今日は新宿伊勢丹のチャヤマクロビで友人の結婚パーティ・同窓会があった。
結婚したお二人はよくお似合いの仲良し夫婦。初々しくて新鮮でした。
新郎さんの友人は皆大学の同級生なのであの先生はこうだった、この先生はああだったと思い出話を話す。
超難解系の老教授の話など爆笑である。
一応皆新婦さんに自己紹介するのだが、脱線続きでなかなか先に進まない。
皆、脳の懐かしい部分が刺激されて自分の思いつくままによもやま話に花が咲く。
マクロビというのは基本菜食玄米の健康料理。
ひじきの和え物、レンコンのコロッケ、オリーブのピクルス、カボチャのパスタ、カフェイン抜きコーヒーを食す。みな美味しくて満腹になった。
学生時代ブロンテのジェーン・エアを読んだとか、ホーソーンの緋文字を読んだとか、ロラン・バルトのエッフェル塔を読んだとか思い出話爆発である。
それに加えてみなそれぞれがどう知り合ったのかをエピソード満載で話すので話が尽きない。
群馬であった結婚式の写真を見てまた盛り上がる。
新郎は私のクラシック話の友人で、今日はベートーヴェンのピアノソナタを二種、チャイコフスキーのムラヴィンスキーとバーンスタインとマルケビッチの聞き比べ用のCDを山ほど、横溝亮一のクラシックに捧ぐという音楽エッセイを貸してくれた。
これを聞き切るには時間を要するが今後楽しみである。
この友人は前にもチャイコフスキーの聞き比べを計画してくれたが、今回それが実現した。
友人が青島旅行のフォト&エッセイを配ったりして盛りだくさんである。
新郎新婦の名まえを書いたスペシャル・ケーキが用意され、盛り上がった。
そば米は美味しくて体に良いなど健康情報も飛び交い、ヘルシーな会だった。
みな七転び八起でいいことあり、そうでないこともあり奮戦している。
私はクラシック話に花を咲かせるのが楽しみだが、みな歩を進めている。
チャイコフスキーがまとめて聞けて存外のラッキーである。また再会を期待したい。
難解な講義の記憶思い出し初心に帰り新婚を祝す
今日は大貫隆の新約聖書ギリシア語入門を読了する。
もう何度も読んだが、ひと夏掛かった。
それと、中山恒夫の古典ラテン語文典を読む。
大分難しくなってきた。
フェドセーエフのリリーフ社のチャイコフスキー交響曲全集を聞く。
チャイコフスキーの交響曲はどれも旋律が印象的で忘れられない。
マンフレッド交響曲も入っているのが嬉しい。
デジパック仕様で固く収まっているので取り出しにくいのが難点だ。
録音はどれもみな高音質で演奏もロシア的情感たっぷりで凄く良い。
フェドセーエフのチャイコフスキーを聞いてから、エミール・タバコフ とソフィアフィルのマーラー交響曲全集より1番、3番を聞く。
これが残響が多く、ぶっきらぼうな怪演で癖になる演奏だ。
最近、そのように東方的なものにはまっている。
ロシアの宇宙精神という本が好きで夢中で読んだ。
経済の本質は生む自然の豊穣な働きであり、充満するソフィアだと言う。
人間の営みも能産的なソフィアに端を発し、文化を作ったと言う。
ロシアの宇宙精神にはそのような革命前夜の東方神秘思想満載で たいへん刺激的である。
だからソフィアフィルのマーラー全集などというと それだけでもう興味津々だったわけである。
四谷シモンが天使の人形を盛んに作っていたとき、 四谷シモンの念頭にあったのは東方正教会のキリスト教である。
高田馬場で四谷シモンの天使展に行ったとき、 人形に添えられた表題はコイネーのギリシア語で書かれていた。
負の聖性を帯びた傷ついた天使像が孤独な面持ちで冬の画廊を舞っていた。
懐かしい想い出である。
失われた時を求めて、今夜もウルガータを読む。
いつまでも生み続けている源泉を木彫りの天使じっと見つめる
昨日はスコットランドが独立するかと思って、マッケラス&スコットランド室内管の
ベートーヴェンのエジンバラライヴ全集を聞いていた。
オリジナル派では色彩感、躍動感あるぴか一の演奏。
結局スコットランド独立はなかった。
昨日はクルト・ザンデルリンクの誕生日。
ということでフィルハーモニア管との巨匠テンポのベートーヴェン全集を聞いていた。
今日はヨッフムのブルックナー9番を聞き、
ヴァント&ベルリンフィルのブルックナー9番を聞く。
どちらも甲乙つけがたい名演。
今日は午後コーヒーを飲み、
ハイティンク&ロンドンフィルのベートーヴェン1番&英雄を聞く。
なんとなく冴えないときはコーヒーとお気に入りの名盤だ。
最近フェドセーエフのチャイコフスキー全集も繰り返し聞いた。
録音・演奏とも秀逸で燃える。
この夏大貫隆の文法書、完読した。
中山恒夫の文典も結構読んだ。
ウルガータ聖書と金岡秀友の空海をとっかえひっかえ読んだ。垣根なく読書である。
ロシアの宇宙精神という本が良くて、気に入っている。
経済の本質は生む自然でソフィアの潜在的な活動だという。
冬のある日画廊で四谷シモンの天使展を見たことを思い出す。
四谷シモンの念頭にあったのが東方正教会の教えである。
傷ついた木彫りのキリスト像や天使像の脇に、コイネーの
ギリシア語で聖書の一節が書かれていた。
負の聖性を負った天使たちが真冬の画廊で舞っていた。
そういう遠き日の想い出が蘇ってくる秋の夜長である。
時を越え 幸生む泉見つめつつ 木彫りの天使 宙に舞い降り
今日は畑中純さんの展覧会を見に、調布のギャラリーみるめに伺った。
到着すると、青木雄二さんの甥っ子さんの
ギターの弾き語りがちょうど終わったところだった。残念。
知り合いのSさんが挨拶してくださって最近出た文庫の解説を見せてくれた。
そこで話していると畑中さんの奥さま(真由美さん)が
珈琲チケットを下さって二階で歓談した。
Sさんが語ったのは次のような話。
三角寛は母念寺を入手してワンダーランドを作ろうとしていた、
文芸誌編集長のМさんとは菊池山哉の話はしなかったか、
菊池山哉は日本人のルーツと白山信仰の研究で有名だ、
中上健次は父親の影を小説化したが、
吉本隆明は母恋系の人で、中上健次は影響を受けた、
吉凶を測る尺(唐尺)が沖縄の文具店で売っていた、
首里城の再建も風水を考えて設計した、
首里城を囲っている木の本数まで龍の背中のとげの本数で決まっていた、
出口王仁三郎は口述筆記のお筆先で莫大な記録を残した、
出口王仁三郎の満蒙暗躍の体験談は本で出た、
世田谷の崖沿いに星を祀る祠がある、
など興味尽きない話題満載だった。
畑中夫人とお話ししてお嬢さんからカレンダーを買って
帰りに太子堂でたんさんせんべいを買って帰る。
畑中純さんのオオサンショウウオの絵が印象的だった。
いい展覧会で、いろんなお話が聞けて充実した。
生物祭サンショウウオに迎えられ魚博士のことの葉を聞く