なんといってもクラウディオ・アラウのフィリップス録音全集を味わい尽くした。
素晴らしい企画。アラウの大箱。
そして、タチアナ・ニコラーエワの芸術37枚組の発売予告!
希望を次に繋ぐナイス企画。
私は家にあるヴェネツィア盤のムラヴィンスキーをかき集めて次々聞いていた。
ベートーヴェン(2番や第9なし)ブラームス、ショスタコーヴィチ主要録音。
だがブルックナーがないことに気づく。
ブルックナー録音は7,8,9番が各一枚で3枚組で出ている。
なかなか売ってないが、某サイトで3枚組を取り寄せている。
明日辺り到着予定。ブルックナーらしさよりムラヴィンスキー節だという話。
ロシアオケらしく金管が咆哮する癖のある演奏らしい。4,5番もあればいいのに。
でも、あれ、深層心理学の本ってホント楽しい。
心の奥を旅する感覚が性格に合っているようだ。
法哲も仕事で読んでいるけど、それなりに成る程!の世界。
私の性格上、様々な葛藤があるなか手探りでできる限り進んだ。<<
パソコンの設定に、ある文字を入れると、フラッシュ広告が消える。
でもそれを実行すると、画像検索やリアルタイム検索ができなくなる。
どっちにしよう?今日の選択、である。(ブログの投稿もできない)
今日はベーカリーに行き、そのあとCDウォークマン用の60センチのイヤホン買った。
昨日は夜ディランのベスト聞き、脳内みうらじゅん状態である。
どんな感じ?どんな感じ?住処もなく、行き場もなく、転がる石みたいなのは!
(某ノーベル文学賞の一節。)
今日は町に出たので知人の開店した古書店に寄る。
河合隼雄さんの息子さんの講談社のユングがあった。
ケレーニイやギボンが目に入る。レーニン、トロツキー、スターリン
という本を手に取って店主のY君と談笑する。
ドイツ観念論の凄いのがあった。
マッケラスとウィーンフィルのヤナーチェクの狂騒曲とシンフォニエッタ
を買って古書店から帰る。
帰ってシンフォニエッタ聞く。実は初体験。
影のある祝祭音楽という趣き。いい機会だった。
クラウディオ・アラウの大箱、どれを聞いても素晴らしい。
今日は、原稿が結構進む。
6時にHMVのニコラーエワが2千円値下げした。
私はスペシャルクーポンを使って実に安価に予約できた。
あるサイトに「悪いことは一過性だが、好いことは続く、」と書いてある。
今考えても変えられないことは、一旦忘れて好きなことに打ち込む。
時が解決する。解決できないことは一旦忘れて楽しく過ごす。
眠ると何だか荷が軽くなる。
心には自己治癒に向かう働きが確かにある。
無意識が自己治癒に向けて動いている。
クラシックとノンアルコールは好い息抜きだという。
一休の遺書は「大丈夫、何とかなる」だと言う。
一休は「釈迦といういたずら者が世に出でてのちの世までも惑わするかな」
という歌を詠んだと、俗説では言われている。
贈与が行き詰まると、いたずら者が間を取り持つ。無意識が自己治癒に向かうのと似ている。
無意識に自分を癒す傾向が知らないうちにうまくはたらく
友人が自由律俳句を作ってメールで見せてくれた。
めちゃくちゃ面白い。私が半ば冗談で書いてるのに対し、友人のは耽美的ため息が表現されている。
性格が出る。以下は私の作。
「集まって語ると故人の星座」
「夢のへその周りを回っている」
「8回転べば来年は転ばないと思う」
「楽器を弾く夢を見て安いシンセ買う」
「本棚から未完の本が浮かぶ」
「アクリルで幸せな記憶を塗る」
「珈琲で今朝の血が起きる」
「超現実を書く頭を知りたい」
「もう買わないを繰り返している」
「悩みを酔って笑うと楽になる」
「ゴミ出してくると毎朝聞く安心」
「ピアノソナタに出口が見える」
「1000円床屋を見抜かれる」
「ハイドンがマーラーのように鳴る」
「夢の続きを見に行く」
「夢を語れる人と会った」
「部屋中かき集めれば全集要らないのに」
「本と本を並べる勘が頼り」
「長く曲がった道のあとの眺め」
「本を閉じて自動筆記」
「書けないことが中心にある」
どうも私のは全部、自分語りで終わっている。
アクリルでもう戻らない幸せな記憶のへそを繰り返し描く
昨日、HMVのサイトにタチアナ・ニコラーエワの芸術37枚組がスクリベンドゥムから近日発売という広告が出ていて、えっ、そんなの出るの?と思っていたら、今日サイトから消えていた。先ほど復活。
どうなるのだろう。
私はアマゾンをあきらめてクラウディオ・アラウのフィリップス録音全集を別サイトで注文した。アマゾンは2月23日発売と銘打っていたので2月16日に注文したのだが、お届け予定日に未発送なので問い合わせると、5月ごろ入荷しますというのでやめた。他社は3月13日入荷予定。
法哲をメモ書きして、心理学を読みこなすのを続けている。
最近天気が悪くてベーカリーまで歩けなかったが、今日は朝食後、ベーカリーでコーヒー飲んでこよう。
昨日は夜HMVのニュースに触発されて、ニコラーエワのベートーヴェンピアノソナタを味わった。
ニコラーエワはショスタコーヴィチの前奏曲とフーガ以外主なものは持ってる。
スクリベンドゥム37枚組は、のちのち入手困難盤になりそうだが、私は見送るつもり。
なにせ、アラウの大箱を予約しちゃったのだ。懐事情は絶体絶命である。
ニコラーエワの芸術37枚組は13000円ぐらいで出る予定だという。
ニコラーエワの平均律全曲とかベートーヴェンソナタ全曲とか今入手困難なので、探していた人には救いの手である。だが、コアなファンしかいないので、37枚組が採算取れるか微妙である。
心理学では大聖堂の地下の貯水池で蛇と会い、自分の幼なじみは蛇と仲良く、蛇は夢の町の支配権を幼なじみと夢見た人と分け合おうと言うが、断って別の友人に蛇退治をさせるが失敗して傍観しているという夢が出てきた。夢の町は人格の全体性を指し、蛇は無意識の番人で、幼なじみは夢見た人の理想像だという。
なんだかおもしろい世界の連発である。並行して法哲も読んでいるので、頭が進む(水木しげるの表現)。私のブログはNothing’s gonna change my worldである。思うに誰も私の木にいない、高いか低いかはともかく(イチゴ畑よ、永遠に)。今、飯守泰次郎のマルケヴィッチ版のベートーヴェン全集を聞いている。散歩が楽しみだ。
ジョンが言う誰も私の木にいないそれでも夢の町を眺める