新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

笠松…の街を…オグリキャップのように…駆け巡る!!???

2018-02-08 05:43:22 | 歴史史跡
笠松…

…と聞くと私のよーな…
低俗な教養のない人間は…



笠松競馬!!!
笠松競馬!!!
笠松競馬!!!




…としか思い浮かばないんですけど



実は…歴史のある街なんですよね!!!



江戸時代は幕府直轄地として笠松陣屋が置かれ
江戸時代の終わりには
笠松県の県庁


明治時代の初期には岐阜県庁が置かれており


県庁が岐阜市に移るまでは、岐阜県の中心となっていた



そんな街なんですよ!!




…ということをウィキペリアで知った私


百聞は一見に如かず…





さっそく
笠松町に行ってみて


笠松の街を
オグリキャップのよーに
駆け抜けてみようと



西笠松の駅に
ゲートイン???








まずは…
単騎逃げでスタートを切り
1コーナーを曲がったところにある???




鮎鮓街道・笠松問屋跡














美濃国奉行であった大久保長安が徳川家康、秀忠に鮎鮨を献上












鮎鮨の桶かつぎ 受けわたし 人びとは江戸への道をひたに走りき



毎年5月から9月ころまでの間に10~20回
岐阜町のおすし元から
加納問屋場を経て
笠松問屋場で受け継ぎ
一宮問屋場へ、そして江戸へと送られた
鮎鮨













鮎鮨は、鵜飼で捕った鮎を調理してそこへ御飯を詰め込んだもので、
鮎が飯の程良い醗酵によって鮨になるというもの




これを発酵して
ちょうど食べごろになる
4・5日で
江戸の将軍さまのところまで運んでいたとか…




いやあ…
この街道に
歴史を感じて…????


いや…フツーに車がぶんぶん通って
若干感じにくいですが…苦笑



さてさて
今度は2コーナーを廻って



たどり着いたのは


美濃郡代笠松陣屋・県庁跡















県庁が岐阜市に移るまでは、ここでさまざまな仕事が行われ、
岐阜県の中心地となっていた…とは思えない程の
殺風景な風景…










以下の写真は

笠松歴史未来館より
















笠松陣屋は明治24年の濃尾地震によって
焼失してしまったそうな…



さあ…
4コーナーを廻って
最後の直線コース…



…で…失速…苦笑








他にも
木曽川笠松渡船場跡・石畳など
観て廻るところは…まだあるものの

西笠松の駅からのスタートで
単騎逃げ??の戦法をとったのが
痛かった…




後半は…足腰バテバテになって
失速…




とっとこ
笠松駅へと…苦笑…退却…



疲れた…

このように西笠松駅から歩いてバテた原因は



きっと…この最中を食べたせいで












馬体重増…汗…だったに違いない…???







最後の写真は
名鉄電車の車窓からみえる笠松競馬場…