フェリックス・ガタリの「分裂分析的地図作成法」を読んでいる。いわゆるゲンダイシソウである。極めて難解書だが糸口はつかめそうだ。まず分裂分析というのが特殊な語法である。これは、精神分析のエディプス・コンプレックスの図式というのが19世紀的資本主義に特有の精神の足かせであり、偏執狂的思考パターンだというガタリの前提から生まれた発想である。精神分析的思考に絡めとられないために、敢えて分裂分析という発想を用いる。ガタリの目指すところは、あらゆる権力装置に絡めとられない、見晴らしのいい地点に立とうということだ。そのために様々な分析道具を使っては捨て、使っては捨てする。モットーは拘泥しないということである。そうやって脱領域的な地平に立とうとする。ガタリは首尾一貫しないこと、脈絡がないことを恐れない。一貫性というのは一種の強迫観念なのである。けれども地図作成法というからには全くの迷走ではない。文化や社会や現象や精神や歴史の立ち位置を多層的に読み解こうという意志は感じられる。この読み解こうとする意志こそ、ガタリがラカンから学んだ点である。自分は偏執狂的な精神分析じゃないんだ、多層的、横断的な分裂分析なんだと言いながら、様々な兆候を読み解こうと言うところはしっかり受け継いでいる。それで最終的には地図を作ろうというのだから確信犯的分裂態だと言える。多文化に股がる芋づる的なイメージの地図を作ろうとしたワールブルクと行き着く先は近い。文化の複合的様態の地図を作る。それも型にはまらない縦横無尽な地図を作る。おそらくそれはうまくいけば曼荼羅的な様態を取るだろう。また人間の脳の中身を立体化した様態を取るだろう。けれども現時点でガタリの分裂分析的地図作成法はほかのひとがまねできるものではない。極めて個性的な名人芸の世界である。言ってみれば方法論として確立されていない。ただ、彼が試みていることは学問であるとともに、実践的な実存戦略である。それが、ガタリの希望に満ちた賭けである。ガタリはネット社会を否定しなかった。そこに現存在の集団的実存形態を見た。私たちは誰かの弟子であることをやめ、一人一人が歩く曼荼羅となる。それが思想の定立化よりもガタリが望んだ事態であり、存在様式である。一人一人が横断的に自分と周囲の位相を見極める。脱領域的に動き回る。それが分裂分析的な生息法である。
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