ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H29.7.16(土) 鹿児島市交通局の車庫移転

2017-07-30 | 路面電車・LRT
 鴨池港からバスで鹿児島中央駅に向かう際に、「二中通」という聞き覚えのない電停を見かけた。この辺は市電の車庫があるので、「交通局前」のハズだが・・・と車庫のある方を見ると更地化されており、ビックリ。

 どういうこっちゃ???と調べてみると、どうやら昨年、車庫を移転したらしい。


 鹿児島中央駅に着いた後、2系統に乗り、「神田(交通局前)」へ。


 こちらが、本線から分岐する入出庫線。




 隣は公園になっており、車庫を眺めるための(?)ベンチまで置かれている。






 公園の隣には市民病院が新設されていた。この一帯は、もともと何かの跡地で、跡地利用の動きがなかなか見えなかったが、いつの間にか市民病院と車庫が移転しており面食らった。




 これは元々あったのか知らないが、センターポール化事業の竣工碑があった。


 桜島バックに、鹿児島らしい車庫風景が撮れる。

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 1系統は「交通局前経由」だったのが、「騎射場経由」に変わっていた。

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 さて、むかしの交通局前、現在の「二中通」に移動。
 本線から分岐する入出庫線の分岐はすでに剥がされていた。


 上下のわたりは電車線とともに健在と思われる。


 本当に広大な更地になっており、信じられない・・・。


 まさか、廃線跡を見るとは・・・。


 跡地にはこのような記念碑が設置されていた。



 北端から基地の跡地を望む。
 このあたりにトラバーサーがあったのだが。




 跡地の北端には変電所が新設されていた。


 こちらも廃線跡。




 交通局が移っても、マンションの名前は「交通局前」のまま。
 都立大学、学芸大学のようなものか。

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 車庫めぐりを終えた後、日没前の桜島をしばらく眺めた。




 夕食は「さつま路」で。


H29.7.16(土) 鹿児島中央駅にて

2017-07-29 | 九州
 7月の3連休は3年ぶりに鹿児島へ。
 メインの目的は薩摩・大隅の国分寺・一宮めぐりだが、通りがかりの鹿児島中央駅で懐かしい車両を見ることができた。



 415系って、こんなに鹿児島にいたっけ???



 しばらくするとハイパーサルーンが入ってきた。
 鹿児島中央(西鹿児島)でハイパーサルーンを見るのは1993年の夏休み以来である。
 その頃は鹿児島に新幹線がやってくるなんて思っていなかったし、駅ビルに観覧車ができるなんて思いもしなかった。

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△きりしま82号
 夜、鹿児島中央駅に行くと787系が停まっていた。

 鹿児島中央(西鹿児島)で787系を撮るのは平成16年3月13日以来、13年ぶりとなる。



△西鹿児島駅に到着した最後の博多発西鹿児島行きつばめ(H16.3.13)

 787系が登場したのは1992年7月。
 博多~西鹿児島間を運行していたのは12年間であるが、いつの間にか、その後の期間の方が長くなっている。
 実感にあわない。
 


(過去の記事)
⇒ H23.3.3(木)いよいよ引退 485系「きりしま」

H29.7.2(日) 青梅駅のホーム工事

2017-07-29 | E233系

 中央線のグリーン車導入に向けて工事が進められている青梅駅を見に行ってみた。





 他の駅では12連化工事をしている気配もなく、そもそも用地取得や配線変更など、相当な準備がいると思うが、なぜ、この青梅駅だけ(遅れているとはいえ)工事が進んでいるのか。




 停目を見て、青梅駅の12連化対応工事は、グリーン車導入のためと言いつつ、E353のライナー導入に向けての工事ではないだろうか、と思った。






 久しぶりに青梅の駅前を歩いたが、地方中小都市でもなかなか見られない寂れ具合であり、いくら東京圏の郊外でも、地域再生が難しい時代に入ってきているのかなと思った。

H29.6.24(土) 八王子機関区跡地模様

2017-07-29 | 中央線・中央本線(その他)
 しばらく「八王子機関区跡地模様」を書いていなかったが、3年ぶりに更新。
 今回も、特段、何があったというわけではなく、ふと思いついて撮っただけであるが、移り変わりを残しておきたい。

 西向きから東向きに、順にみていく。








 転車台があったところを拡大。


(過去の記事)
 ⇒ H26.10.12(日) 八王子機関区跡地模様
 ⇒ H25.8.17(土) 八王子機関区跡地模様
 ⇒ H24.4.29(日) 八王子機関区跡地模様
 ⇒ H24.3.15(木) 八王子機関区跡地模様

H29.6.18(日) 北条鉄道

2017-07-29 | 関西、北陸
 神鉄粟生線に乗った後、北条鉄道にも乗ってみた。
 北条鉄道も神鉄粟生線と同じく、平成15年7月に乗って以来、14年ぶり2回目の乗車。
 粟生10時35分発のフラワ2000-2に乗車。

 途中、法華口で降りて、法華山一乗寺(西国三十三所第26番)でも行こうか迷ったけど、暑いので終点まで乗車。


 終点に近づくと、見覚えのある駅前の複合施設が見えてきた。




 旅先でコープに入ることはめったにないが、久しぶりに食べたくなったので、こちらを購入。

H29.6.18(日) 神鉄粟生線

2017-07-29 | 関西、北陸
 4年ほど前に、神鉄粟生線の存続が話題になっていることを知った。
 昔は、神戸の都市開発を支えた路線のひとつであり、部分複線化も行われたが、いつの間にか存亡の危機に至っているということに驚いた。
 最初に神鉄粟生線に乗ったのは平成15(2003)年の夏であり、その後、夕方ラッシュ時に2回ほど乗ったことがあるが、沿線風景の記憶が消えてしまった。
 この日は特に予定もなかったので、粟生線に乗ってみることにした。



 新開地9時07分発の志染行きに乗車。


 鈴蘭台で緩急接続の待ち時間に新開地行きの6000系を撮ったが、留置線にも6000系が停まっていた。6000系は少しづつ増えているようであるが、4両固定編成は利用状況からするとちょっと長いような気がしないでもない。


 前から思っているのだが、たいして所要時間短縮するわけでもないのに、鈴蘭台でわざわざ後続の有馬線準急を待つ必要があるのだろうか。
新開地~鈴蘭台間の運転間隔を均等化した方がいいような気がするのだが。



 志染駅は2面3線で、志染折返しの列車は3番線に入る。
 沿線風景を見ていると、東京圏で言うと八高(南)線・川越線くらい、志染まででもデータイム毎時4本は少々過剰かなという気がした。

 ただ、利用に見合った頻度設定にして減便した場合、選ばれない路線になり、負のスパイラルに陥る恐れもあり、経費節減策というのも悩ましいのだろう。



 志染駅にはこのような看板が掲げられていた。「乗って残そう」というフレーズは全国でよく使われるが、あまり沿線の人々に響かない言葉だと言う話を聞いたことがあり、それを思い出した。神鉄沿線の人はおそらくマイカー利用が主になっていると思うが、そのような人々に響くだろうか・・・。


 話は変わるが、私が子供のころ見ていた鉄道の図鑑では、神鉄の車両はこの形式のイラストが載っていた。


 志染からは10時35分発の粟生行に乗車。乗った車両は6504であり、初の6000系乗車である。
 小野駅では乗客の半分が下車したが、同じくらい乗車があり、この地区の中核となっていることが伺えた。



 終点、粟生に到着。


 加古川線は1両もしくは2両編成。
 粟生線もこれくらいの長さでもいいような気がする。
 神戸の郊外電車と言う認識でいたが、志染以西は播磨のローカル線と思った方がいいんだろうなと思った。



 こちらは現在の時刻表。


 こちらは平成15年7月の時刻表。データイム以降はほぼ半減している。

H29.6.17(土) 浜大津にて

2017-07-29 | 路面電車・LRT
 順次、車両が塗装変更されるということで、30分ほど浜大津で張り込み。


△707
 いきなり塗装変更車が来たので、もう変更車はだいぶ増えてしまっているのか・・・とビビる。


△613


△703


△611


△813


△813(左)、801(右)


△601


△603


△809(手前)、813(奥)


△701

 塗装変更車は最初の一本のみ。
 ただ、ラッピング編成もあるので、油断しているとあっけなく旧塗装探しが非効率になってしまうかも。



 琵琶湖のほとりまで散歩して、比叡山と比良山系を眺めて休憩。