馬籠にある「藤村記念館」に行く
ここは馬籠宿の「本陣」だった場所でもあり、島崎藤村の生誕地でもある…
復元されている冠木門が、ただの文学者の記念館のみならず、本陣だったらしい江戸時代の風を感じさせてくれる…
冠木門の横には島崎藤村宅と示されている
さらには明治天皇停蹕之蹟
1880年6月28日、明治天皇はここ馬籠宿本陣島崎秀雄宅で休憩されたとのこと…
本陣のほとんどは「馬籠の大火」で消失
さすがに「本陣」の建物は復元されず…庭のよーに広々としてます
ここに本陣の建物があって、奥の紅葉してる樹木の手前に「上段の間」があったようです
本陣があった空き地の北側に建つのが「藤村記念堂」
設計は谷口吉郎博士…奈良朝様式の建物
谷口氏は本陣跡に建物を計画せず、本陣の礎石、土蔵跡を中庭とし、江戸時代を偲ぶ空間としたとのこと
「藤村記念堂」…ここには、江戸時代の本陣に関する展示、島崎家に関する展示品が…
建物内部は、土間で天井が低くて造り付けの木の腰掛から本陣だった場所の空間をも眺めることができます…
ただ、館内の作品は全て撮影禁止
なので、写真は建物だけ
この土間のような通路の正面には
明治28年の大火でほとんどが消失してしまいました…で、唯一残ったのが、この祖父母の隠居所…
本陣隠居所
この2階で、島崎藤村も勉強したらしい
上がって内部を覗くことができず…外庭から眺めるだけ…島崎藤村の作品「夜明け前」にも登場する建物だそうな
建物だそうな…と言ったのは、私、国語の教員でありながら…「夜明け前」を読んだことはなくて…
“木曽路はすべて山の中である”…で始まる「夜明け前」…確か、大学生の頃に読もうと思ったことはあるけど、読みだしたら眠くなる…また、読みだしたら眠くなる…なんか、小説なのに理解するのが難しかったし、その世界観がピンと、こなかったのよ…
もう一つの作品、穢多(えた)という身分の生まれで、部落差別問題が取り扱われた「破戒」は恋愛なども描かれていて、読みやすかったので読破したけど、「夜明け前」は途中で読むのを止めちゃった思い出が…
だから、ここまでの私の人生、ずっと「夜明け前」なのかな??
本陣土蔵跡
本陣隠居所と連なる1階の部屋、その手前にはこれまた焼け残った井戸…
その1階のスペースでは、島崎藤村の生い立ち等のVTRが視聴できます…
ただ、ズーとみてるのは時間が長すぎる…1本のVTRが長いのよ!!
「夜明け前」を途中で読むのを止めちゃったように、このVTRを観るのも途中でやめちゃった…
だから、ここまでの私の人生、ずっと「夜明け前」なのかな??
さてさて、この建物群の中では新しさを感じる
「第二文庫」
この漫画を、温浴施設で読もうと思ったことがあります…太宰治とかもでてきて、今の若い人は、これで文豪を知ったりするのかも知れませんね…ゲームにもなっているようで…
私もこの「文豪とアルケミスト」のコミックが温浴施設で目に留まって、読もうとしましたが、入浴後ってことで、睡魔に襲われて
「夜明け前」を途中で読むのを止めちゃったように…今度、温浴施設でぐーたらしてるときに再チャレンジしようっと、1巻の途中から…
さてさて、「第二文庫」の館内も撮影禁止でございました…
ところどころ、島崎藤村の作品の案内板が御覧のように掲げられていますが…その作品を全然知らない私
ほんとう、そん(損)してるよね…とうそん(藤村)だけにね
池
まるで城跡や寺院のように石段を降りて
そこにあるのが
常設展示館
館内の展示品はもちろん撮影禁止
常設展示室では処女詩集「若菜集」「破戒」「夜明け前」から、昭和18年8月22日、その死で未完の作品になった「東方の門」までを年代順に展示
また島崎藤村が晩年を過ごし、「東方の門」の執筆途中に他界した終焉の地、神奈川県大磯にあった書斎も復元されていました…
原稿もたくさん展示…島崎藤村ファン…もしくは間宮祥太朗さんファンにはたまらない空間…
間宮祥太朗さんファン??
だって、この映画が…
みなさんが、もし、これから藤村記念館に足を延ばそうと思っておられるなら
「夜明け前」は読んでから行ったほうがいい…
みないと私のように…ふーん…と眺めて通り過ぎるだけで
ほんとう(本当)、そん(損)しますよ…とうそん(藤村)だけにね…
「夜明け前」ならぬ「おとこ前」の私が言うんだから間違いない!
えっ、どこが「おとこ前」かって??聞き直さないでおくれよ!
「ふかい(不快)」になるから??
はい、そこは「ふかい(不快)」ならぬ「はかい(破戒)」でボケておかないと…苦笑
「おとこ前」は間宮祥太朗さんのことだということで
私も、死ぬまでには、なんとか「夜明け前」を読破して、「はかい(破戒)」ならぬ「きかい(機会)」があったら、また藤村記念館に再訪することにしようっと
「はかい(破戒)」ならぬ「たかい(他界)」するまでにはね…苦笑