ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

会津鉄道6050系

2021-12-29 | 東北
27日に会津鉄道へ。
鬼怒川公園から会津若松行きの快速に乗り会津田島で下車。
雪の中、列車が撮れそうなところへ。


まずは下り会津田島行きを


続けて折返しを

寒かった。

H28.9.17(土) 釜石線

2016-09-22 | 東北
 盛から三陸鉄道に乗り、釜石へ移動した後、釜石線に乗車した。
 

 JR釜石線のホームから盛~釜石間で乗車した36-703を撮影。
 盛から三陸までツアー客が乗車しており、唐丹までは車内販売も乗車しており、賑やかな車内だった。


 釜石駅には「あすなろ」が来ていた。9月17~19日に「リゾートあすなろ釜石」として盛岡~釜石間で運行された臨時列車だったようだ。


 陸前大橋のΩカーブでまずは下からトラス橋を眺める。


 陸中大橋を通過した後、何本かトンネルを通りぬけ、さきほど通った線路を俯瞰。
 釜石線は5年ぶりの乗車。次回来たときは遠野に泊まろうと思っていたが、今回は通過となってしまった。




 快速は盛岡行だったが、花巻駅で下車。花巻駅の西口に花電車が置いてあると思っていたが、行ってみると勘違いで、カンバンが設置されているのみだった。


 今年(平成28年)は宮沢賢治生誕120年らしい。


H28.9.17(土) 大船渡線BRT(奇跡の一本松→盛)

2016-09-19 | 東北
 奇跡の一本松バス停からBRTに乗車し盛に向かう。


 陸前高田のバス停は丘の上の、陸前高田ICに近いところに設けられていた。


 小友付近はバス停の前後のみ専用道となっていたが、専用道区間の終点から先、盛方面に向かって専用道の延伸と思われる工事が行われていた。


 下船渡バス停から再び専用道に入り、終点の盛までは専用道を走行する。

 昼飯を食べた後で、うつらうつらしていたので記憶が怪しいが、下船渡バス停の気仙沼方でも専用道の延伸工事をしていたような・・・。
 在来線の線路をはがして、BRT専用道を整備するにはいくらか時間を要するであろう。今後も少しづつ専用道区間が拡大していくのかもしれない。



 盛駅は気仙沼駅と同様に、駅構内にBRT乗り場が設けられ、三陸鉄道と同一ホーム乗換えができるような構造になっていた。




 運がいいと、岩手開発鉄道の貨物列車とBRTがセットで撮影できる。










 JRの盛駅にはNゲージの模型が置いてある。


陸前高田 奇跡の一本松

2016-09-19 | 東北
 いまから5年ほど前、資料を奇跡の一本松のクリアファイルをしまっている人がいた。
 打合せの中身よりもクリアファイルの写真が妙に気になった私は「これはどこ?」と尋ねたところ、陸前高田ですよ、とのこと。


 4年前、たまたま出張で陸前高田を通りがかった際に、国道45号線から奇跡の一本松を見ることができた。当時、すでに海水の影響で枯れてしまった状態と聞いていたが、その後、保存工事を行っていたらしく、今では陸前高田のシンボルのようになっている。

 普門寺を訪問した後、奇跡の一本松を見に行ってみることにした。


 どういう保存工事を行ったのか不思議だが、レプリカではなさそう。
 ただ、避雷針がついていることだけはわかった。
 それより、震災の爪痕は奇跡の一本松よりも、その後ろにある建物の方が痛々しい。


 海岸では堤防の工事が行われ、旧市街地も途方もない規模で盛土工事が進められていた。







 お昼は一本松茶屋にある岩張楼で海藻たっぷりの岩張楼ラーメンにした。



 もともと陸前高田駅があったところはすでに高く盛土されており、地形は大きく変わっている。
 むかしの陸前高田駅の最寄バス停は、「奇跡の一本松」バス停であり、いまの陸前高田バス停は高台にあるので、注意が必要だ。

(H28.9.17)


陸前高田 普門寺

2016-09-19 | 東北
 気仙沼駅前の観光案内所で入手した陸前高田の観光パンフを眺め、どこか歴史を感じられるようなところがあれば・・・と思って探したところ、普門寺が目にとまり、まずはここに行ってみることにした。


 BRTの高田病院から10分ほど歩くと、立派な松の木が立つ普門寺の参道にたどり着く。









 サルスベリが見ごろを迎えていた。





 ここの五百羅漢はなんだか見ていて楽しそうな顔が多い。










 ゆっくりしたいところであるが、BRTの時間もあるので、参道を戻ることにした。
(H28.9.17)


H28.9.17(土) 大船渡線BRT(気仙沼→高田病院)

2016-09-19 | 東北

 気仙沼駅の正面は少々手が加えられ、小奇麗になった。ただ、アーチ構造を裏側から見ると・・・あぁ、なるほど、といったところ(笑)。


 バスの時間まで、少々観察。


 鉄道駅の名残だけど、跨線橋を使う人はあまりいない。


 バス通りは横断歩道のようなマークにした方がわかりやすい気がするけど、もしかして、ここは道路ではない、とか???
 そもそも、ここは道路なのか、あくまで鉄道なのか???


 法的にはどういう位置づけなんだろう。
 誰か調べている人がいるだろうから、まぁ、いいや(笑)


 7時30分発盛行きがやってきた。送込み回送ってところか。





 気仙沼からは専用道を走行し、鹿折唐桑バス停の少し先で国道45号(東浜街道)に入る。
 盛行きは上鹿折には行かず、陸前高田に向かうルートとなっている。

 陸前高田の旧市街に入ると、平野部一帯で盛土工事が行われ、昔の地形がさっぱりわからない状態になりつつあった。



 まずは普門寺に行きたいので、最寄の高田病院バス停まで乗車することにしたが、BRTは普門寺の前を通るにもかかわらず、1㎞くらい走ってようやく停車。
 普門寺の前にバス停あればいいのに・・・。


 気仙沼線BRTも大船渡線BRTも、バス停の間隔が非常に長く、速達性の観点からはいいのだが、ここにバス停があれば多少の利用が見込めるのでは、と思うようなところも多い。
 おそらくいろいろ議論を重ねた上で、いまのような姿になったんだろうけど、あまりお客が多いとは言えない状態なので1~2㎞毎くらいにバス停設けてもいいのでは、という気がする。
 地方の人は1㎞ですら歩くのに抵抗があるかもしれないので、もっと短くした方がいいのかもしれないけど・・・。
 並行している既存の路線バスとの競合といった課題もあるのかもしれないが、長い目で見て中途半端なサービスだとマイカーからの転換は厳しそう。

H28.9.16(金) 気仙沼散策

2016-09-19 | 東北
 気仙沼は、特段何か目的があるわけではないが、この10年くらいの間に4~5回行っており、若干記憶があいまいなので帰って調べたら、今回で5回目であった。

 1回目は、平成17年1月。大船渡線乗りつぶしが目的で、一ノ関11時25分発の盛行き快速「スーパードラゴン」に乗っており、この時は気仙沼は通過している。

 2回目は平成21年11月。気仙沼線乗りつぶしのため、仙台から小牛田・前谷地経由の気仙沼行きに乗車。
 気仙沼では大島航路に乗っており、「海来」で大島(浦の浜)を往復し、昼飯は気仙沼の港近くのあさひ鮨で「ばっぱ丼」というものを食べたというメモが残っている。
 帰りは、南気仙沼まで歩き、南気仙沼から小牛田行に乗車。柳津でいったん途中下車し、柳津から快速「南三陸」で仙台に戻っている。

 3回目は、震災からしばらく経った平成23年12月。気仙沼ってどうなってしまったんだろうと思い、行ってみた。
 この時は一ノ関9時43分発気仙沼行きに乗り、この時も大島航路に乗ったが、気仙沼の港も大島の港も、打撃を受けたまま時間が止まってしまったような風景であった。

 4回目は平成24年10月であるが、この時は時間の関係で、気仙沼と陸前階上の間のBRTを乗ったのみで引き返した。



 今回、約4年ぶり、5回目の訪問である。
 気仙沼駅からタクシーに乗り、港に向かった。
 津波の被害を受けた港に近づくと、放置された建物もあるが、再建工事もところどころ始まっており、盛土工事も行われていた。
 タクシーの運転士日く「高さ5mの防波堤をつくることになった。もうこの景色も最期。私は反対なんだけど・・・」と残念そうであった。


 港(エースポート)からの湾の景色はけっこう気に入っている景色だが、この景色が見られるのも終わりなのかなと思い、写真を撮っておく。


 今回は「亀山」に乗船。船のチケットと同時にかっぱえびせんも購入。


 震災前は岸壁にびっしりと漁船が並んでいたが、いまはまばらの状態。


 かっぱえびせんを狙って戦闘開始。
 カメラを構えると、かっぱえびせんと勘違いするのか、それともかっぱえびせん出せよと催促するのか、果敢に接近してくるものもおり、少々怖い。


 途中で大島(浦の浜)発、エースポート行きと離合。


 大島と本州を分ける大島瀬戸の両岸では橋台らしき工事が進められている。
 これは、大島にわたる橋の工事だろうか。


 大島に到着したが、路線バスがあるとは知らなかった。


 橋ができるとこのような風景は見られなくなるのだろうけど、それなりに通行量はあるようなので、橋は望まれているのだろう。




 帰りも折り返しの「亀山」に乗船。


 かっぱえびせん狙いで休憩中?

 出港まで根気よく狙っていたようなので、コイツにはかっぱえびせんを食べさせてあげることにした。
 すると、船のどこかに止まっていたほかの部隊も飛行を始めたが、かっぱえびせんは自分の夜食用に取っておくことにしてかばんにしまった。


 湾にはどっくが点在しているが、この船はずんぐりむっくりな体型でおなかいっぱいな感じ。


 晩飯はエースポートから5分ほどで行けそうな「一心」という鮨屋に行ってみることにした。


 エースポートから5分ほど歩いたところで見かけたバス停。
 気仙沼は宮城か岩手かまぎらわしいエリアである。
 それはそうと、「バスのりば」と「停留所」と両者主張。


 「一心」ではこちらを頂いた。

H28.9.16(金) 気仙沼線BRT(本吉~気仙沼)

2016-09-19 | 東北
 本吉からは13時25分発の気仙沼行きBRTに乗車。本吉からは専用道を走行する。


 トンネルを出ると専用道区間は終わり。


 小金沢、大谷海岸付近は国道45号線(東浜街道)を走行し、陸前階上の手前で専用道に入る。




 陸前階上駅が近づいてきた。気仙沼と陸前階上の間は平成24年10月に乗車しており、ここからは一度乗車したことのある区間になる。


 最知駅は専用道区間であるが、最知駅を過ぎると、国道45号線に入る。


 南気仙沼を出ると、気仙沼線の桁が見えてくる。


 不動の沢からは最後の専用道区間となり、このまま気仙沼駅構内に入っていく。






 気仙沼駅は構内改良されており、BRTと大船渡線が同一ホーム乗換えができるようになっていた。


 大船渡線のレールは途切れていた。




H28.9.16(金) 気仙沼線BRT(柳津~本吉)

2016-09-19 | 東北

 気仙沼線の柳津駅は7年前に下車したことがあるが、ふたたびここで下車することになろうとは思ってもいなかった。


 柳津駅の気仙沼方は雑草で覆われているがどうやらレールは剥がされているように見えた。


 跨線橋から列車を眺め、


 そして駅前広場のBRTを眺める。


 跨線橋から出発した列車を見送ったが、7年前も同じような写真を撮っている。


 柳津駅には観光案内所が設けられていたが、バス出発までの時間があまりないので、チラっと見ただけでバスに乗り込んだ。


 柳津からは並行する国道45号(東浜街道)を走行する。
 バス停は鉄道駅があったところに設けられているので、路線バスに比べバス停設置間隔が非常に長い。乗っている方は快適だが、この辺にバス停あってもいいのでは・・・と思うところもある。
 いずれ鉄道敷を走る予定でもあるのか、あるいはバス停を設置すると速達性が低下するためか、しかし、もう少しバス停があった方がローカル利用に結びつくのでは・・・と思ったり。



 BRT専用のバス停が設けられた陸前戸倉からは専用道を走行する。


 最初の交換所。信号が設置されている。


 トンネルは思ったより断面が広く、走りにくい感じではなかった。


 所によっては海も見えるところがある。この区間は見覚えのある景色であり、ちょっとうれしい。BRTとは言え、風速計が設置されていた。


 最初の専用道の終点。入口には遮断機が設置されている。ここから志津川地区までは一般道を走行する。



 志津川の旧市街一帯は盛土工事が行われ、むかしの首都圏のニュータウン工事を思わせるような規模で工事が行われている。実際、工事の看板を見ると、UR(都市再生機構)が名を連ねている。


 BRTは、志津川のベイサイドアリーナというところを経由する。初耳でどんなところか知らないが、海辺の観光施設を想像し、そこで途中下車して昼飯でも食えのでは・・・と思っていたが、着いたところは丘の上の新しい市街地だった。付近では現在、南三陸町役場の建設が進められていた。


 BRTの特徴は、来の鉄道ルートから外れた市役所や病院などの拠点地区にも入り込むということが挙げられているが、ベイサイドアリーナはこれに該当するところのようだ。
 BRTが寄り道するのはどの程度になるのかなと思っていたが、そんなにあちこちに寄るルートにはなっていようで、せいぜい大きな町の拠点地区のみのようである。


 志津川、清水浜と一般道を通り、BRTと言うわりに一般道区間が多いなぁと思っていたら、歌津に到着。


 歌津のBRTバス停を出ると急坂を登り、専用道に入る。


 前に気仙沼線に乗った際に、歌津駅のホームは一度降りてみたいものだと思ったが、どうやら、それは無理そうである。


 トンネルを出ると専用道区間はあっけなく終わり、再び国道45号線に戻る。


 陸前小泉付近では、おそらく桁が流出したと思われる気仙沼線の橋りょうが見られた。
 その向こうで新しい道路の建設が進められている。


 本吉に到着し、ここで途中下車することにした。


 かつての本吉駅をバックに、気仙沼に向かって出発するBRTを見送った。






 朝7時台の気仙沼行きは5本。7時30分(土休日運休)の次は7時35分。7時半がピーク時か。


 気仙沼から本吉止りのBRTがやってきた。
 接近すると遮断機が上がる。


H28.9.16(金) 気仙沼線 のの岳

2016-09-19 | 東北
 金曜日は連休につなげて夏休みを取ったものの、日本全般に天気が悪く、晴れマークが出ているのは東北地方のみ。しかも、18日の日曜日の予報はほぼ全国に雨マークがついているので、金曜・土曜の1泊2日くらいで東北旅行をすることにした。

 気仙沼線BRTは気仙沼市内だけ乗ったことがあるが、柳津からは乗っていないし、大船渡線BRTはまったく乗っていないので、気仙沼・陸前高田あたりに行ってみることにした。

 気仙沼線は平成21年11月に未乗車区間乗りつぶしのために、仙台から気仙沼行きに乗ったことがある。今回はその時以来、約7年ぶりの乗車となる。
 7年前は、前から〔キハ111-113│_│キハ112-113〕_〔キハ110-5(指定席)〕_〔キハ110-238〕というそこそこ長い編成だったが、今回はキハ110-106の単行。

 さて、前から不思議だな、と思っていた「のの岳」という駅名。


 旧北上川のすぐそばで、山なんぞないところになんで山のような名前で、しかも平仮名なのか・・・。
 車内で地図を眺めていたところ、のの岳駅の西方約4㎞のところに「箟岳山」という標高236mの山を見つけた。読み方がわからないので、スマホで検索したところ、これぞ「のの岳」。
 地図を見ればすぐにわかる話だけど、長年のナゾがとけた。


 高い山ではないけれども、平地から見ると、この一帯では目印になる山なのだろう。

JR完乗

2014-09-15 | 東北
 平成26年9月6日、15時半過ぎに、山田線茂市駅にてJR全線完乗を達成した。



 JRの乗りつぶしを始めたのは、30年ほど前の中学生のころであった。
 きっかけは、同じような人も少なくないと思うが、宮脇俊三の本を読んで、である。

 大学1~2年生のころは、グングン乗車距離が伸びたが、大学3年の春休みに欧州に出かけたところ、関心がLRTにシフトし、国内の乗りつぶしは少々鈍化した。

 社会人になった後は、転勤族ゆえ、地方の未乗区間つぶしが進んだものの、入社して6~7年ほど経ったところで、再び、海外旅行の頻度が増加。
 背景として、本気で国内の乗りつぶしをすると、あっという間に終わってしまうので、1年1~2路線に抑えようとしたこともある。

 東京に戻った頃には201系置換え時期にさしかかっており、中央線から離れられない時期が数年続いた。

 この結果、ここ10年近く、JRの乗りつぶしはだいぶ抑制気味であった。
 過去の記録を見ると、10年前の平成16年9月5日時点では残り22路線1702.1km、5年前の平成21年9月21日時点で残り13路線895.1kmといったところである。

 2年前の夏に、残るは山田線(盛岡~宮古間)と岩泉線の2路線となり、岩泉線で完乗するつもりであったが、土砂災害で不通となっていた。
 当時、あまり深く考えず、いずれ再開したら乗りに行けばいいやと思い保留にしていたが、どうもそう簡単に復旧できるレベルではなかったようで、利用水準も極めて低いことも手伝って廃止となることが発表された。

 JRの完乗を代行バスや自然消滅で終わらせるのは本意ではない。
 そこで、今年1月に宮古~茂市~岩泉間はあらかじめ乗車し、最後は茂市駅で完乗とすることにした。

 昨年はちょいとばかり技術士の勉強をしようと思い自粛したが、無事解放されたので、完乗を達成することにした。

 最近、昔のことをだいぶ忘れるようになってきたが、最後の列車に乗っていると、これまで乗ってきた路線のことがいろいろと思い浮かんできた。
 茂市が近づいてくると、ひとりニヤニヤしてしまったが、いい路線で最後の乗車を終えることができた。

 私鉄もケーブルカーを含めて3社ほどで完乗できるので(9月15日時点)、今年中に終わらせ、2順目に入ろうかと考えている。

H24.10.20(土) 気仙沼線BRT

2012-10-24 | 東北

 気仙沼駅に気仙沼線の時刻表が掲げられていた。
 なかなかのフリクエンシー。



 改修工事中の気仙沼駅前から赤いBRT専用バスに乗り、陸前階上で下車した。









 バス停や踏切を観察して気仙沼に引き返し、復興屋台村で昼食。



 港の復興はまだまだであるが、1年前より漁船は増えていた。

H23.12.11(日) 仙石線

2011-12-29 | 東北
 大船渡線に乗った後、東北本線の塩釜から仙石線に渡り移り、ATACS導入後の仙石線の様子を見に行ってみた。


 線路際に信号の灯りはなく、なんだか落ち着かないのだが、これからこういった方式が増えていくのだろうか。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 仙台駅で牛タンを食べて「はやぶさ」で帰宅した。

H23.12.11(日) 大島航路

2011-12-29 | 東北
 気仙沼駅に到着後、前回と同様、大島に渡ってみることにした。

  <2年前の記事>→11月1日(日)大島航路


 駅から港まで2kmほどなので、歩いて行くことにした。


 右の市役所の建物は無傷に見えたが、帰りに乗ったタクシーの運転士によると1階が水に浸かったらしい。



 大島航路の船着場(エースポート)は浮き桟橋が被害を受けており、フェリーは陸に直接接岸していた。


 気仙沼の湾に面してたくさんのドックが並んでいたが、軒並み津波の被害を受け、景色が変わっていた。


 大島との中間地点でエースポート行きとすれ違う。
 現在、大島航路は2隻で運航されている。


 大島の浦ノ浜港も岸壁が被害を受け、応急的に造られた船着場に接岸していた。

 浦ノ浜港にあった食堂も全壊しており、引き返すことにした。
 帰りの船には被災地支援と思われる東京のとある区の職員6人か乗船していた。

H23.12.11(日) 大船渡線

2011-12-29 | 東北
 2年前の11月1日に未乗区間であった気仙沼線に乗って気仙沼に行った。
  <2年前の記事>→11月1日(日)快速「南三陸1号」 11月1日(日)気仙沼線
 3月の地震で気仙沼は津波の被害を受け、気になっていたので行ってみた。


 一ノ関で新幹線を下車して在来線ホームへ。

 大船渡線は平成17年1月8日に一ノ関から盛まで乗っているので、久しぶりの乗車となる。
 前回は混んでおり、運転席横で前面展望した記憶があるが、今回は早めに座席を確保できた。


 2年ぶりに気仙沼駅に到着。



 今回乗車したのはキハ100-40+キハ100-43。
 6年前に乗ったのはキハ100-4+キハ100-40であり、片方は前回と同じ車両であった。