超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">プロコフィエフ、晩年の小さな希望</span>

2009-01-25 19:47:01 | 無題

プロコフィエフこそは、政治と文化に対して複雑な関係にあった作曲家の一人である。
ロシア革命のさなか、政治騒動が煩わしくなってアメリカに渡るが、彼の晦渋で難解な作品はアメリカでは評価されず、フランスでディアギレフのバレエ・リュスと組んで大成功する。バレエ・リュスにはバレエ「道化師」や「鋼鉄の歩み」といった作品を提供した。「鋼鉄の歩み」はロシア・アヴァンギャルド風の革命賛歌である。ロシア勢ではライバル視していたストラヴィンスキーに次ぐディアギレフの信頼を得、マティスらと交際する。この辺りが彼の経歴のいちばん輝かしい所だ。西欧で名声を得たプロコフィエフをソヴィエト政府は特別待遇で歓迎し、ロシアに帰ることを熱烈に要請した。祖国での歓迎ぶりに酔ったプロコフィエフは、ロシアで「ピーターと狼」を書いて人気を得る。
ロシアに帰国したプロコフィエフは政府の要望に応えて次々に作品を書くが、すでにスターリンの粛清の時代に入っていることに、プロコフィエフは当初無自覚だった。友人の斬新な演出家メイエルホリドがかつてトロツキーと親しかったことから逮捕され、プロコフィエフの音楽で「イワン雷帝」を作った前衛映画監督エイゼンシュタインも、その第二部で独裁者の孤独を描いて激しく批判された。プロコフィエフの最初の妻リーナも、彼と離婚するとすぐにKGBに連行されて行方不明となった。周りから親しい人物が次々と消えてゆく。
ようやくプロコフィエフも独裁政治の怖さに気づく。けれども体制迎合と紙一重の作品を幾度となく書き、このチェスとアルコールと煙草の好きなワーカホリックな作曲家は生き延びるのである。仕方なく後になって彼がソヴィエトで自己批判した、フォルマリスト的な香りがする不協和音満載の交響曲第二番や、ピアノ協奏曲第一番、また時に洒脱でもあり、時に知的で緻密なピアノソナタ辺りが、彼の才気煥発な前衛性を伝えている。
プロコフィエフは不健康な習慣のため、狭心症で倒れた後、脳出血でスターリンと全く同じ日に息を引き取る。狭心症で入院中も彼は面会客を待たせて医師や看護婦の目を盗んで隠れて作曲し、バレエ「石の花」などを完成させる。プロコフィエフにとって幸せだったのは、不遇な晩年にチェリストで指揮者のロストロポーヴィチや、同じく指揮者のロジェストヴェンスキーといった若き音楽家が、彼を慕って足繁く訪れたことだ。その結実が彼のチェロ・ソナタやチェロ協奏曲第二番に聞き取れる。彼の交響曲・協奏曲集をクチャルらの指揮のナクソスのボックスセットでまとめて聞くことができる他、親交があった指揮者たちの演奏が、もちろん興味深い(ひのまどか「プロコフィエフ」等を参照)。



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<span itemprop="headline">ストリート・フールの作り方</span>

2009-01-22 11:50:13 | 無題

「超人高山宏のつくりかた」を読んでみた。題からしてヴィリエ・ド・リラダンの「未来のイブ」みたいである。高山氏が自分の歴史を読書歴を中心に書き下ろしたものだ。高山宏氏のヒーローは澁澤龍彦、種村季弘らだという。この世代の読書人は共感するはずだ。高山氏の読書歴のエポック・メイキングな本の数々。そのなかで私がいちばん興味を持ったのはザ・ディクショナリー・オブ・ザ・ヒストリー・オブ・アイディアズ、すなわち観念史事典だ。片っ端から読むととにかくおもしろいと由良君美氏と手を取り合って感涙したというから、私も紀伊国屋書店で中古で4巻本プラス索引巻を注文した。円高のおかげで5千円で買えた。今、手元に届くのを待っている。(インターネットで原文を無料で公開しているという。)今まで観念と名のつくものは避けて暮らしてきた。それなのに、高山氏が1年がかりで読みふけったという、この観念史事典は心に訴えてくるものがあった。初心に帰って読んでみたいと思った。
その他高山氏が訳した本にウィリアム・ウィルフォードの「道化と笏杖」がある。これは、道化とは心の闇の部分を補償する奇特な元型だと、ユング心理学で読みといた本である。道化をユング心理学の元型と位置付けた直観の書である。また高山氏が書いた本に「アリス狩り」という本がある。ヴィクトリア朝の良識はルイス・キャロルがひっくり返すのに格好なちゃぶ台だった。不思議の国の住民が無意味を楽しんで闊歩しているのに、アリスの方は「意味が判らない!」と繰り返す。ビートルズがアップル社の屋上で電撃ライブをやったとき、通りを歩いていた老婦人が「アイ・ジャスト・キャント・メイク・センス!」と叫んでいたのと同じ構図である。ビートルズはある時期不思議の国のフール・オン・ザ・ヒルだったのである。
ルイス・キャロルは大人になっていく少女たちに醒めた視線を向ける。アリスの不思議の国との距離は、ルイス・キャロルの幻想世界への醒めた距離感を反映している。
それから「不思議の国のアリス」の主人公アリス・リデルとは、古典学者には有名な、オックスフォードのリデル&スコットのギリシア語辞典を編んだあのH・G・リデルの娘だということも、高山氏の訳したハドスン著「不思議の国の数学者 ルイス・キャロルの生涯」を読んで初めて知った。高山氏が自らを学魔降臨と言うのも、たんなるストリート・フールのほら吹きではない。



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<span itemprop="headline">秋月龍、精神のルーツ学</span>

2009-01-22 01:45:41 | 無題

このところよく読むのが、禅者の秋月龍氏の本である。ブック・オフで絶版の「般若心経の智慧」を取り寄せて読んだ。いわゆる色即是空、空即是色の話である。この「色即是空」を秋月龍氏は「衆生本来仏なり」と読む。色が衆生の世界で、空が仏の世界だという。秋月龍氏の基づく臨済宗の考えでは、座禅をして、公案を考え続けると、自我がはじけて砕け、仏性が実感できるという。それを秋月龍氏は「自我を転じて空とするとき、ダンマ(法)が露わになる」と言う。それを般若心経に当てはめて、「色即是空」は「衆生本来仏なり」という意味だと読んでいく。
「空即是色」は、仏は生きたこの身において働くという意味だと言う。いわゆる見性体験をした修行者が、そこに黙って留まっているのではなく、日々の所作ふるまいすべての中で仏性を働かすべきだということを指しているという。経典解釈はいろいろあるが、秋月龍の断定的解釈はかなり一般の見方と変わっているようだ。人が目にするこの世界には実体がないんだよ、という意味だと色即是空を捉えるのが普通ではないか。空を仏の世界と読む、そこに秋月ワールドが展開する。
もう一冊ブック・オフで取り寄せた絶版の「正法眼蔵を読む」も似た線で話が進む。道元は「衆生本来仏なり」なのになぜ、改めて法を求めて苦しい修行をしなくてはいけないのか若い頃悩んでいた。その答えを大宋国の禅寺でみつけてきた。衆生が座禅を手段として仏性という目的を得る、と考えてはいけない。他ならぬ「仏が座っている」のが座禅である。衆生は自らの仏性を自覚して(本証)、悟りを汚さぬ修行(妙修)を続けなければならない。
道元は座禅こそが釈迦の本来の修行法だという。古今東西の諸仏は皆座禅で見性したのである。空海も最澄もそこを見落とした、彼らが仏教の真髄は座禅だと知っていれば当時から座禅が広まっていただろう、と道元は手厳しい。道元は座禅している時に身心脱落して悟ったという。諸仏は皆この道を通ってきたのだ、日本の達磨はこの道元だという気概が道元にはある。
秋月龍氏の著作は道を見失っている修行者には貴重な旅の灯燈となるだろう。見性体験も具体的でリアルだ。けれども本格的な座禅をせずに仏教に触れたい人には、飽くまで手厳しい。悟らなくてもいいから、禅宗の原点をズバッと知りたい。多くの読書人はそこに落ち着くだろう。本格的な座禅をしなくて申し訳ないが、秋月龍氏の著作はその世界を垣間見せてくれる。精神のルーツ学である。



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<span itemprop="headline">メシアン、深みの断片</span>

2009-01-19 19:39:40 | 無題

現代音楽はそれほど親しめないという人も、マーラーやショスタコーヴィチに慣れ、さらにバルトークやコダーイに馴染むと、自然と現代音楽を受け入れる余地が生まれる。
08年はオリヴィエ・メシアン生誕100年で、EMIから記念盤が14枚組で廉価盤で出ている。それを聞くとメシアンの広大な音世界の全貌に触れることができる。以前はFMでメシアンが流れてくると難解だなと聞き流していたが、よく聴くとあれこれと寄り道がありつつ、最後は盛大に盛り上がった後消え入るように終わる、などある種の癖があり、慣れてくると面白い。
メシアンは自分の曲作りを、ワーグナーの歌劇のライトモチーフになぞらえている。繰り返されるひとつひとつの旋律に、象徴的な意味が託されている。つまりわからないようでいて、混沌とは異なっている。メシアンの場合、多くは聖書にライトモチーフの意味が求められている。
メシアンの聖書からの引用は極めて詩的である。「幼子イエスにそそぐ二十のまなざし」や「時の終わりのための四重奏曲」などは題だけ見ても詩情は伝わる。彼なりに旋律に宗教的意味を込めて曲作りをしているのだが、出来上がったものは多分に即興音楽的で、現代音楽界のセロニアス・モンクのようである。
彼はいわゆる共感覚の持ち主で、音楽を聴くと音が色として見えるのだという。音を色に、色を音に変換できるのだ。
また彼自身、鳥類学者でもあり、鳥の鳴き声を聞き分けて、採譜して曲に移し変えたりする。そんな彼の醍醐味を一番味わえるのはオルガン曲ではないか。彼はそこで世界の底なしの深さに身を浸していて、その感覚が、同じく教会のオルガン奏者の出身でカトリックの作曲家、ブルックナーの交響曲の感覚とよく似ているのである。メシアンは言う。「遠く隔たり、畏れを覚えさせ、動きを見せず、永遠で、無限である神が私たちのもとに(イエスとして)来られ、私たちの言葉で、私たちの感覚で、私たちの気持ちでご自身を理解できるようにして下さった。それは神性の最も美しい局面である受肉の神秘であり、それゆえに私はクリスチャンなのだ」(「メシアン 創造のクレド」より)。メシアンの音楽もまた受肉の変奏であり、天国の深みから聞き取った光の断片なのである。



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<span itemprop="headline">コダーイの蝋管から聞こえてくるもの</span>

2009-01-09 02:32:52 | 無題

フィッシャー兄弟の「コダーイ管弦楽集」は古い旋律を新鮮な作風で聞く喜びに満ちている。
コダーイ・ゾルターンがフォノグラフ(蓄音器)で民謡を録音する方法をヴィカール・ベーラから学び、幼い頃育ったガランタ地方の生きた民謡を最初に記録しに行ったのは、一九〇五年のことだった。
それ以降、通りで人を呼びとめて、一杯飲もうと誘って歌ってもらったり、女の人が刈り入れの時に歌う歌を採譜したりした。農民たちはいぶかしそうにコダーイを遠巻きに見ていた。蓄音器を運んで乗り物で訪れると、一体何の取引に来たのかね、と不審そうに尋ねられた。
本当は古い民謡をよく知っている老人に歌ってもらいたいのだが、老人は人前で歌わないという習慣を大目に見てもらうのは容易ではなかった。女の人が人前で外で歌うのもはしたないこととされていた。しらふの女性は皆の前では歌わない習わしなのだ。コダーイはこっそり部屋の奥で蝋管を取り付けて民謡を録音させてもらった。
皆が集団で歌うのは主にいっせいにとうもろこしの皮むきや鶏の羽根むしりの仕事をする時だった。コダーイは親友バルトークとともに、最も純粋な民族音楽が残存するのは土地の辺境だと考えて、集中的に歌を集めて行った。コダーイはセーケイ地方に多く残っている五音音階の民謡こそが、最もマジャール(ハンガリー)的な民族音楽だと確信した。
コダーイはみずから掘り起こした旋律を用いて、ハンガリー独自の現代音楽を多数作曲した。オーケストレーションを施した歌曲「ハンガリー詩篇」は堂々たる管弦歌曲で、ブタペスト市統合50周年を記念して一九二三年に書かれた。
また、トランシルヴァニアの民謡の旋律をふんだんに用いて「マロッセーク舞曲」をオーケストラ曲として完成させた。さらにマジャール人の兵士の古い踊りの旋律を用いて「ガランタ舞曲」を書き上げた。
ファシズムに抗して盟友バルトークがアメリカに亡命した後も、コダーイは「内なる亡命」を選んで留まり、民謡に基づいた「孔雀の主題による変奏曲」でハンガリーの心を訴えた。彼は民謡を音楽教育に積極的に取り入れ、自国にふさわしい合唱曲を書いて教育の生きた教材とした。民族音楽学者である彼は合唱運動に力を入れた。そんな彼の口癖は、「音楽はみんなのもの」であった(ラースロー・エウセ参照)。



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