 去年の1月3日は対馬に行ったけど、韓国からの観光客が激減して閑散としていた。
 そのころは、まさか全世界で旅行がストップするとは思いもよらなかった。


H29.6.24(土) 八王子機関区跡地模様

2017-07-29 | 中央線・中央本線(その他)
 しばらく「八王子機関区跡地模様」を書いていなかったが、3年ぶりに更新。
 今回も、特段、何があったというわけではなく、ふと思いついて撮っただけであるが、移り変わりを残しておきたい。

 西向きから東向きに、順にみていく。








 転車台があったところを拡大。


(過去の記事)
 ⇒ H26.10.12(日) 八王子機関区跡地模様
 ⇒ H25.8.17(土) 八王子機関区跡地模様
 ⇒ H24.4.29(日) 八王子機関区跡地模様
 ⇒ H24.3.15(木) 八王子機関区跡地模様

西豊田駅って、どうなるのかな。

2017-04-16 | 中央線・中央本線(その他)
 最近、中央線に乗ると、そそくさと寝てしまうが、2週間ほど前、豊田~八王子間で南側の景色を眺めていたら面白い看板を見つけた。

 この手の看板を立てるのはたいていナントカ期成同盟会といったところだが、重い腰を上げて動き出したか!!!と思ったが、なぜ浅川を越え、八王子市内に立てるのか。
 いったい、だれが立てたのか・・・と思って近寄ってみてみると・・・。


 アパマンショップ???
 寝た子を起こす(?)カンバンを不動産屋が立てるとは、なかなかやるではないか、と思うが、よく見ると「不動産屋さんがここまでやるか」と書いてある。



 この後、北野天満宮に寄ってみると桜の花びらが参道に散っていた。

H28.11.3 甲州道中小原宿

2016-12-31 | 中央線・中央本線(その他)
 甲州街道の相模湖付近は、小原、与瀬、吉野、関野と、妙に宿の間隔が短い。


 11月3日に小原宿本陣祭があったので、何か手がかりがあればと思い、行ってみた。





 これは、国道20号沿いに掲げられた高札を再現したものであるが、「吉野迄」しか書かれていない。隣の宿は小仏と与瀬なのに、なぜ吉野なのか・・・。




 小原本陣から東に歩いて数分のところに小原の郷というところがあり、ここにも小原宿に関する説明が掲げられている。
 甲州街道に関する本にはサラッと「小原宿は片継ぎ宿で・・・」と書かれているが、この図を見て初めて理解できた。
 鉄道に置き換えれば、小原宿は下り便停車、与瀬宿は上り便停車、といったところか。
 なぜ、このような形態になったのかはなぞだが、我田引宿で小原と与瀬で誘致合戦があったのか、あるいは、小原も与瀬も傾斜地で、まとまった敷地が取れなかったからか、それとも何か理由があるのか・・・。


 さて、イベントのひとつ、大名行列が本陣前を通過。


 神奈中バスが大名行列を追い越していくシーンも見られる。


 相模湖の遊覧船は、30年、あるいはそれ以上乗っていない。10年くらい前に、乗ってみようかなと思った記憶があるが、まぁ、いつでも乗れるし、ということで乗らなかった。
 暇つぶしに乗ってみたが、案内放送を聞いていると「桂川、嵐山、小原、与瀬、吉野など、京都に由来する地名から来ているという説がある」「小原は大原、与瀬は八瀬が転じたものと言われている」と。


 相模湖駅の北西にある孫山(子孫山ノ頭)は、嵐山と桂川との位置関係、山容から愛宕山とつけたくなるのだが・・・。


H28.10.23(日) はまかいじ+西武1249F

2016-10-23 | 中央線・中央本線(その他)
 朝、八王子駅に着くと、西武1249Fがとまっていた。
 少し待つと「はまかいじ」がやって来る時間だったので、「はまかいじ」を待つことにした。


 185系///B3編成///到着。
 5番線の横浜線が、ちょっと邪魔(笑)



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 午前中は武蔵国分寺の僧寺・尼寺を散策したが、空から聞きなれない音がしたので見上げると妙な飛行物体2機発見。


 写真を撮って拡大してみたけど、これがオスプレイか?

国分寺崖線 ~中央線の路線選定~

2016-09-24 | 中央線・中央本線(その他)
 中央線の新宿~立川間の路線選定の経緯については、諸説あり、となっているようであるが、国分寺崖線はできるだけ避けるべきところとして考慮されていたであろう。
 中央線のルートが今よりもう少し、例えば500mほど南を通していたら、国分寺崖線の崖っぷちを走ったり、崖線と交差するところには高低差を埋めるため、高さ10m程度の盛土が必要になっていたかもしれない。
 それはそれで眺めのいい路線になっていたかもしれない。

 同じように、吉祥寺付近も500mほど南を通していたら、井の頭池の水際あるいは池の上を走っていたかもしれない。

 しかし、おそらく路線選定の際、これらは避けるように考えられたのでは、と想像する。

 さて、そんなことを考えながら、今まで国分寺崖線や、その近くの国分寺にも行ったことがないので、行ってみることにした。


 まずは、国分寺の駅を出て、坂を下り野川流域へ。


 このあたりだと野川はまだ細い川だが、水量は少なくない。


 武蔵国分寺公園ではところどころ、彼岸花が見られた。


 武蔵野の雑木林ってこんなところだったのかなと思いながら国分寺崖線を下ると、お鷹の水が見えてくる。




 ちょろちょろ湧き出す湧水もあるが、ここの湧水量は豊富である。


 すぐそばには真姿の池。



 ここで思った。
 中央線路線選定の際に、高低差のある国分寺崖線は避けたかったであろう。しかし、この程度の高低差であれば、切盛の土木工事は、むかしからの築城技術+αで十分対応できただろう。
 それより、これらの崖線から湧き出る湧水は東京の貴重な水源であり、これらを破壊することは考えられなかったのではないだろうか。すなわち、国分寺崖線の高低差よりも、湧水地の分布が路線選定の際の重要なファクターだったのかも・・・。



 お鷹の道を少し歩くと、「おたカフェ」というお店を見つけた。
 国分寺関係のお土産や軽い食事が出るようだ。

 12時を回っており、少々腹が減ってくる時間だったが、さきに国分寺資料館を見ることにした。


 武蔵の国分寺は国分寺崖線の下に作られていたことがよくわかる。
 安定して水が確保できるいい土地だったのだろう。


 昔の道路マップが掲げられているが、このころの東海道は茨城まで行っていた。
 ふふーん、東海道と常磐線はこの時代は直通していたのか・・・と妄想しつつも、「店屋」=いまの町田だろうか。そうすると、小田急と常磐線の直通はこの時代にもあったのか・・・。
 国分寺と豊嶋の間の「あまぬま」は荻窪近くの「天沼」に相当するのだろうか。

 国分寺資料館は、小さな資料館だったが、意外に面白いものを発見できた。



 国分寺はずいぶんと静かなお寺だった。


 さて、「おたカフェ」でランチをとることにした。
 このネーミングは「オタク」の「カフェ」に思えなくもないが、おそらく「お鷹の道」に由来するのだろう。


 若干、変な組み合わせだが、スープカレーと「武蔵国分寺」というお酒を頂いた。国分寺の酒ということで、正直あまり期待してなかったけど、また飲みたいと思う、おいしい酒だった。

 ランチのあと、国分寺の跡地や殿ヶ谷戸公園を歩いてみた。
 (H28.9.21)


神田川にかかる淀橋

2016-09-10 | 中央線・中央本線(その他)
 新宿の高層ビル街は、もともと淀橋浄水場だった、というのは小学校4年生の時に習った。

 では、淀橋って橋があったのか?どこにあったのか?ということに頭が回ったのは、それから30年以上経った後。
 ふと、淀橋、って大阪っぽい地名だな・・・と思い、ふと調べてみると、青梅街道の神田川にかかる橋ではないか。

 神田川が東中野で中央線と交差しているのは知っていたが、西新宿の西側を流れているという意識はなかった。



 こちらは橋の北側。奥が新宿副都心。



 こちらは橋の南側。



 青梅街道の西側、中野坂上の方を見上げると、高いビルが何棟か建っていた。
 中野坂上がどんなところか知らなかったが、丸ノ内線、大江戸線が交差して何気に便利なエリアである。

(H28.8.28)

H26.10.12(日) 八王子機関区跡地模様

2014-10-13 | 中央線・中央本線(その他)
 しばらく「八王子機関区跡地模様」を書いていなかったが、昨年の8月17日以来、久々に。
 特段、何があったというわけではなく、ふと思いついて撮っただけであるので、あしからず・・。ご参考まで・・・。



 地方都市の大きな駅みたい。



 さて、八王子駅3番線には撮り鉄がたくさん。
 まさか「はちおうじ日光」じゃあるまい・・・と見ていたら、EF64プッシュプルが上ってきた(高尾方から下山してきた)。



 プッシュプルなんて、ますます地方都市っぽく(笑)
 八王子は山梨だろ、と言う人が増えないことを祈るばかり。


 10分後に「はちおうじ日光」の送り込み回送がやってきたが、八王子駅3番線にいた方々の姿はすでになく、まったりと撮影。


H26.6.1(日) 211系@塩尻

2014-06-08 | 中央線・中央本線(その他)
 だいぶ前から塩尻に211系が留置、というか放置されている。


 いつも中央本線から眺めていただけだったので、駅前で昼食を食べた後、写真を撮りにデルタ線に行ってみた。


 汚れた感じはない。
 手入れをされているのだろうか。

 全国的に暑い日だったが、信州も暑く、この写真を撮ったらそそくさと駅に戻った。


 塩尻は開宿400周年らしい。


H25.8.17(土) 八王子機関区跡地模様

2013-08-24 | 中央線・中央本線(その他)
 久しぶりに、八王子機関区の跡地をメモっておく。
 10年、20年経ったときに、あの頃どうだったっけ、と思ったときのために。



 東側は黄緑と緑の草地に。
 横浜線にマッチしている?!?!



 機関区の建物はまだ残っており、かろうじて昔をしのぶことができる。



 自転車置き場の西側も緑いっぱい。
 雑草ですけど・・・。



 コンコースにはプラレールがありましたが、電車はなし。
 「8」の字型なのは意味があるのか、ないのか。


(参考)これまでの記事
  ⇒ H24.3.15(木) 八王子機関区跡地模様
  ⇒ H24.4.29(日) 八王子機関区跡地模様

H25.1.6(日) 中央東線臨時普通列車 

2013-01-16 | 中央線・中央本線(その他)
 昨年12月14日に、中央東線に臨時列車が追加されたが、1月5日、6日は普通列車が2往復設定されたので、高尾山から俯瞰することにした。


△M40編成
 臨時普通は豊田のM40だった。
 中央道は空いており、旅行自体をとりやめた人も多いのではないかと思われる。



 4年ぶりに高尾山の山頂まで行ったが、雲っていたわりに富士山はよく見えた。