超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

刷り立ての聖書短歌来る

2022-06-29 05:14:06 | 無題
きのう、帰宅すると、「短歌で読む新約聖書」が550円+送料で届いていた。
これが、帯つき、正誤表付きという、刷り立てのまま保管されていた、
新品同様の本で、誰かに献呈された本がそのまま入荷したのを入手した。
イエスが洗礼を受ける場面を抜き書きしてみる。
「ヨハネよりバプテスマうくイエスかな天は開けて聖霊くだる」
「神の子はヨルダン川の川べりでヨハネの手にて受洗されたり」
「聖霊の化身の如くはばたきてイエスの上に鳩の飛び交う」
「聖霊が鳩の如く舞い来たりイエスの上にとどまりにけり」

荒野での断食の部分も抜き書きしてみる。
「荒野にて誘惑なせる悪魔らにイエスは断固たたかわれけり」
「荒野にて御使いたちがサタンよりイエスを守り仕えたまえり」
「荒野にて四十日の誘惑をイエスしりぞけ打ち勝たりけり」
以上、加藤繁樹氏の福音書の短歌。
この本、私の導きである。
本文はなく、一行ずつ、文脈の説明がある。もっと評価されてもいい本だ。

私はといえば、今、自分の作文がペンディングされている。
せめて通して、世に問いたい文集なのだが。

肉声を放とうとする地の塩に固く閉ざした戸もじき開く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィトゲンシュタインの厳密さ

2022-06-26 22:36:00 | 無題
ウィトゲンシュタインの「遺稿」が、定価の倍価格で売っている。
そもそも「探究」自体が没後まとめられた「遺稿」であり、
その前段である「青色本」と「茶色本」も遺稿と言えばいえる。
問題の倍価格の「遺稿」の訳者による内容紹介を
ネットで読んだ。
「私は痛い」は証明できない実感である。
「私は自分が痛いと知っている」というのは、実感と
知識を取り違えた、ことばの誤用であるという。
また、「犬は痛い振りができない。」というのは正しい。
それは、人と犬の生活様式が違うのであって、
そこには優劣はない。
あるいは、「子どもは嘘をつかない」という表明は、
正確ではない。「小さい子どもは人を騙すには、余りに稚拙である」
というのが、より正確である。
こういうことを、一つ一つ検証しているのが、問題の「遺稿」である。
こうした話題は、はっきりと「探究」で述べられている。
その前段である、「青色本」「茶色本」も同様である。
そこで、高価な「遺稿」は、まだ入手していない。
内容が相当重なるが、おもしろいのは保証付きである。

正確なことばの使用にこだわって言語ゲームの理論深める



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も祝う蟹座A型

2022-06-25 07:14:38 | 無題
カード変更で一週間以上使えなかったが、
「短歌で読む新約聖書」と
平凡社ライブラリーの
「ウィトゲンシュタイン」(友人の回想録)
講談社新書の
「ウィトゲンシュタインはこう考えた」
ハイデガーの
「ウェグマルケン(道標)」
を一挙に買う。

昨日は暴風雨で、壺屋洋菓子店に
ショートケーキを買いに行けなかった。
夏日の今日は幌平橋のサンマルクで、
真鱈のグリルとブラックタイガーの
雲丹ソースを窓側の明るい席で
食べてくるつもり。
毎年の恒例行事となっている。

紫陽花も咲かない晴れた北の地で今年も祝う蟹座A型
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古代ローマ三賢人の言葉

2022-06-21 05:30:45 | 無題
きのうは、PHPの超訳「古代ローマ三賢人の言葉」読む。
ディスカバー21のシリーズを真似ているが、別物。
セネカ、キケロ、アウレリウスという三人のストア派の
賢人のことばが、交互に折り混ぜて、テーマごとに
紹介してある。

つねに人生の最期を念頭に置いて生きよ。
自分の思い描いた理想通り振る舞え。
人は、いつでも自分の生き方を反省できる。
記憶も繰り返しなぞらないと消える。
友とは愉快な気持ちで接する。
老いたおかげで身軽になれる。
老人には若者の体力は必要ない。
人生の終わりは平等に訪れる。
安易に暗い未来を想像するな。
心の動揺もやがては消える。
習慣を天性とせよ。

こんな感じで続いて行く。名言の後に本人の解説がある。
実践的な人生訓で、特に後半生に役に立ちそうだ。

消耗が激しく快も減るけれど老いも慣れれば実は楽しい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィトゲンシュタインと福音

2022-06-18 08:31:54 | 無題
ヴィトゲンシュタインが町の本屋でみつけ、戦地で読み耽った
ことで有名な、トルストイの「福音書要諦=邦題はトルストイの聖書」
を数日掛けて読み終わった。
これが何とも言えず江戸時代の十返舎一九の「弥次喜多道中記」
のような時代がかった口調で、翻訳が滑稽でさえある。
「皆の衆、お聞きなされ。わしの教えに生きる者は真生命を得るのじゃ。」
というような感じで、すっかり老境のご隠居ふうで、とても三十代
に思えない。昭和24年(1949年)刊行とのことだが、
訳者は存じ上げない原久一郎と言う人だが、当時相当の高齢に見える。
文体が、漱石よりもよほど古いのである。
言文一致体ではあるが、ほとんど弥次喜多道中記なのだ。
「のらくろ」よりもさらに古い口調。
だが、結構いいことが書いてある。
天の与えた霊は真生命であり、これと一致して生きなくてはいけない。
神の国はこの地上に厳に存する。内なる霊に従う者は、
生きながらそこへ入ることができると、ヨハネとイエスは言う。
神の国は人の内部に厳然としてある。神と言うのは宇宙の本源である。
神は生命の本源であり、人の霊性は真なる生命であり、時を越えて
永続するという説は道標となる。ヴィトゲンシュタインが本書を
鵜呑みにしたとは思えないが、「人の内面に永遠の霊性は宿る」との趣旨には
心打たれるものが確かに有ったのだろう。「霊性を活かし善く生きたい」
という願いを彼も抱いたに違いない。読みづらく高価な本だが、心に刺さる。

人間の内にも宿る霊性を守り育てて生きる切望


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする