201系が走らなくなっても、カメラは持ち歩いている。
いつ何時、何が起こるかわからない中央線。
もしもの事態を期待するのはなんだが・・・。

改正後最初の月曜日はH57編成で出勤。
途中下車して201系を捕まえる生活は終わった。(H22.3.15)

火曜日は、四ツ谷で819H国分寺行きを捕まえた(H57編成)。(H22.3.16)

朝早く出勤。
八王子で送込み回送を撮ったが、あれれ、復活していたとは。(Ne-201編成)(H22.3.17)

夜、東京駅に行くとJTBラッピングのT3編成が。(H22.3.18)

ここで何度も201系を撮ったが、これからはE233の記録か。(H22.3.19)

お彼岸モードの高尾駅(H22.3.19)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
201系を追いかける生活は終わったが、ついつい何かしら撮りたくなる。
生活習慣病である。
いつ何時、何が起こるかわからない中央線。
もしもの事態を期待するのはなんだが・・・。

改正後最初の月曜日はH57編成で出勤。
途中下車して201系を捕まえる生活は終わった。(H22.3.15)

火曜日は、四ツ谷で819H国分寺行きを捕まえた(H57編成)。(H22.3.16)

朝早く出勤。
八王子で送込み回送を撮ったが、あれれ、復活していたとは。(Ne-201編成)(H22.3.17)

夜、東京駅に行くとJTBラッピングのT3編成が。(H22.3.18)

ここで何度も201系を撮ったが、これからはE233の記録か。(H22.3.19)

お彼岸モードの高尾駅(H22.3.19)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
201系を追いかける生活は終わったが、ついつい何かしら撮りたくなる。
生活習慣病である。
~3月13日~

8時半頃、トタ区に行ってみると、H7編成は9レーンで寝ていた。
都内への行き帰りにムコ区を見たが、H4編成がとまっていた。

15時過ぎに行ってみたが、やはり同じ。
~3月14日~

日曜も8時半頃に行ってみたが、H7編成は前日と変わらず。

昼過ぎに金曜にムコ区に入ったH4編成がトタ区に回送された。
撮った後、自転車を全力疾走させて豊田駅に向かうと1番線に停車中のH4編成に追いついたが、私が追いつやいなや動き出した。
またまた、必死に自転車を漕ぎ、踏切を越え、洗車場までH4編成と並走した。

H4編成は洗車場付近でいったん停止したため、トタ区に入るところを納めることができた。
ひょっとするとH7編成の隣に入るのかな・・・と期待し、再び自転車で車庫の西側へ。

すでに数人がH4・H7編成の並びを撮っていた。



裏番組は青663編成の訓練。
この日の午前中、東京駅で、子供をつれた父母が「オレンジ色の電車はいつくるのか」と運転士に尋ねるところを見かけたが、運転士は申し訳なさそうに「この時間は走っていないんですよ」と答えていた。
この親子はJRのホームページか何かを見てやってきたのだろう。
なんだか気の毒だったが、この運転士も気の毒だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
中央線201系は、14日の日曜以降、豊田の8・9レーンに停まったままである。
ダイヤ改正後の運用減その他理由で、やはり動かないようである。
H4・H7編成の運転は、愛されて・・・キャンペーンの中でも目玉だったはずだが、当面運転予定がないのであれば、その旨をホームページに掲載した方がいいのではと思うが。
いくら「予定」と書かれているとはいえ、遠方から高い運賃・料金を払ってやってきている人もいるだろう。
私も、もし地方勤務だったら、3連休に帰ってくれば一日くらいは撮れるだろうと思ったかもしれない。
~3月20日~

すっかり展示場になっているようである。
ここでオレンジカードを売ったら、売れるだろうなと思うが。

8時半頃、トタ区に行ってみると、H7編成は9レーンで寝ていた。
都内への行き帰りにムコ区を見たが、H4編成がとまっていた。

15時過ぎに行ってみたが、やはり同じ。
~3月14日~

日曜も8時半頃に行ってみたが、H7編成は前日と変わらず。

昼過ぎに金曜にムコ区に入ったH4編成がトタ区に回送された。
撮った後、自転車を全力疾走させて豊田駅に向かうと1番線に停車中のH4編成に追いついたが、私が追いつやいなや動き出した。
またまた、必死に自転車を漕ぎ、踏切を越え、洗車場までH4編成と並走した。

H4編成は洗車場付近でいったん停止したため、トタ区に入るところを納めることができた。
ひょっとするとH7編成の隣に入るのかな・・・と期待し、再び自転車で車庫の西側へ。

すでに数人がH4・H7編成の並びを撮っていた。



裏番組は青663編成の訓練。
この日の午前中、東京駅で、子供をつれた父母が「オレンジ色の電車はいつくるのか」と運転士に尋ねるところを見かけたが、運転士は申し訳なさそうに「この時間は走っていないんですよ」と答えていた。
この親子はJRのホームページか何かを見てやってきたのだろう。
なんだか気の毒だったが、この運転士も気の毒だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
中央線201系は、14日の日曜以降、豊田の8・9レーンに停まったままである。
ダイヤ改正後の運用減その他理由で、やはり動かないようである。
H4・H7編成の運転は、愛されて・・・キャンペーンの中でも目玉だったはずだが、当面運転予定がないのであれば、その旨をホームページに掲載した方がいいのではと思うが。
いくら「予定」と書かれているとはいえ、遠方から高い運賃・料金を払ってやってきている人もいるだろう。
私も、もし地方勤務だったら、3連休に帰ってくれば一日くらいは撮れるだろうと思ったかもしれない。
~3月20日~

すっかり展示場になっているようである。
ここでオレンジカードを売ったら、売れるだろうなと思うが。
3月第2週は、京王利用を中止し、中央線に復帰。
2月に比べ駅撮りしている人が増えていた。
疲労気味であまり撮らなかったが、木曜・金曜は多少気合を入れた。
~3月8日(月)~

△H4編成 25T運用
豊田から回送されてきた。

大月発の通特との並び。

△H7編成 73T運用
東小金井にて

△H4編成 25T運用
東小金井で捕まえて、出勤。
~3月10日(水)~

△H4編成 29T運用
前日に雪が降ったが、横浜に行っており、雪景色写真はパスした。
八王子市内はかなり積もっていたので、翌朝、都内でも撮れるだろうと思ったが、期待外れ。
多摩地区で撮るべきだった。
~3月11日(木)~

△H4編成 83T運用
高尾から乗車して出勤。
これが、ダイヤ改正前最後のH4編成乗車となった。

帰りは、立川でH4編成の回送を狙って、東京駅22時頃の特快に乗ったが、国分寺あたりから徐々に遅れが広がり、20分ほどの遅れになった。
立川に進入する際、明かりを灯した201系を発見。
少々待ったが、回送が撮れた。
~3月12日(金)~

△H4編成
前日、83Tだったので、念のため85Tの時間に合わせてトタ区に行ってみたが、動く気配なし。
どうやら出勤前には撮れそうにないので、H4はあきらめた。
H7編成は07H運用で出てくるのではと思ったので、ムコ区へ。
思ったとおりの表示をしていたが、出てくるまで40分ほど時間があるで、立ち食いそばで朝食。

△H7編成 07H運用
八王子行きが2番線に入線。

夕方、仕事が終わると、そそくさと中央線へ。
通勤客を運ぶ姿こそ、201系本来の姿、と思っている。

夜の青梅はほとんど撮ってなかったので、青梅へ。
疲れたので、ここで撮影終了とした。
この日は、午後は休みを取って2459レを撮る予定だったが、午後半休はウヤとなってしまったが、青梅で撮れたのはよかった。
2月に比べ駅撮りしている人が増えていた。
疲労気味であまり撮らなかったが、木曜・金曜は多少気合を入れた。
~3月8日(月)~

△H4編成 25T運用
豊田から回送されてきた。

大月発の通特との並び。

△H7編成 73T運用
東小金井にて

△H4編成 25T運用
東小金井で捕まえて、出勤。
~3月10日(水)~

△H4編成 29T運用
前日に雪が降ったが、横浜に行っており、雪景色写真はパスした。
八王子市内はかなり積もっていたので、翌朝、都内でも撮れるだろうと思ったが、期待外れ。
多摩地区で撮るべきだった。
~3月11日(木)~

△H4編成 83T運用
高尾から乗車して出勤。
これが、ダイヤ改正前最後のH4編成乗車となった。

帰りは、立川でH4編成の回送を狙って、東京駅22時頃の特快に乗ったが、国分寺あたりから徐々に遅れが広がり、20分ほどの遅れになった。
立川に進入する際、明かりを灯した201系を発見。
少々待ったが、回送が撮れた。
~3月12日(金)~

△H4編成
前日、83Tだったので、念のため85Tの時間に合わせてトタ区に行ってみたが、動く気配なし。
どうやら出勤前には撮れそうにないので、H4はあきらめた。
H7編成は07H運用で出てくるのではと思ったので、ムコ区へ。
思ったとおりの表示をしていたが、出てくるまで40分ほど時間があるで、立ち食いそばで朝食。

△H7編成 07H運用
八王子行きが2番線に入線。

夕方、仕事が終わると、そそくさと中央線へ。
通勤客を運ぶ姿こそ、201系本来の姿、と思っている。

夜の青梅はほとんど撮ってなかったので、青梅へ。
疲れたので、ここで撮影終了とした。
この日は、午後は休みを取って2459レを撮る予定だったが、午後半休はウヤとなってしまったが、青梅で撮れたのはよかった。
2月25日、JR東日本八王子支社のホームページに201系H4編成引退が告知された。
ここまでやるか、と思ったが・・・。
4月に入ると編成が組み替えられ、実質的にイベント列車となるのではないかと思われるが、となると10両編成で活躍する姿を見られるのは、確実なところであと1ヶ月ほどだろうか。

△H4編成 87T運用 H22.2.22
この頃は、3月末で引退かもしれない、と思っていた。

△H4編成 05T運用 H22.2.26
2月中旬に定期券が切れてから、京王線利用が多いが、この日は中央線で、両編成を撮って帰宅。
東小金井で夜の上りを撮ったのは、これがはじめてかも。

△H7編成 07H運用 H22.3.1
夜は、H7編成を待って帰宅。
待つ間に東京時刻表を買って車内で中央線平日朝の上りダイヤをチェック。
始発から新宿発8時32分発までは、時刻、発駅ともに変更されていないことを確認。

△H4編成 21T運用/H7編成 51T運用 H22.3.6
帰宅時に時刻表を眺めていると、立川で並びが撮れるのがわかった。
しばらくH4・H7編成の並びを撮ってなかったので、久々の収穫。
ここまでやるか、と思ったが・・・。
4月に入ると編成が組み替えられ、実質的にイベント列車となるのではないかと思われるが、となると10両編成で活躍する姿を見られるのは、確実なところであと1ヶ月ほどだろうか。

△H4編成 87T運用 H22.2.22
この頃は、3月末で引退かもしれない、と思っていた。

△H4編成 05T運用 H22.2.26
2月中旬に定期券が切れてから、京王線利用が多いが、この日は中央線で、両編成を撮って帰宅。
東小金井で夜の上りを撮ったのは、これがはじめてかも。

△H7編成 07H運用 H22.3.1
夜は、H7編成を待って帰宅。
待つ間に東京時刻表を買って車内で中央線平日朝の上りダイヤをチェック。
始発から新宿発8時32分発までは、時刻、発駅ともに変更されていないことを確認。

△H4編成 21T運用/H7編成 51T運用 H22.3.6
帰宅時に時刻表を眺めていると、立川で並びが撮れるのがわかった。
しばらくH4・H7編成の並びを撮ってなかったので、久々の収穫。
2月28日、阪急京都線の6300系が、京都線「特急」「通勤特急」から引退した。
風邪気味であったが、阪急6300系の最後は見ておきたいと思い、迷いなく出陣。
送込み回送は桂川で。
曇っていたが、北山をバックに撮れたのはよかった。

河原町12時30分発梅田行き。

桂駅で。
貨物が来ればと思ったが・・・、かなわず。

2往復目は淀川で。

三複線の中でも京都線の6300系は羨望の的だった。

6350Fが河原町に行っている間に、少々神戸線に寄り道。
神戸線の100周年ヘッドマーク車両を撮ろうと思い、夙川駅で30分ほど待ち構えてみたが、まったく来なかった。
「摂津市」ヘッドマーク編成はやってきたが・・・。

河原町発最後の6300系特急に乗るため、再び京都線へ。
淡路で、堺筋線との離合を。

最後の梅田行きとなる6350Fが河原町に到着。
阪急京都線の特急に乗るのは3年ぶりくらいだろうか。
先頭車の席は埋まっていたので2両目に乗車。
最後の6300系特急は、桂、長岡天神・・・と小刻みに停車し、梅田に向かう。
35年間を振り返ってみると、6300系が華々しかったのは、90年代半ばまでだったのかもしれない。
JR西日本の果敢な攻勢に、阪急京都線は苦戦を強いられた。
新快速が高槻に停車する以上、阪急は中間駅にも特急を停めざるをえなくなったが、2ドア車両は足かせとなってしまった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
淀川を渡る時、東の空に満月が見えた。
そしてほぼ定刻に梅田駅9号線に到着。
9号線のまわりにはもちろん、8号線にもたくさんの観衆が並んでいた。
駅員が必死に下車客を誘導し、騒然としていた。

鉄道ファンはもちろん、おばさんや若い女性も少なくなかった。

18時20分、最後の6300系、河原町行き特急がゆっくりと動き出した。
出発とともに梅田駅に拍手が鳴り響き、駅員が大きな声で「ありがとうございました」と一礼するのが見えた。
そして、再び拍手。
さすが阪急。
騒然とした中でもトップスターの引退を見届けようとするファンには応えようとしているような気がした。
とても印象深い阪急梅田劇場だった。
風邪気味であったが、阪急6300系の最後は見ておきたいと思い、迷いなく出陣。

送込み回送は桂川で。
曇っていたが、北山をバックに撮れたのはよかった。

河原町12時30分発梅田行き。

桂駅で。

貨物が来ればと思ったが・・・、かなわず。

2往復目は淀川で。

三複線の中でも京都線の6300系は羨望の的だった。

6350Fが河原町に行っている間に、少々神戸線に寄り道。
神戸線の100周年ヘッドマーク車両を撮ろうと思い、夙川駅で30分ほど待ち構えてみたが、まったく来なかった。
「摂津市」ヘッドマーク編成はやってきたが・・・。

河原町発最後の6300系特急に乗るため、再び京都線へ。
淡路で、堺筋線との離合を。

最後の梅田行きとなる6350Fが河原町に到着。
阪急京都線の特急に乗るのは3年ぶりくらいだろうか。
先頭車の席は埋まっていたので2両目に乗車。
最後の6300系特急は、桂、長岡天神・・・と小刻みに停車し、梅田に向かう。
35年間を振り返ってみると、6300系が華々しかったのは、90年代半ばまでだったのかもしれない。
JR西日本の果敢な攻勢に、阪急京都線は苦戦を強いられた。
新快速が高槻に停車する以上、阪急は中間駅にも特急を停めざるをえなくなったが、2ドア車両は足かせとなってしまった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
淀川を渡る時、東の空に満月が見えた。
そしてほぼ定刻に梅田駅9号線に到着。
9号線のまわりにはもちろん、8号線にもたくさんの観衆が並んでいた。
駅員が必死に下車客を誘導し、騒然としていた。

鉄道ファンはもちろん、おばさんや若い女性も少なくなかった。

18時20分、最後の6300系、河原町行き特急がゆっくりと動き出した。
出発とともに梅田駅に拍手が鳴り響き、駅員が大きな声で「ありがとうございました」と一礼するのが見えた。
そして、再び拍手。
さすが阪急。
騒然とした中でもトップスターの引退を見届けようとするファンには応えようとしているような気がした。
とても印象深い阪急梅田劇場だった。