出勤ついでに「あかぎ」と「リゾート草津」を撮影。
先月、インドで計画されている延長約500mの橋りょう(複線)の計画図を見る機会があったが、スパン48m程度のトラスを11連並べたものだった。
トラスの割りにあまりにスパンが短いので驚いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そんなこともあって、近頃、急にトラス橋に興味が出てきて、なんとなく、北千住へ。
手前から千代田線・常磐線・TX。
TXは橋脚が少なく飛んでいるので背が高い。
東武は古めかしい感じ。
トラスの割りにあまりにスパンが短いので驚いた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そんなこともあって、近頃、急にトラス橋に興味が出てきて、なんとなく、北千住へ。
手前から千代田線・常磐線・TX。
TXは橋脚が少なく飛んでいるので背が高い。
東武は古めかしい感じ。
今春、九州新幹線の博多~新八代間が開業し、青森から鹿児島まで新幹線でつながった。
いままで東京~博多間でさえ通して乗車したことはなったが、せっかくなので一気に乗りとおしてみることにした。
乗車する列車は順に、鹿児島中央~新大阪間がみずほ600号、新大阪~東京間がのぞみ16号、そして東京~新青森間がはやて131号(こまち131号併結)である。
鹿児島中央を6時58分に出発し、新青森に18時33分に到着する長距離旅行であり、これまでの一日の移動距離の最長記録となる。
もちろん、北海道まで渡ればその距離はより長くなるが、今回は新幹線に限定し、青森までの旅行とした。
△S6編成
みずほ600号は鹿児島中央12番線から発車する。
普通車の窓側は満席だったため、奮発してグリーン車にした。
隣の11番線からは8時02分に新下関行きが出発する。
もともと山口県は九州と繫がりが深く、下関あたりから福岡市内まで通勤している人も少なくないが、このようなきめ細かい便が設定されている新ダイヤは興味深い。
朝食は駅弁。
薩摩鶏めし。
新八代付近は下り列車と同様、減速して通過していた。
熊本で多くの乗客がいたため普通車を見に行くと満席になっていた。
山陽新幹線はトンネルが多く、岡山あたりで少々飽きてきたが、岡山まで来れば新大阪まではあと少し。
宮原区にとまっている7連の205系を見て、新大阪定着。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
△S9編成
新大阪到着後、たくさんの人がS6編成を撮影していた。
みずほ・さくらは大人気。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
新大阪からは通路側だったので、睡眠。
いつもだと、2時間半が長く感じるが、今回は11時間の長旅のうちの一部だからか、さほど気にならず。
△Z9編成(左)
東京駅到着後に記念撮影。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
△J11編成
東北新幹線ははやて131号に乗車。
この列車で新青森を目指す。
△K42編成
隣のホームには200系。
東北新幹線は臨時ダイヤとなっており、はやて131号は東京駅を13時56分に出発し、途中、上野、仙台、盛岡以北の各駅に停車し、新青森には18時33分に到着するダイヤとなっている。
東京を定刻に出発すると、神田駅に進入する中央線T25が見えたが、久々に中央線を見たような気がした。
上野を出ると停車駅、到着時刻の案内が流れるが、「一部の区間にて速度を落として運転しております」「速度を落とした到着時刻をご案内します」との説明があり、まだ本当の復旧ではないんだなと思う。
那須塩原の手前で徐々に減速し、車窓の流れを見ていると、はやて本来の速度でないことは明らかであった。
いつもよりゆったりとした走りであるが、車窓には満開のさくら、水を張った田んぼ、春の景色を眺められた。
15時01分、新白河を通過したが、福島の車窓はいつもと変わらず。
15時11分、東北道と交差したが、上り方面は渋滞していた。
15時15分、房総色の209系を見て、郡山通過。
15時30分、屋根にブルーシートを被った家が数軒見られた。
15時32分、福島駅通過。
15時58分、広瀬川を渡ると仙台駅の乗換え案内放送があり「常磐線、仙石線、一部運転見合わせがあります」との説明があった。
案内放送は淡々としていたが、太平洋岸に甚大な被害を受けた区間があることを意味している。
16時01分、仙台定着。
16時36分、一ノ関を通過。
このあたりでも田んぼに水が張られ、トラクターが動いているのが見えた。
17時10分、E5系とすれ違う。
17時13分、盛岡駅に到着。
ここで少々停車し、はやて131号は17時26分発なのでホームを散策。
18時18分、七戸十和田駅を出発。
「つなげよう、日本。」のポスターの撮影地を通過。
18時27分、八甲田トンネルを出る。
18時33分、新青森12番線に到着。
長旅であったが、さほど疲れなかった。
現在、東北新幹線は臨時ダイヤだが、E5系が本領発揮した後、もう一度列島縦走をやってみようと思った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
整備新幹線の歴史を振り返ると、鉄道を取り巻く社会・経済の影響を受け、昭和57年には事実上の凍結となったものの、昭和62年には凍結解除、しかし、その後も「ミニ新幹線」や「スーパー特急」といった整備方式で進められることになった。
凍結解除のあたりから記憶にあるが、スーパー特急方式はともかく、貨物列車が多く、東京からの距離を考えると時間短縮の小さい東北本線のミニ新幹線化は、本当にいいのかなぁと思っていたが、四半世紀を経て、いずれもフル規格で開業した。
振り返ってみると、紆余曲折あったが、フル規格による全線開業を目指してきたんだなと思った。
いままで東京~博多間でさえ通して乗車したことはなったが、せっかくなので一気に乗りとおしてみることにした。
乗車する列車は順に、鹿児島中央~新大阪間がみずほ600号、新大阪~東京間がのぞみ16号、そして東京~新青森間がはやて131号(こまち131号併結)である。
鹿児島中央を6時58分に出発し、新青森に18時33分に到着する長距離旅行であり、これまでの一日の移動距離の最長記録となる。
もちろん、北海道まで渡ればその距離はより長くなるが、今回は新幹線に限定し、青森までの旅行とした。
△S6編成
みずほ600号は鹿児島中央12番線から発車する。
普通車の窓側は満席だったため、奮発してグリーン車にした。
隣の11番線からは8時02分に新下関行きが出発する。
もともと山口県は九州と繫がりが深く、下関あたりから福岡市内まで通勤している人も少なくないが、このようなきめ細かい便が設定されている新ダイヤは興味深い。
朝食は駅弁。
薩摩鶏めし。
新八代付近は下り列車と同様、減速して通過していた。
熊本で多くの乗客がいたため普通車を見に行くと満席になっていた。
山陽新幹線はトンネルが多く、岡山あたりで少々飽きてきたが、岡山まで来れば新大阪まではあと少し。
宮原区にとまっている7連の205系を見て、新大阪定着。
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△S9編成
新大阪到着後、たくさんの人がS6編成を撮影していた。
みずほ・さくらは大人気。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
新大阪からは通路側だったので、睡眠。
いつもだと、2時間半が長く感じるが、今回は11時間の長旅のうちの一部だからか、さほど気にならず。
△Z9編成(左)
東京駅到着後に記念撮影。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
△J11編成
東北新幹線ははやて131号に乗車。
この列車で新青森を目指す。
△K42編成
隣のホームには200系。
東北新幹線は臨時ダイヤとなっており、はやて131号は東京駅を13時56分に出発し、途中、上野、仙台、盛岡以北の各駅に停車し、新青森には18時33分に到着するダイヤとなっている。
東京を定刻に出発すると、神田駅に進入する中央線T25が見えたが、久々に中央線を見たような気がした。
上野を出ると停車駅、到着時刻の案内が流れるが、「一部の区間にて速度を落として運転しております」「速度を落とした到着時刻をご案内します」との説明があり、まだ本当の復旧ではないんだなと思う。
那須塩原の手前で徐々に減速し、車窓の流れを見ていると、はやて本来の速度でないことは明らかであった。
いつもよりゆったりとした走りであるが、車窓には満開のさくら、水を張った田んぼ、春の景色を眺められた。
15時01分、新白河を通過したが、福島の車窓はいつもと変わらず。
15時11分、東北道と交差したが、上り方面は渋滞していた。
15時15分、房総色の209系を見て、郡山通過。
15時30分、屋根にブルーシートを被った家が数軒見られた。
15時32分、福島駅通過。
15時58分、広瀬川を渡ると仙台駅の乗換え案内放送があり「常磐線、仙石線、一部運転見合わせがあります」との説明があった。
案内放送は淡々としていたが、太平洋岸に甚大な被害を受けた区間があることを意味している。
16時01分、仙台定着。
16時36分、一ノ関を通過。
このあたりでも田んぼに水が張られ、トラクターが動いているのが見えた。
17時10分、E5系とすれ違う。
17時13分、盛岡駅に到着。
ここで少々停車し、はやて131号は17時26分発なのでホームを散策。
18時18分、七戸十和田駅を出発。
「つなげよう、日本。」のポスターの撮影地を通過。
18時27分、八甲田トンネルを出る。
18時33分、新青森12番線に到着。
長旅であったが、さほど疲れなかった。
現在、東北新幹線は臨時ダイヤだが、E5系が本領発揮した後、もう一度列島縦走をやってみようと思った。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
整備新幹線の歴史を振り返ると、鉄道を取り巻く社会・経済の影響を受け、昭和57年には事実上の凍結となったものの、昭和62年には凍結解除、しかし、その後も「ミニ新幹線」や「スーパー特急」といった整備方式で進められることになった。
凍結解除のあたりから記憶にあるが、スーパー特急方式はともかく、貨物列車が多く、東京からの距離を考えると時間短縮の小さい東北本線のミニ新幹線化は、本当にいいのかなぁと思っていたが、四半世紀を経て、いずれもフル規格で開業した。
振り返ってみると、紆余曲折あったが、フル規格による全線開業を目指してきたんだなと思った。
近頃、港のことを知っておく必要が出てきたので、東京みなと館へ。
東京みなと館から青海コンテナふ頭を俯瞰。
東京みなと館には1/150の模型がある。
よくぞこれだけのコンテナを集めたものだ。
テレコムセンターからも俯瞰。
ゆりかもめの俯瞰が撮れた。
東京みなと館から青海コンテナふ頭を俯瞰。
東京みなと館には1/150の模型がある。
よくぞこれだけのコンテナを集めたものだ。
テレコムセンターからも俯瞰。
ゆりかもめの俯瞰が撮れた。
中央線201系の運行が終わり、翌日から手持ち無沙汰になってしまったが、しばらくはE233を撮りながら通勤していた。
しかし、10月後半から忙しくなり、いかに座るかが最大の関心事となり、途中駅で下車して撮るようなことはほとんどなくなってしまった・・・。
H7編成が長野に行った次の週末はトタ区へ行ってみた。
こちらは今までと変わらずクハ201-1が残っている。
(H22.10.23)
翌日は広島車両所へ。
(H22.10.24)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
11月に入って、久々に青梅線の青梅以西へ。
H7編成亡き後は、DJを見ながら行動を決めているような・・・。
(H22.11.3)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
11月6日の夜は終電近くまで切替工事を観察。
(H22.11.6)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
東北新幹線全通前に青森へ。
(H22.11.19)
三内丸山遺跡の近くで試運転列車を撮影。
(H22.11.20)
帰りに東北本線を走る特急や貨物を撮影。
(H22.11.20)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
12月に再び東北へ。
これまで未乗区間だった新庄~横手間乗りつぶし。
(H22.12.18)
翌日は、未乗区間だった東能代~五所川原を乗りつぶし。
これで、東北地方の未乗区間は中小国~三厩、花巻~釜石、盛岡~宮古、そして岩泉線となった。
(H22.12.19)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
前から仁科三湖で撮ってみたかったので木崎湖へ。
野生のサルがたくさんいた。
(H22.12.26)
10月から12月にかけて頻繁に遠出したが、中央本線はどこで撮っても飽きない。
(H22.12.29)
しかし、10月後半から忙しくなり、いかに座るかが最大の関心事となり、途中駅で下車して撮るようなことはほとんどなくなってしまった・・・。
H7編成が長野に行った次の週末はトタ区へ行ってみた。
こちらは今までと変わらずクハ201-1が残っている。
(H22.10.23)
翌日は広島車両所へ。
(H22.10.24)
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11月に入って、久々に青梅線の青梅以西へ。
H7編成亡き後は、DJを見ながら行動を決めているような・・・。
(H22.11.3)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
11月6日の夜は終電近くまで切替工事を観察。
(H22.11.6)
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東北新幹線全通前に青森へ。
(H22.11.19)
三内丸山遺跡の近くで試運転列車を撮影。
(H22.11.20)
帰りに東北本線を走る特急や貨物を撮影。
(H22.11.20)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
12月に再び東北へ。
これまで未乗区間だった新庄~横手間乗りつぶし。
(H22.12.18)
翌日は、未乗区間だった東能代~五所川原を乗りつぶし。
これで、東北地方の未乗区間は中小国~三厩、花巻~釜石、盛岡~宮古、そして岩泉線となった。
(H22.12.19)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
前から仁科三湖で撮ってみたかったので木崎湖へ。
野生のサルがたくさんいた。
(H22.12.26)
10月から12月にかけて頻繁に遠出したが、中央本線はどこで撮っても飽きない。
(H22.12.29)
突然だが、今日は山陰線特集。
■平成15年8月22日
木次線を完乗して、宍道にて。
この塗装はこのとき初めて見た。
「やくも」っていままで何回塗装変わってるのか???
現時点(平成22年7月)で3回だと思ってるが・・・。
ここは米子。
まだまだ国鉄時代の雰囲気が漂っていた。
■平成16年9月4日
福知山線の三田~谷川間とタンゴ鉄道を乗りに行った際に福知山駅で下車。
連立工事を控えていたため、駅舎を撮っておいた。
■平成16年9月5日
タンゴ鉄道を完乗し、豊岡駅で下車。
■平成18年11月6日
出雲市駅は平成7年の正月明けに行ったが、その後高架化され、様変わりしていた。
偉大なるローカル線は健在といったところか。
とはいえ、台所事情が厳しいのか、徐々に三セクっぽくもなってきている。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
さて、今日は参院選。
いまだに誰が候補者かわからんので、行く気になれない。
蓮舫は知ってるけど・・・。
■平成15年8月22日
木次線を完乗して、宍道にて。
この塗装はこのとき初めて見た。
「やくも」っていままで何回塗装変わってるのか???
現時点(平成22年7月)で3回だと思ってるが・・・。
ここは米子。
まだまだ国鉄時代の雰囲気が漂っていた。
■平成16年9月4日
福知山線の三田~谷川間とタンゴ鉄道を乗りに行った際に福知山駅で下車。
連立工事を控えていたため、駅舎を撮っておいた。
■平成16年9月5日
タンゴ鉄道を完乗し、豊岡駅で下車。
■平成18年11月6日
出雲市駅は平成7年の正月明けに行ったが、その後高架化され、様変わりしていた。
偉大なるローカル線は健在といったところか。
とはいえ、台所事情が厳しいのか、徐々に三セクっぽくもなってきている。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
さて、今日は参院選。
いまだに誰が候補者かわからんので、行く気になれない。
蓮舫は知ってるけど・・・。
たまには、電車以外の話を。
と言っても、写真の話である。
先週、写真フィルムの総整理をした。
デジカメを初めて購入したのは2002年の秋だが、2代目のデジカメを購入した2004年1月までは、デジカメは補助的に使っていた。
5年ほど前まではフィルムを使っていたのだが、きちんと整理はしていなかった。
フィルムはデジカメと違って撮影日が書かれていないので、昔の手帳やメモ帳を見て時期を特定するしかないのだが、どうしても時期がわからないフィルムがふたつ、1996年のものということはわかるのだが、残った。
さて、廃棄しようとしたフィルムの袋だが、ずいぶんと懐かしい。
まずは観月ありさだが、左上が1993年、左下が1994年。
右上が1997年、右下が1998年であるが、Wikipediaによると1998年に田中麗奈に交代したらしい。
1995年頃はリバーサルのみ使用していたので、この時期の袋は持っていなかった。
こちらが田中麗奈だが、左上が私のコレクション(?)の中で最も古いものと思われる。
左列上から2番目の袋には「2000年年賀状」という文字があるので1999年頃のもののようである。
あとは、順番がよくわからない。
ところで、観月ありさの頃のTVCMは記憶があるのだが、田中麗奈の頃のTVCMがまったく思い出せない。
そして、2004年に堀北真希になり、左上はその頃のものである。
この頃からデジカメしか使わなくなり、この袋とは疎遠となり、この2種類しか持っていない。
余談だが、左上の人物は、パッと見たとき堀北ではなく、夏帆に思えた。
と言っても、写真の話である。
先週、写真フィルムの総整理をした。
デジカメを初めて購入したのは2002年の秋だが、2代目のデジカメを購入した2004年1月までは、デジカメは補助的に使っていた。
5年ほど前まではフィルムを使っていたのだが、きちんと整理はしていなかった。
フィルムはデジカメと違って撮影日が書かれていないので、昔の手帳やメモ帳を見て時期を特定するしかないのだが、どうしても時期がわからないフィルムがふたつ、1996年のものということはわかるのだが、残った。
さて、廃棄しようとしたフィルムの袋だが、ずいぶんと懐かしい。
まずは観月ありさだが、左上が1993年、左下が1994年。
右上が1997年、右下が1998年であるが、Wikipediaによると1998年に田中麗奈に交代したらしい。
1995年頃はリバーサルのみ使用していたので、この時期の袋は持っていなかった。
こちらが田中麗奈だが、左上が私のコレクション(?)の中で最も古いものと思われる。
左列上から2番目の袋には「2000年年賀状」という文字があるので1999年頃のもののようである。
あとは、順番がよくわからない。
ところで、観月ありさの頃のTVCMは記憶があるのだが、田中麗奈の頃のTVCMがまったく思い出せない。
そして、2004年に堀北真希になり、左上はその頃のものである。
この頃からデジカメしか使わなくなり、この袋とは疎遠となり、この2種類しか持っていない。
余談だが、左上の人物は、パッと見たとき堀北ではなく、夏帆に思えた。
<立川>
東京駅から快速高尾行きに乗車し、豊田で目が覚めて振り返ると上りホームにEast-iEが止まっていたので下車したが、目の前で逃げられてしまった。
上り電車に乗車し、立川まで追っかけてみることにしたが、立川駅で捕獲。
東京駅から快速高尾行きに乗車し、豊田で目が覚めて振り返ると上りホームにEast-iEが止まっていたので下車したが、目の前で逃げられてしまった。
上り電車に乗車し、立川まで追っかけてみることにしたが、立川駅で捕獲。
普段、平日用と土休日用の2台のデジカメを使っているが、92年から使っているカメラ(α-707si)を1~2年放置してしまったので、これまた1~2年放置してしまったリアラを入れ、50mmレンズと85mmレンズを持って家を出る。
8時頃、トタでH4編成が「各駅停車 豊田」表示のまま寝ているのを確認。
武蔵小金井の上り仮線と高架線を見渡せる歩道橋に行き、モモずきん(ホリデー快速河口湖1号)を撮影することにした。
予行演習として25T運用のT19編成を撮ることに。ちょっと暗いので、絞りを5.6から4.5に変更しようとすると、4.5にならず、突拍子もない数字になる。いろいろ試してみると、ゆっくり絞りを変更すれば一段づつ変わるが、以前のように早回しするとついて行かない。
くたばる前に動かしておこうと思ったが、手遅れだったか・・・。
シャッターは動いているが、果たして設定したシャッター速度、絞りで動いているのかよくわからない。
予備編成以下の使用頻度となったカメラであるが、まだ動けると思ってたので戦意喪失。183/189系を撮るのは中止し、東京へ向かう。リハビリのため、三鷹でホリ快は撮ったが。
外堀のさくらは、昨日よりは咲いているが、やはりまだまだ。
帰りは豊田で2080レを撮影。EH200-4の単機だった。
H4編成、H7編成はそれぞれトタ、ムコで寝ていた。
フィルムはカメラの中にあるので、今日は画像なしとなります。
8時頃、トタでH4編成が「各駅停車 豊田」表示のまま寝ているのを確認。
武蔵小金井の上り仮線と高架線を見渡せる歩道橋に行き、モモずきん(ホリデー快速河口湖1号)を撮影することにした。
予行演習として25T運用のT19編成を撮ることに。ちょっと暗いので、絞りを5.6から4.5に変更しようとすると、4.5にならず、突拍子もない数字になる。いろいろ試してみると、ゆっくり絞りを変更すれば一段づつ変わるが、以前のように早回しするとついて行かない。
くたばる前に動かしておこうと思ったが、手遅れだったか・・・。
シャッターは動いているが、果たして設定したシャッター速度、絞りで動いているのかよくわからない。
予備編成以下の使用頻度となったカメラであるが、まだ動けると思ってたので戦意喪失。183/189系を撮るのは中止し、東京へ向かう。リハビリのため、三鷹でホリ快は撮ったが。
外堀のさくらは、昨日よりは咲いているが、やはりまだまだ。
帰りは豊田で2080レを撮影。EH200-4の単機だった。
H4編成、H7編成はそれぞれトタ、ムコで寝ていた。
フィルムはカメラの中にあるので、今日は画像なしとなります。
日原川橋りょうに近寄って見てみる。完成から相当な歳月を経ているが、コンクリートは思ったよりきれいである。以前、山陽新幹線の高架橋に沿って歩いたことがあるが、そこで見た高架橋よりはきれいだ。
高欄はブロックでつくられているようだが、一部で欠けているところがあり、廃線跡らしさを感じる。
高欄はブロックでつくられているようだが、一部で欠けているところがあり、廃線跡らしさを感じる。
ホリデー快速2号が出発した後、次の4号の時間まで1時間ほどあるため小河内線(奥多摩工業専用鉄道)を見に行く。
奥多摩駅から5分ほど歩くと、コンクリートアーチ橋が見えてくる。右手にはラーメン構造の橋りょうがあり、鉄道構造物であることは察しがつく。さらに盛土、そして単線トンネルの坑口へと続き、鉄道構造物であることが伺える。
奥多摩駅から5分ほど歩くと、コンクリートアーチ橋が見えてくる。右手にはラーメン構造の橋りょうがあり、鉄道構造物であることは察しがつく。さらに盛土、そして単線トンネルの坑口へと続き、鉄道構造物であることが伺える。