ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

小田急 「5000形10両さよなら運行」

2011-01-30 | 京急・東急・小田急
 小田急は80年代の半ばの一年間、通学で利用していた。

 当時は、ステンレスの1000形の登場前で、ブラックフェイスの8000形が新しい顔の時代であった。

 “おでこ”に前照灯2つというスタイルは、京王5000系、阪急2000・3000・5000系など、私のなじみのある私鉄では比較的よく見られた顔であったが、一世代前の少々古くさい顔と思っていた。

 今となっては、記録に残しておきたい顔であり、この週末は小田急に出かけた。


◆1月29日(土)

 土曜日は寝坊したので、はるひ野で迎撃。



◆1月30日(日)
 今日は登戸で下車して多摩川へ。
 1時間ほど前についたが、10名ほどが堤防に並んでいた。

 
 RSEは今年で20周年。


 8000形がくると嬉しい。


 営団車!


 小田急のブラックフェイス。


 本番は曇った・・・。

H23.1.10(月)根府川雪化粧

2011-01-10 | 東海道線、東海道新幹線
 土日、天気はよかったものの寒さと、パワーポイント作成で外に出ず。
 運動不足解消のため、横浜線始発に乗って根府川へ。

 小田原で降りると、非常に寒い。
 静岡行きに乗ると、右手に真白な山が。
 道理で寒いものだ。



 根府川で降りて、東京行きを。
 雪山バックに、朝日ギラリ。


 本来、2053レを撮りに行ったのだが、来なかった。
 どうしたのかなと思って、あっそうか・・・と。
 踊り子を撮って撤収。

H23.1.4(火)H56編成で初出勤

2011-01-04 | E233系

△H56編成 820H
 本年最初の出勤はH56編成だった。

 立川で立ちそうな客に目星をつけ的中したが、まわりに2席ほど空いたまま立川出発。
 まだ休みの人が多いようだ。

 武蔵境に到着すると「先行の通勤特快、急病人発生により三鷹停車。この電車も少々停車する」との放送が流れ、若干遅れ発生。
 新宿には4分遅れで到着した。

中央線201系引退後

2011-01-03 | その他
 中央線201系の運行が終わり、翌日から手持ち無沙汰になってしまったが、しばらくはE233を撮りながら通勤していた。
 しかし、10月後半から忙しくなり、いかに座るかが最大の関心事となり、途中駅で下車して撮るようなことはほとんどなくなってしまった・・・。


 H7編成が長野に行った次の週末はトタ区へ行ってみた。
 こちらは今までと変わらずクハ201-1が残っている。
 (H22.10.23)




 翌日は広島車両所へ。
 (H22.10.24)

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 11月に入って、久々に青梅線の青梅以西へ。
 H7編成亡き後は、DJを見ながら行動を決めているような・・・。
 (H22.11.3)

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 11月6日の夜は終電近くまで切替工事を観察。
 (H22.11.6)

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 東北新幹線全通前に青森へ。
 (H22.11.19)


 三内丸山遺跡の近くで試運転列車を撮影。
 (H22.11.20)


 帰りに東北本線を走る特急や貨物を撮影。
 (H22.11.20)

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 12月に再び東北へ。
 これまで未乗区間だった新庄~横手間乗りつぶし。
 (H22.12.18)


 翌日は、未乗区間だった東能代~五所川原を乗りつぶし。
 これで、東北地方の未乗区間は中小国~三厩、花巻~釜石、盛岡~宮古、そして岩泉線となった。
 (H22.12.19)

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 前から仁科三湖で撮ってみたかったので木崎湖へ。
 野生のサルがたくさんいた。
 (H22.12.26)



 10月から12月にかけて頻繁に遠出したが、中央本線はどこで撮っても飽きない。
 (H22.12.29)

中央線201系H7編成 廃車回送(H22.10.17)

2011-01-02 | 中央線201系(H21.8.21~)
 H7編成のさよなら運転を浅川で見送った後、大宮からあさまで長野に向かい、冠着へ。


 お昼は大宮弁当。


 長野で直江津行きや飯山線を撮って暇つぶし。


 H4編成のさよなら運転と同じく冠着で撮ることにした。


 H7編成が悠々と近づいてきた。
 最後の回送を見届けることができ、達成感を感じた。


 冠着で小休止。


 たくさんの人に見送られ、冠着を出発。
 走行しているH7編成を見た最後の場面となった。


 その後、後続の長野行きに乗車。


 H7編成は無事、長野に到着していた。
 明かりが灯っており、また動き出しそうに思えたが、ここでお別れとすることにした。


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 帰りの長野行きの車内で、このブログを見ていただいている方にお会いした。

 平成19年8月に八王子に戻ってから201系を撮り続け、平成21年1月からこのブログをはじめたが、この間、沿線で201系を追いかけるたくさんの方にお会いした。
 また、お会いした方々が作っていると思われるブログから撮影地、撮り方などを真似させていただいた。

 中央線から201系が消えた今、これらの方々にお会いする機会はめっきり減ったが、中央線沿線に住んでてよかったと思っている。

中央線201系H7編成 最後の八王子市内走行(H22.10.17)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 H7編成の最後は前々から浅川で撮ろうと思っていたが、八王子の街の風景を入れて撮りたいとも思った。

 そこで、トタ区からも近い浅川左岸から撮ることにした。

 浅川に行ってみると右岸側は100人ほどの大群が中央線に向かってカメラを構えていたが、左岸側は私以外に一人いたのみ。
 そんなにこちら側で撮るのはマイナーかと驚いた。
 

 踏切の音が鳴り、林の中からH7編成が飛び出してきた。





 浅川をわたり、八王子市内へ入っていく。



 たくさんの人に見送られてH7編成が浅川に別れを告げた。

中央線201系H7編成 トタ区との別れ(H22.10.17)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)

 10月17日、8時半過ぎにトタ区に行ってみると、H7編成が出発準備をしていた。



 豊田駅には横断幕が。



 9時56分、H7編成がゆっくりと動き出す。
 変な例えかもしれないが、このシーンはご出棺と同じ気持ちになる。



 30年余り中央線を支えてきた201系がクハ201-1を残し去っていく。





 一両、一両、ゆっくりと。



 JR社員も記録撮影していた。

 H7編成は「さよなら運転」の乗客が待つ豊田駅に向かっていった。

中央線201系定期運用終了(H22.10.14)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 この日は15時まで会合があったが、午後は半休を取っていたので、終了後直ちに退社し、東京駅へ。

 朝は八王子駅を発着するH7編成を撮ったが、夕方は帰宅客の並ぶ東京駅で撮ることに。
 中央線201系が東京駅の2番線に入るのは、これが最後である。
 17時半だとまだ帰宅ラッシュのピーク前であるが、201系入線前に乗客の列ができた。





 東京駅では201系を最もよく撮った場所であるが、ここでの撮影はいよいよ最後となる。
 慎重にシャッターを押した。



 定期運用最終日とあって、H7編成が到着すると、学校帰りの学生たちが201系の顔のまわりをとり巻く。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 H7編成は、立川まで往復した後、東京駅19時27分発の豊田行きとなり、これをもって中央線における通勤輸送の使命を終える。

 19時前に、会社から仕事の電話があったが、19時20分以降、1時間ほどは電話に出られないのでよろしく、と伝える。


 


 最後は東京駅重層化で登場したアーチ屋根の下で入線風景を撮ることにした。



 ドアが開き、東京駅最後の乗降が始まる。


 感慨深いものがあり、ゆっくり眺めたいところだが、乗り逃すわけには行かないので、数枚撮影して、モハ201-254に乗り込む。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 帰宅ラッシュ時間帯だが、それにしても混雑している。
 まわりを見渡すと、そこらじゅうに見覚えのある顔が。
 沿線の201系ファンが集結しているのだ。

 神田、御茶ノ水と、一般客も何かを察したのか、乗る前に写真を撮っている。

 201系は、飯田橋の急カーブをいつもどおり通過し、お堀端を快走。

 新宿では、いつもより多くの乗客があり、出発がやや遅れた。

 中野駅でも乗降に手間取っているようでホームから「この電車、通常より混雑しております」という放送が聞こえてきた。
 通常ではないことを匂わす放送に、車内の201系ファンは苦笑。
 一般客も、「この電車、最後みたいだね」などと話している。

 途中駅で、普段から201系を追っかけている人が下車しているのが見えた。
 あれ、豊田まで行かず、ここで降りてしまうのか・・・と思ったら、写真を撮り、再び乗車していた。
 自分の駅の201系最後の停車を撮ったのだろうか。


 通常であれば、少しづつ乗客が減るのだが、なかなか減らない。
 三鷹、武蔵境、東小金井・・・と、201系は各駅に別れを告げ、終着豊田がだんだん近づいてくる。
 ムコ区を見下ろすと、あと少しだなと思う。



 国分寺では通勤快速大月行きを待つため、少々停車。
 最後尾1号車は撮影会状態になっていた。

 
 再び2号車に戻り、車内を見渡すと、201系ファンばかり。
 これまで中央線・青梅線などで見かけた201系ファンが集結し、最後の定期運行にふさわしい車内となっていた。


 最後の多摩川もいつもどおり爆音をとどろかせ通過。

 日野駅を出るといよいよ最後の一駅である。
 車内の乗客は最後の一駅を様々な思いで過ごしているようであった。


 豊田駅に入る手前で、車内放送が流れる。
 車掌は最後に「本日は201系にご乗車いただきましてありがとうございます」と添え、車内の乗客は満足げであった。

 H7編成は、途中混雑したものの、豊田駅にて無事使命を終えることができた。





 中央線201系が最後の定期運用を通勤電車本来の姿で終えられたこと、そしてたくさんの201系ファンとともに過ごせたことはなによりであった。

中央線201系最後の出勤(H22.10.14)

2011-01-01 | 中央線201系(H21.8.21~)
 いまさらではあるが、中央線201系H7編成、最後の定期運用のことは書いておかねばならない。

 10月14日、この日は休みにしたかったが、午前中と15時頃まで会合があったので、午後半休の扱いとし、朝は通常出勤、午後は会合終了後に抜け出すこととした。



 最後の運用は15T運用。
 最後はやはり地元八王子駅を発着するところを撮りたかったので、まずは高尾行きを4番線で撮影。



 そして、2番線で見慣れた風景を。
 何度も撮った風景だが、さすがにこの時は緊張した。



 H7編成に乗り込む乗客を撮って、2号車に乗車。
 最後の201系での出勤となった。



 四ツ谷で中央特快高尾行きを見送り、いったん中央線を離脱。