興福寺東金堂とのセット券を購入して
「興福寺国宝館」へ
♪国宝だけに、白雪姫の「ハイ・ホー」の替え歌で
「コクホー、コクホー」と心の中で歌いながら「興福寺国宝館」
セット券は900円
東大寺で買った大仏殿と東大寺ミュージアムのセット券を購入したときに、しかせんべいも買ったがために、シカに襲われて??大仏殿と東大寺ミュージアムのセット券を落としてしまった…その反省を生かしながら???
え??その反省って、どう生かしたかって
それは、「しかせんべい」を買わないこと…
そんなに愛らしい目でみつめてきても、鹿せんべいをもっていないのだよ!!
「しかせんべいが、ほしかった」なんて顔をしないでよ!!
私が、しかせんべいを持った瞬間、東大寺にいた襲い掛かってくるシカたちが「けしからん!」のよ!!
シカをシカトして…
「興福寺国宝館」へ
さて、「興福寺国宝館」というだけに、興福寺の国宝がいっぱい…だって、もし国宝がなければ、「興福寺重要文化財館」になってしまいますからね!!
さて、館内は写真撮影禁止…
なので、心の中でシャッターを…
あ、これ、保存性がよろしくなく…心の中でシャッターを撮ったものは、心の中のどこにしまったのか、わからなくなって心の中でシャッターを撮ったことすら、忘れてしまいますなあ…
なので、無理無理、心の中で撮った写真が、おぼろげながらに残っていたもの???を紹介すると
まずは「木造千手観音立像」
鎌倉時代のもの…この「興福寺国宝館」のあった場所…旧食堂におられた観音さま…高さは5メートル以上…
みた感想は、一言…デカい!!
千手観音の手は「千手」ある訳でなく42手あるらしい…あるらしいというのは、私は、ちゃんと42手あるということを数えたことがないから…
中央で合掌する2本を除く40本の手が二十五有の仏教世界の生き物を救うと言われ、40×25=1,000ということで千手観音になるんだそうな
もし、手が一本欠損すると975手観音になる訳よ???ホンマかいな…???
さて、続いて紹介するのが
この看板の左側の写真
乾漆八部衆立像こと「阿修羅像」
仏教の守護神である帝釈天と戦ったという神話があり戦いの神とも言われている阿修羅像…「修羅場」といった言葉の語源になった阿修羅なのに…戦いとは無縁の…実に優しい顔でおられるのが実に不思議…
像の大きさは150㎝ほど
身体の繊細な造形美、戦いにでたら秒殺されそうなほど華奢
3つの顔と3対の腕を持つこの阿修羅像…その造形と知的で思慮深い表情から「天平の美少年」とも称される、この「阿修羅像」
ひょっとしたら、この三つの美少年の顔は、奈良時代のジャニーズのようなアイドルだったかも知れないな
只今活動休止中??の「嵐(あらし)」
ならぬ
「あしゅら」
なんてね…
「あしゅら会」もとい「あくしゅ会」は、ファンの方、6人と一度にあくしゅ(握手)ができるぞ???
いかん!いかん!得意の妄想癖が…
ラストに紹介するのは
旧山田寺の銅造仏頭
仏頭(ぶっとう)だけに、ぶっとぅぶ(ぶっとぶ)ほどのバカでかさ
重さはなんと頭だけで約600kg!大きさは頭部だけで98.3cmも…
興福寺の仏頭の作ったのは、蘇我倉山田石川麻呂
仏頭は、童顔で白鳳期の特徴をよく示しているとか
この仏様が東金堂の元、ご本尊さま
興福寺は1180年の平重衝の焼き打ちに遭って伽藍の殆どを焼失…
その後の再建の過程で1187年、興福寺の東金堂の僧兵が、当時荒廃していた山田寺の薬師三尊像に目をつけ、強奪し、興福寺の東金堂の本尊としたらしい…
ちなみになぜ頭だけになっているかというと、火災が原因…この仏頭も、火事で溶け落ちたところを頭だけお救いすることができたとのことらしい…
それにしても、こんな重いものをトラックも重機もないのに…どうやって運んだんだろう??
当時の興福寺の勢力の凄さが感じられるエピソード
1411年、室町時代に、落雷で薬師如来像を安置していた東金堂が火災に
この時に、旧山田寺から持ってきた薬師如来像も焼けてしまい、残ったのが、この仏頭だけ…
その後、興福寺東金堂は再び立て直され、頭だけになった仏像に代わる新しい薬師如来像も作られ、仏頭は、新しく作られた薬師如来像の台座の下に埋め込まれることになったそうな
そのまま、この仏頭は埋められたまま、月日が過ぎ
1937年に台座の下から仏頭が発見されたそうな
みつかったときは、仏頭(ぶっとう)だけに、ぶっとぅんだに違いない!!
なんか、この仏頭を主人公に映画ができそうな…そんな壮大なスケールを感じる、妄想歴史マニアにはタマラナイ…この教科書にも載っているこの「銅造仏頭」
興福寺にきたなら、国宝館をパスせずに
「銅造仏頭」を拝みに「どうぞ…銅造(どうぞう)…」