最近、オイゲン・ヨッフムのドイツグラモフォンの
ベートーヴェンの交響曲全集を聞いている。
古色蒼然たる渋い響きが聞ける。
クルト・マズア、フランツ・コンヴィチュニーと聞いてきたがオイゲン・ヨッフムで一段落。
カレンダーをめくって、タブロイド判のムーミンカレンダーが2月の絵柄になった。
ムーミンカレンダーの2月の絵柄はトゥーティッキさんとリトルミィ。
トゥーティッキさんが脚立に乗って窓ふきをしている。
ベレー帽を被りボーダーのセーターにズボン。
北欧の朝日がさんさんと輝き、
干した洗濯物の向こうでミィがスケートで遊んでいる。
オールカラーのムーミンカレンダーが12月ごろ売り切れで、
タブロイド判のカレンダーにしたが結果的によかった。
1月はムーミンがランタンを持ってモーラを見ている絵柄だった。
トーベ・ヤンソンの絵だけでなく
弟のムーミン・コミックスの絵も混じっているらしいが絵柄が似ている。
ムーミンは原作だけでなくフェルトの人形アニメが素晴らしい。
私の持っているのは松たか子版。
岸田今日子が全部一人で吹き替えをやっているのは入手困難だった。
松たか子のムーミンの声なかなかむづむづしてよい。
ポーランド製の人形アニメだがトーベ・ヤンソンも公認の傑作。
鉈を持ち窓ふきをするトゥーティッキ洗濯物の陰に遊ぶミィ
セーゲルスタムのオンディーヌ社のシベリウス交響曲全集聞く。
セーゲルスタムは分厚い響きの悠然としたシベリウス演奏を繰り広げる。
オンディーヌ社のシベリウスはヘルシンキフィル。
セーゲルスタムは今やフィンランドを代表するシベリウス指揮者である。
彼のシベリウスには感涙ものの響きがある。
有名な2番も奇をてらわない真っ向勝負で名演に仕上げている。
闇の中から徐々に光が差すようなシベリウス1番と短いが奥深い7番にフィンランディアがセットになっている。
フィンランディアは暗く始まり徐々に盛り上がり、勇壮な合唱で大団円を迎える。
有名なヴァイオリン・コンチェルトが収録されているところもよい。
ヴァイオリンはペッカ・クーシストの艶のある演奏が楽しめる。
セーゲルスタムはデンマーク国立放送響ともシベリウス交響曲全集を録音しており、こちらも密度が濃い。
私はベルグルンド&ヘルシンキフィルのシベリウス全集よりも、セーゲルスタムのほうを好んで聞く。
セーゲルスタムは交響曲200何番とか作っている多作な作曲家だが、熱い指揮ぶりに定評がある。
セーゲルスタムのマーラー全集も入手困難だが涙なしには聞けない熱い名演揃いである。
ベルグルンドならばイギリスのオケを振った最初のシベリウス全集が遅いテンポ設定で好みである。
最近聞いたシベリウスの中では、バーンスタインの全集、選集と並んでセーゲルスタムの新盤が感涙ものである。
作曲に多忙な中、シベリウス、マーラーで手一杯かもしれないが、セーゲルスタムはほかの作曲家にもチャレンジしてほしい。
オンディーヌ社のシベリウス全集多少入手に手間取るかも知れないが名演に間違いない。
薄暗い北国の空に曙の陽が差すような音の降臨
ルガーノ放送管との爆走ベートーヴェン・ライヴ全集で有名な
ヘルマン・シェルヘンのマーラー演奏
をポツポツと聞いている。
特にライプチヒでの1960年のマーラー3番、6番、10番の轟音ライヴが素晴らしい。
3番、6番、10番の耳をつんざく轟音ライヴには
8番千人の交響曲の出だしの合唱がおまけでついている。
この狂騒ぶりがまた刺激的だ。これはターラ社である。
同じターラ社でスタジオ録音の1番5番7番のセットも聞いている。
こちらはやや大人しいが、やはり不気味な響きが聞ける。
圧巻なのが1965年のフランス国立放送管とのマーラー5番で、
楽譜を改変しまくって、拍手とブーイングの両方が聞き取れる珍盤である。
ブーレーズのマーラーのように統制の取れた、交通整理の行き届いた演奏とは対極にある、
出たとこ勝負の音合わせ無用の一発録りでスリルが味わえる。
4番と9番を持っていないのだが、ターラの2セットだけでも相当楽しめる。
強迫的な暴走を聞かせるマーラー6番の止まらない行進のリズムも快感である。
臨場感たっぷりで凍りついたと思われる聴衆の熱狂も聞き取れる。
7番のとち狂った奇怪な響きも耳をきりきりと攻め立てる怪演である。
高音、低音が狂騒的な舞踏を踊る、ユーモラスでもある骸骨踊りの名演である。
シェルヘンのベートーヴェンの旧盤は一見大人しいが、
英雄の途中で気合を入れる指揮者の叫びが入る。
シェルヘンのアドレナリン全開の演奏、癖になる。
止まらない耳をつんざく轟音の骸骨踊り繰り返し聞く
最近、コロムビアのドヴォルザーク・コレクション室内楽編を愛聴している。
このコロムビアのドヴォルザーク・コレクションは先に協奏曲・管弦楽編を持っていて、
それがことごとく名盤で香り立つようなチェコ情緒満載だったので、室内楽編も
きっといいに違いないと思った。
だが、そう思った頃には室内楽編は廃盤で、長らく渇望の的だった。
3年ぐらい探した後だろうか。
ある日、中古CD店の店頭にひょっこりと置いてあるのを見つけた。
長らく探していた私が買わなくして誰が買うのだろう!
11枚組の夢にまで見た草色の箱を手にしてレジへと急ぐ私であった。
帯が所有者のため糊で貼りつけてあるのが難ありだがそんなことは気にしない。
聞いてみるとドヴォルザークの室内楽の汲めども尽きぬ宝の泉である。
弦楽六重奏曲、いい。弦楽五重奏曲、いい。
ピアノ五重奏曲、いい。ヨゼフ・スークのヴィオラ、ヤン・パネンカのピアノだ。
弦楽四重奏曲はドヴォルザーク四重奏団、ノヴァーク四重奏団、パノハ四重奏団。
ピアノ四重奏曲はスーク・トリオとヨゼフ・コドウセク。
いずれもスプラフォン絶頂期の渋ーい演奏なのである。
暖かくて渋ーい何とも言えないよい空気感がスピーカーを通じて部屋に広がる。
不織布の内ケースに前所有者が曲名をサインペンで書いてあったが気にしない。
コロムビアのドヴォルザーク・コレクション恐るべしである。
このような質の高い渋い空気感の名演奏が11連発である。
私にとっては家宝とも言えるコレクションとなった。協奏曲・管弦楽編に加え
室内楽編で完璧である。
チェコフィル&ノイマンのドヴォルザーク全集、マーラー全集と並ぶ逸品である。
スプラフォンは信頼できるレーベルである。
香り立つ室内楽の絶好の渋みを感じ満面の笑み
最近またエミール・タバコフのマーラー全集に耳を傾けている。
タバコフのマーラーは残響が多くぶっきらぼうな痛快な演奏で聞く者を惹きつける。
タバコフの全集は一曲が二枚に分かれているものが多い。
クーベリックのように基本一曲一枚で納めると聞き易いが時間を掛けるとどうしても二枚になる。
タバコフのマーラーはテンポを変えて面白く聞かせている。
千人の交響曲などソプラノが飛び抜けて上手かったりして舌を巻く驚きがある。
全体的に突き放したような演奏で、共感は持てないかもしれないが、快演である。
一時期中古で高値で取り引きされていたが、この頃は値段も安定した。
かつてほど安価ではないが入手できるようになって来ている。
デ・ワールトのマーラー全集と同じく作曲家の肖像写真を多数使っている。
中にはこれがマーラーかと目を疑うような髭姿の写真もある。
私は幸い新品在庫を定価で入手したが、中古なら買い易くなってきた。
エミール・タバコフのマーラー全集を飽きることなく聞いている。
タバコフは最近ショスタコーヴィチの全集作りに着手していて、見逃せない。
そのうちまとまって発売されるだろうと思っている。
タバコフは音作りは繊細ではないが、高いテンションが維持されている。
聞いていると胸をすくような快感がある。
ミヒャエル・ギーレンが引退を表明したのは惜しいがタバコフに期待する。
最近ミトロプーロスのマーラー選集も取り出して聞いた。
やはり荒削りなライブ録音ながら剛腕でマラ3をCD一枚にまとめた手腕は素晴らしい。
熱血爺ミトロプーロスの面目躍如な力演がミュージック&アーツ社のライブ選集で聞ける。
最後になるがキリル・コンドラシンのヴェネツィア・レーベルのマーラー選集も凄い。
日ごろはハイティンクのベルリンフィルのマーラー選集を愛聴しているが、
今挙げた変わり種のマーラー全集、マーラー選集に心奪われる私である。
突き放すぶっきらぼうな怪演をまた取り出して爆音で聞く