ラジオでセントラル愛知のブラームス・ヴァイオリン協奏曲、交響曲第4番4楽章をスワロフスキの指揮で聞く。
そのあと笛田博昭氏のテノール特集を聞く。
ハンヌ・リントゥ指揮でシベリウスのフィンランディア、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番をEテレ・クラシック音楽館で見る。
ハンヌ・リントゥ氏は中堅指揮者でオケはフィンランド放送響。「フィンランディアはフィンランドではプログラムの最後に演奏されて、観客が感極まって終わるのがふつうだ、今回はフィンランディアを序曲として冒頭に演奏できて嬉しい、諏訪内さんは音が軽やかなのでシベリウスのヴァイオリン協奏曲を北欧の重苦しい舞曲として演奏せず、どう演奏するか楽しみだ、交響曲第2番はアメリカなどではフィンランド独立と結びつけて聞かれるが、私としては純粋に交響曲として聞いてほしい、日本で一番人気のあるシベリウスの曲が2番なのはななぜか私の方が聞きたい、この曲の第一楽章は第一主題や第二主題がなく、8つの旋律が組み合わさってできている、このような作曲法はシベリウスのトレードマークになった、スケルツォからフィナーレへ間髪入れず移行するのはベートーヴェンの運命交響曲を意識して取り入れている」と指揮者ハンヌ・リントゥは説明していた。
フィンランド人の楽団は日本に来てまたフィンランディアと交響曲第2番かと内心辟易することがあると
聞いたことがある。
フィンランド放送響はそういう惰性を感じさせず、結構熱い演奏を披露していた。諏訪内さんと共演することなどが刺激となり、日本放送協会で放映されることも刺激になったのかも知れない。
放送後、同じくフィンランドの音でシベリウスが聞きたくなり、レイフ・セーゲルスタムとヘルシンキ・フィルのオンディーヌ社から出ている交響曲全集を取り出して交響曲2番を聞いた。
セーゲルスタムの心の籠った念入りなゆったりテンポは余すところなく、シベリウスの情感を伝えている。
この人のマーラー全集も感涙ものの念入りな心の細部まで行き届いた名演奏である。テレビとラジオとCDで音楽を堪能し心洗われた。
放送でシベリウスなど視聴して愛聴盤で感動を繋ぐ
昨日は夕方フルトヴェングラーのヒトラーの前の第九聞く。
一糸乱れぬ合唱が戦時下を思わせる。
マタチッチのヒストリカルの英雄・運命・田園を聞く。
音質は何だが必死さが胸を打つ。
そのあとバレンボイムのベートーヴェン全集を聞く。
バレンボイムは来日してブルックナー・ツィクルスを振るらしい。
それよりマーラーの楽譜を全部覚えてマーラー全集出してほしい。
夜寝る前にラインスドルフのモーツァルト全集後期を聞く。
ラインスドルフのモーツァルトは貴重。
音がざっくりしていて、小気味良い。
ラインスドルフはベト全も持っているがこれはソニーの白箱で再発売した。
これもざっくりして小気味良い。
今日はエミール・ギレリスのベートーヴェン聞く。
ピアノソナタ集の8枚目、後期ピアノソナタ集聞く。
ギレリスのベートーヴェンしみじみ系で素晴らしい。
中古CD店でちょくちょく見掛けるのでお勧めである。
イーヴ・ナットのピアノソナタ全集にシューマン数枚ついて
今度廉価盤で発売したという。
廉価盤で発売すると本家盤を売る人出てくる。
ラインスドルフのモーツァルト、小気味良いと書いたが
カール・シューリヒトのモーツァルトも
定評があり、別の意味で小気味良い。
シューリヒトはEМIのブルックナーは静謐なのに
その他は街中を激走するゴーカートみたいな
勢いの余る演奏が多い。EМIのベートーヴェンも
ヘンスラーのブルックナー・ライヴも小気味良い快速録音である。
名盤を続けて聞いて振り返り走り疲れて今日を終えたい
HMVやタワレコで廃盤扱いだったデッカのハイティンク・シンフォニー・エディションが再入荷してよく売れている。
私は初回発売のときに予約して入手したので安心である。
内容は、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、シューマン、チャイコフスキーの交響曲全集がコンセルトヘボウの演奏ですべて揃うという優れもの。36枚組である。
アマゾンでは継続して売っていたので入手困難とか渇望感が巷に溢れているとは思わなかった。
内容は言うまでもなく素晴らしい。
マーラー全集やチャイコフスキー全集を中古で探すのはたいへんである。フィリップスの黒箱で出ていたものだが、今フィリップス盤で揃えるのは至難の業である。
音色は柔らかく上質な絹のようなハイティンク・コンセルトヘボウのサウンドが楽しめる。
序曲や舞曲や変奏曲などのおまけもオリジナル通りついてきて網羅的な全集の全集と言える。
ジャケットがハイティンクの渋くて格好いい指揮姿の写真でファン感涙の一品である。
演奏はみな定評がある物で全集の全集の決定版と言えるCD群である。
タテ型の箱に上からふたを被せるタイプで、クーベリック盤と同じである。
今では無二の巨匠となったハイティンクの残した偉業を存分に味わえる名ボックスである。
インナースリーブがジャケットの表紙の写真で統一されているのもスタイリッシュである。
以前これほどコンプリートじゃないボックスセットが売り出されて、後発のこのセットが出たときに後悔した人も多いことだろう。
そんなこんなで買い逃してしまった人には今回の再入荷は朗報である。早めのクリスマスプレゼントにぴったりのボックスセットである。
全集の集大成の全集が一挙に揃う夢の全集
昨日の夜、ドリームライフ社のレナード・バーンスタインの悲愴のDVDを見た。
現在廃盤だがタワレコで売っている。
1974年の収録で、色褪せも進んでいて、映りはよくない。だが、バーンスタインの表情ははっきりと見て取れる。
バーンスタインとオーケストラを二重写しにしたり、カメラワークは見づらい。
だが、チャイコフスキーの悲愴をどんな表情でバーンスタインが指揮していたのか、ひじょうに興味深い映像である。
バーンスタインは飛んだり跳ねたり語りかけたり、誘い掛けたり、汗をかいて運動量も多く、あらゆる表情を用いて、オーケストラに懇願したり、ともに陽気になったり、悲痛になったりしながら、このチャイコフスキーの集大成の交響曲をオケから引き出して行く。
CDで聞いているだけではわからないが、バーンスタインはこんなにも表情づけを行いながら指揮していたのかと思うと感慨深い。
ソニーのチャイコフスキー交響曲全集の悲愴はグラモフォン盤と比べるとそれほど最終楽章が長くない。
ドリームライフ社の悲愴も、交響曲全集の時代に録られていて、最終楽章もそれほど長くない。
だが、完全燃焼で全身全霊で祈りを込めて指揮するバーンスタインの表情や身振りは印象的で、大そう感動的である。バーンスタインが彼岸の祈りへ深く入り込むのは1978年頃からだが、それ以前のバーンスタインも全身全霊で楽団員に働きかける感動的な指揮をしていたことが、このDVDを見ると如実にわかる。
第三楽章が終わると拍手が起こった。それからアダージョの第四楽章が始まる。このアダージョ楽章の彼岸的な美しさはバーンスタインの独壇場である。スクリーンは両端が切り取られていて、中央の正方形に近い部分で映像が映っている。バーンスタインの指揮は時にスポーティ、時に司祭のようにあの手この手で楽団員の心を惹きつけ、観客を前に最高の指揮を演じ切る。
稀代の名指揮者の伝説的な指揮ぶりを間接的な形であれ、この目で見たことで興奮が覚めやらない。一時は廉価盤で売られていた盤であるが、今入手困難なのはまことに勿体ない。
バーンスタインの悲愴の指揮姿、一見に値する名演奏である。
飛び跳ねて全霊を込めすすり泣く稀代の指揮が祈り伝える
居間にアンセルメ箱3個置いている。それとブルーノ・ワルター・エディションを置いている。
だがもうひとつ、奥に仕舞ってあるが傍に置きたい箱がある。
ギュンター・ヴァント・ライヴである。アンセルメをひとつ仕舞えば置けるのだがどれも愛聴盤である。
居間にどの箱を置くかは悩ましい。
今はエミール・ギレリスのベートーヴェン・ピアノソナタ集(未完)を聞いている。
5枚目の月光の入ったCDを聞いている。
エミール・ギレリスは鋼鉄のタッチとか肉体派のキャッチコピーで語られるが、実はしみじみ系だとクラ友が言っていた。ギレリス、後期のピアノソナタもいいのだが、32番を録音していないのだ。残念。
今日はラジオでエストラーダ指揮の元フランクフルト放送響のマーラー巨人をラジオで聞いた。
けっこう音色が耳新しくかなり新機軸が盛られているような気がした。
フランクフルト放送響のマーラー、いいなと思って奥からインバルとフランクフルト放送響のマーラー全集のブリリアント・レーベルの箱を取り出してマーラー巨人を聞いた。
エストラーダのあとに聞くと、エリアフ・インバルが随分溜を作って遅い所は遅く速い所は速く、緩急をつけて演奏しているのがよくわかった。
大地の歌とデレク・クック校訂の10番補筆版も入っていてお値打ちである。
6番や7番が2枚組なのは面倒ではあるが、溜のある演奏なので聞く価値がある。
最近ユージン・オーマンディのブルックナー4番・5番を聞いた。
精神性は感じられないが、全編アダージョの洪水で音のエステを味わえる。
オーマンディの独墺系の録音は敬遠されがちであるが、結構聞かせる。
今、エミール・ギレリスの月光を味わって聞いている。
ギレリスが全集を残せなかったのは惜しいが、録音されたソナタはどれもしっとり聞かせる。
私の毎日が照らされるよう願っている。
繰り返しピアノソナタを聞きながら日々の陽射しを待ちわびている