ブラックフェイス手帳

中央線201系 最後の軌跡

H23.12.31(土) 東海道新幹線300系

2012-01-01 | 東海道線、東海道新幹線
 天気予報ではなんとか晴れるかなと思って新横浜から「こだま」に乗ったものの、小田原を過ぎると薄暗いくらいの曇天となった。

 天気の悪さは覚悟の上で東田子の浦で下車して撮影ポイントに向かったが、300系がやってくる時間帯に陽が差してきた。


 下りN700が被る前に。


 すれ違い直後に。


 数分後に下り300系がやってきたが、薄い雲が覆い少々暗くなってしまった。

 当たり前のように走っていた300系であるが、東海道新幹線の歴史の上で大きな功績を残した車両であり、今更ながら、撮っておきたいと思った。


 300系に限らず、堂々16両編成が疾走する姿も魅力的である。

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 帰りは岳南で吉原へ。


 東海道新幹線と対照的に18m車の単行がガタンゴトン走っている。

H23.8.24(水) 踊り子 A8編成

2011-08-26 | 東海道線、東海道新幹線

 まずは桃太郎。


 次も桃太郎。


 そして踊り子。

 伊豆急線内で撮ろうと思って熱海に向かったが、熱海に着くと雨雲が覆っていたのででアジを食べて帰宅することにした。


 しかし、腹がいっぱいになると気が変わって伊東線へ。
 伊豆急8000系の乗るのは初めて。


 高速船が撮れるとは。


 まずまずの天気の中、ストライプ塗装の185系が東京に向かっていく。


 小田原からはブラックフェイスの小田急8000系。

H23.1.10(月)根府川雪化粧

2011-01-10 | 東海道線、東海道新幹線
 土日、天気はよかったものの寒さと、パワーポイント作成で外に出ず。
 運動不足解消のため、横浜線始発に乗って根府川へ。

 小田原で降りると、非常に寒い。
 静岡行きに乗ると、右手に真白な山が。
 道理で寒いものだ。



 根府川で降りて、東京行きを。
 雪山バックに、朝日ギラリ。


 本来、2053レを撮りに行ったのだが、来なかった。
 どうしたのかなと思って、あっそうか・・・と。
 踊り子を撮って撤収。

東海道小さな旅

2010-05-23 | 東海道線、東海道新幹線
 昨日は、とある知人が日本の鉄道完乗達成ということで御殿場線へ。


 町田から371系X1編成で松田へ。
 「あさぎり」&連絡線初乗車。


 連絡線観察。

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 松田からクモハ313-3001に乗って国府津へ。


 御殿場線0キロポスト。
 ここで、某氏、日本の鉄道完乗。


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 入生田へ。
 平行する国道1号が、天皇・皇后通過直前だったため、警察がたくさん。
 あたりの民家からは旗を持った人が続々と沿道へ。


 写真を撮っているとパトロール中の警察に「この車両はめずらしいんですか?」と聞かれた。
 珍しくなくても写真を撮る習性のある面子だったので「んまぁ、珍しいといえば、珍しいかもしれませんが・・・」とあいまいな供述。


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 植樹祭ヘッドマーク。
 久々に大雄山線に乗ったが、いったいいつ以来か・・・。
 

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 東海道線の9526M(K-09編成)はカメラやビデオを持った人がたくさん。
 湘南東京ライン、車内も駅も大盛況。

 17時57分、羽沢通過。
 品川駅9番線からの出発は圧巻だった。


7月27日(月)500系とミッドランドスクエア(名古屋)

2009-07-29 | 東海道線、東海道新幹線

△のぞみ6号
 10時半前に名古屋に到着。ちょうど上りに500系のぞみがあったので、下りホームから後打ち。


 万博前に2年半ほど名古屋に住んでいたが、久しぶりに名古屋駅を出てみると、当時と雰囲気が違う。
 まず、当時溢れかえっていた名古屋嬢がいないのだ。
 いくらか名残と言うか、残党と言うか、いないわけではないが、絶滅に瀕しているようだ。

 それはいいとして、不思議なくらい人通りが減った。
 雨のせいかもしれないが、それを加味しても減っている。
 当時と景気がガラッと変わったが、そのせいだろうか。


 時間があったので、新しい高層ビルのミッドランドスクエアに上ってみることにしたが、エレベータに乗っているのは、2~3人。
 新名所のはずだが、ずいぶんと閑散としており、行くのを躊躇したが、名古屋には用事がなければ行かないので決行。


 雨なので眺めはよくないが、笹島付近ですれ違う新幹線が見えた。
 相変わらず笹島地区は未利用のまま。



 タワーズとはほとんど同じ高さのようだ。


 夕方用事が終わり、名古屋駅へ。
 名古屋にはあまり来たことのない人たちと一緒だったので、タワーズの展望台に連れて行くことにした。
 以前、展望台に上るには途中の階でチケットを買った記憶があるのだが、今回はそれがないので、なんか変だなと思いつつ、最上階へ。
 エレベータを降りると飲食店に囲まれており、これも記憶と異なる。
 店員に、展望台はどこかと聞いてみると、展望台は飲食店に変わったのでお店に入っていただく、とのこと。
 同行者は周囲360度を見たておきたいとのことだが、方向によってお店が分かれているので、360度見渡せるミッドランドへ。

 午前中と違って、晴れていたので眺めはよかった。


 これは名古屋嬢ではなく、名古屋城。


3月14日(土)富士・はやぶさ

2009-03-14 | 東海道線、東海道新幹線
<蒲田~川崎>
 これまで富士・はやぶさの走行写真を撮ったことがあるのかないのかわからないので、本当の最終日となってしまったが撮りに行くことにした。
 東海道の撮影地はよくわからないので、できるだけ人が多くても対応可能そうな六郷川橋りょうにした。
 京急の六郷土手から歩いて堤防に行くと、東海道線の桁下で雨宿りしている人が10人弱。どうやら1時間20分ほど遅れているらしい。
 少し待っていると、TBSラジオの手提げ袋を持った人がやってきて、何人かにインタビューしている。どうやら実況中継らしく、富士・はやぶさの現在位置を知っている人を捕まえて、話し込んでいる。
 天候は悪く、雨はともかく、風が強く、傘をさすのが大変である。
 富士・はやぶさの現在位置はTBS部隊が時折、いまどこ~?と話しているので、大体の位置は横で聞いていれば耳に入ってくるので助かった。彼らは多摩川通過の瞬間を伝えたいらしい。
 東京時刻表を照らし合わせてみると、どうやら798Mに続いて走っているようである。
 
 211系の798Mが通過すると、皆、しーんと静まる。TBS部隊の実況中継によると、私のいるあたりには30人ほどいるらしい。
 TBS部隊は「どうやらみな緊張の瞬間を迎えようとしています。われわれもこれからは話しかけるのをやめるようにします」などと言うので、笑ってしまう。
 798Mが通過しても、なかなか富士・はやぶさはやってこない。
 下田行きのSVOが通過して、しばらくすると六郷川橋りょうの向こうからEF66のヘッドライトが見えてくる。
 EF66 42が牽引する最後の上り富士・はやぶさが警笛を鳴らして多摩川を通過していった。車内の客は手を振り、撮影を終えた人も手を振っていた。

3月13日(金)富士・はやぶさ(3)

2009-03-14 | 東海道線、東海道新幹線
<東京>
 いよいよ18時03分、富士・はやぶさ最後の東京駅出発の時がやってきた。 
 何の変哲もない通常の発車メロディが流れ、目の前の最後尾の車両がゆっくりと動き出した。
 「ありがと~」「さよなら~」という叫び声と拍手が起きる。



 さて、寝台特急富士は一回だけ乗ったことがあるので、ここで、回顧録を少々。
 富士に乗ったのは、九州旅行からの帰りであった。
 1993年7月25日に東京をたち、九州ワイド周遊券で九州を回っていたのだが、7月29日頃から台風が1~2日に1個の割合で九州を上陸し、運休・不通・バス代行・列車ホテル泊など、散々な旅行であった。
 台風も落ち着いてきた8月7日の昼過ぎに、大分駅から家に「これから鹿児島に行く。数日したら帰る」と電話すると「何言ってるの、鹿児島なんて行けるわけないでしょ。早く帰ってきなさい」とのこと。こっちはそんなにひどい状況ではないんだけど、マスコミが大げさに騒いでるんだろうと思って、「まぁ、うろうろして、適当に帰る」とだけ言って電話を切った。
 駅で時間があるので天気や災害の情報収集のためキオスクで新聞を買う。むかし話のようだが、この頃は携帯電話やモードなんぞなかったので新聞はしばしば買っていたものである。
 さて、すると、なんと、一面に、錦江湾に流された列車の写真が載っているではないか・・・。こんな写真ありえるのか・・・。
 旅行中に散々土砂崩れのニュースは見てきたが、さすがにこれには驚いた。
 竜ヶ水事故である。
 これはもはや数日で復旧できるものではない。
 ワイド周遊券の期限は余っていたが、旅行継続は断念し、大分駅のみどりの窓口に行って、富士の空席を調べてもらった。
 幸い、ソロが空いており、九州旅行の締めくくりにはいい列車であるので、これに決めた。
 たまたま乗ることになった富士であるが、これが最初で最後の東京~九州間のブルートレイン乗車となった。

3月13日(金)富士・はやぶさ(2)

2009-03-14 | 東海道線、東海道新幹線
<東京>
 ホームは入場制限でもしているかなと思ったが、難なく入れた。たくさんの見送り客でごった返していたが、皆、腕を高く上げて写真を撮っている。
 なんだか何かのイベントのような雰囲気で、平穏ではあるが、歴史ある列車の最後の出発にしては明るい雰囲気である。
 緊張感あるいは厳かな雰囲気に欠け、なんとなく違和感を感じる。

 18時頃、「最終、富士・はやぶさの出発まであと3分です」という案内放送が流れ、隣の20番線からMAXやまびこ・つばさが出発していった。新幹線ホームにもカメラを持った人が並んでいた。

3月13日(金)富士・はやぶさ(1)

2009-03-14 | 東海道線、東海道新幹線
<東京>
 2009年3月14日のダイヤ改正の目玉は改正後のダイヤより、富士・はやぶさの廃止の方が話題になっているようだ。東海道新幹線の増発もなんだか影が薄い。
 さて、この日は、熱海か静岡に追っかけることも考えていたが、夕方まで外出しており、富士・はやぶさのお見送りは行けるかどうか怪しい雰囲気になった。
 なんとか、17時頃に職場に戻り、カメラをかばんに入れ、定時が来るのを待って「ちょっと外出」と言い東京駅へ。
 ちょうど夕方のラッシュ時であり、帰りがけのサラリーマンがコンコースの列車案内を撮っており、いよいよ、と言う気分になる。

2月26日(木)のぞみ71号

2009-02-26 | 東海道線、東海道新幹線
<東京>
 久々に東海道新幹線に乗車。2時間半座ってるのは疲れるし、落ち着かないので、大阪以遠は通常飛行機なのだが、やむを得ず。
 のぞみ71号はC24編成。
 通信環境はだいぶいいが、早川付近のトンネルでいったん途切れた。
 新丹那もダメ。
 しかし、トンネルを抜けると天気は少し良くなり、依然曇りではあるが明るくなった。

2月9日(日)富士・はやぶさ

2009-02-08 | 東海道線、東海道新幹線
<東京 1>
 京葉線ホームから中央線ホームに向かうと、ちょうど東海道線の発着案内に「富士・はやぶさ」が出ている。せっかくなのでホームに上がってみると、ホームにはたくさんの鉄道ファンや親子連れがいた。
 富士には1993年8月、大分からソロに乗ったことがあるが、はやぶさは一度もない。
 九州には3年間赴任していたので乗る機会は十分あったのだが、マイルを貯めることしか頭になく、東京との往復時には飛行機ばかり。その3年間で乗った寝台特急は、四国に行く際に乗った「なは」のみであった。
 自分でもよくわからないのだが、もともとブルートレインには興味がなく、富士、はやぶさともほとんど縁がないので、まもなく廃止だといっても、ピンとこない。
 ま、日本の鉄道にとっては歴史の一幕ではあるので、何枚か写真を撮っておいた。牽引するのはEF66 50であった。