ヘルマン・ヘッセのシッダールタを読んだ。ゴータマ・ブッダとは違う無名の沙門で、若き悩める修行僧であった。ゴータマ・ブッダと出会った彼はブッダの言う苦悩とそれからの解脱を学んだ。けれどもシッダールタはブッダの教えに満足しなかった。シッダールタはブッダの教えには欠けたところがある、それは解脱が世界の完全性にヒビを入れていると言うことだった。ゴータマ・ブッダの元を去り、沙門さえやめてしまい、若き娘と恋に落ちた。その後長く遍歴の旅を続け絶望をくぐり抜けて最後に渡し守と出会った。渡し守も普通に生活しながら世の中の摂理を知っていた。シッダールタは渡し守から学んだ。それは全ての人と共感すること、世界をそのままで受け入れること、世界と共に生きることであった。シッダールタの古き友人は数十年ぶりに会ったシッダールタを見てその笑顔がブッダとまるで同じことに気づいた。シッダールタは自分のやり方でブッダと同じ心の平静を見出していた。シッダールタは普通の人であった。それでいて世界の全てを受け入れる、善悪も含めて受け入れる共感の思想に達していた。仏教徒からすれば色々と反論のあるところだろうが、一人間として世界との共感と言う思想にたどり着いたヘッセの境地がうかがえる。インドとの付き合いの深い家系であるヘッセだがシッダールタが彼の分身であることは疑いない。ユングとの出会いを経て、善悪を含めてこの世界を肯定することを学んだヘルマン・ヘッセの到達点がうかがえる奥の深い優れた小説である。
人生の遍歴を経て仏陀とは違う境地で朗らかに笑う
人生の遍歴を経て仏陀とは違う境地で朗らかに笑う