最近、読書中。
だが大急ぎの切羽詰まった要件ではないので、速くない。
頭のなかのムーミンが完全に冬眠している。珈琲がぶ飲みしても眠いのだ。
今日は読書を中断してベーカリーまで散歩してかぼちゃあんぱん食べてくる。
スーパーで宇佐美の蜂蜜太郎という駄菓子を買ってくる。これは実に旨い。蜂蜜太郎、好きだ。
クラウディオ・アラウの大箱が発売日を過ぎて数日経つが未発送なのが悔しい。
今はオットー・クレンペラーの復活を久しぶりにゆっくり聞いている。
独楽鼠のように慌ただしくしていたが、久しぶりにスローペースでマーラー復活を聞いている。
少しでもペースを落とすと後ろめたい。
怠け者になりなさい、のんきに暮らしなさいと水木しげるの名言煎餅にも書いてある。
スロー・ダウン、ユー・ムーブ・トゥー・ファースト(S&G)。
あがた森魚の「永遠の遠国の歌」というLPの愛聴盤をCDで注文する。
今日見たら600円値下げしていた。振り返らない。
永遠の遠国は馬から落馬したとか頭痛が痛いとかと同じく重複表現である。
話し言葉や詩や歌詞の世界なら重複表現は普通に許されると思う。
復活の最終楽章がクライマックスを迎えて鐘が鳴っている。充実する。
ラノベとかで一時間に2千字書く目標で執筆している人もいる。
読書サクサク進むと嬉しい。今日はカレートンテキとポテトと茶碗蒸し。
クレンペラーの第九を聞いて、アラウも聞いてゲッティング・ベターな3月にしたい。
光が見えてきた。出口にたどり着くだろう(ビートニクス)。
止まってる頭のなかを刺激してかぼちゃのパンで冬眠を起こす
夕食は調布で買ったスパイス・リゾートの
ホウレン草カレーとトップバリュのナン。
シェルヘンのマラ7を聞き、カモミール茶飲む。
食後に前々から読もうと思っていた
10章の本の終わりの3章を読み、一冊終わる。
深層心理学の初期から成熟期までが順を追って書かれていて、脳が進む。
私は数年前この本を抜き書きしながら読んでいたので、
内容はよく知っているはずだが、
今回再読して吸収するものが多かった。
前回は客観的に内容を理解するために読んだが、
今回は自分の心の問題として対話しつつ読んだ。
同じ本を何度も読むのは聖書と文法書ぐらいである。
心の深まっていく過程として、
深層心理学の歩みを読み、気づくことが多かった。
また私自身の夢や影との対話と並行して読み進めることができた。
心の問題が、自然と文明社会、
寝室と居間といった対立軸とある程度重なるのを知った。
心と物を生み出す潜在的世界が
現実の背後に横たわっているという補助線が、
私の導きの糸となった。
同時期にジャン=ジャック・ルソーを読み、
尾崎放哉を読み、相互理解が深まった。
逃げかかる心の奥を見つめては論理矛盾に耳を傾け
部屋にも意識的な部分と無意識的な部分がある。
居間は外界への窓があるし、仕事の本が並んでいるので意識の光が及んでいる。
寝室は引き籠る空間、プライベートな空間で、眠って夢を見る場所なので無意識に近い。
トイレも端っこなので無意識に近い。
昨日は恩師の夢を見た。自信を取り戻すために会いに来たと解している。
無意識とはそんなに単純ではないかもしれない。
無意識は未来の現実を含んでいるともいう。
夢のほかに無意識の内容に触れる方法は何か。
言い間違い、ど忘れ、置き忘れなどに無意識が出ると心理学は言う。
その他、私が思うには、冗談、落書き、暇つぶしの検索内容などに無意識が出る。
スピリチュアル的な俗信には心理学のうわべを世俗化した願望が出る。
私はもっと確かな無意識との対話術が知りたいのだ。
ちなみに文系の論説には無意識内容が出る。
むしろ私は無意識内容を適度に論旨に混ぜるようにしている。
そのほうが文章がイメージ豊かで実感が籠った表現になる。
退屈を避けるには無意識の表現を混ぜるのがいい。
それはさておき、自由律俳句を書いておく。
「洋裁店でゾウの子を見る」 「オフィーリアを思い出す写真に釘づけ」
「今年も郵便受けにチョコはなく」 「児童館で借りた本がいちばん役立つ」
「街へ行くときはネパール料理店も探す」「タイで買った仏像と、ムーミン」
「モスグリーンのトレーナーだけ着る」「私のミートテック、には笑った」
「最高気温マイナス3度も慣れる」 「深々と降る日にミシンの音」
「去年の日記に魔物」 「エルダーフラワーのお茶に落ち着く」
「歩道の切れ間でよく滑る」「絵本を朗読して寝る」
「決められた席の隣に移る」「私の歳の母親の写真」「ヤマザキの塩バターパンをまた買う」
深みが出なくても自由律俳句は楽しい。
水槽にじっと沈んで行くように夢を見に行き抜け道を探る
自由律俳句を思いつくまま並べると
「日記の上にユングが積んである」
「ナナカマドのジャムで目が覚める」
「紛失した本をまた買う」
「今日はチョコ3っつ目」
「吹雪のなかを通学する子が見える」
「青空でも町が白い」
「虹が出た朝に緊急警報」
「字が途切れない青いペンが走る」
「電子シンセの横にスヌーピー」
「ノンアルはギャバ成分が回る」
「気がつけばまた送受信」
「ムーミンの柄のスープマグで安心」
「せっかちなのにアダージョに泣く」
「サイレンさえ聞こえなければ静かな部屋」
「0と9のキーボードが鈍い」
「イコンのイエスと目が合う」
「栗鼠の箸置きが並ぶ」
「また近くの山が白く霞む」
「雪の晴れ間にスーパーでお茶する」
「聞いてないトスカニーニの横顔」
「「擬似ステレオに騙されてみる」
「タワレコの袋は目立ちすぎる」
といくらでも作れるのだが、自分から踏み出す一歩が足りない。
次々と目につくものを描写して一行を書くだけで笑える
昨日深層心理学を調べ、シェルヘンのマーラー聞いていた。
仕事の関係で来年から大幅に仕事内容が変わりそうだ。
あたふたしていると、すべてはうまく行っているから大丈夫と言う方あり。
友だちに「この小説を読め、傾向と深読み」の話をする。
昨日はかなり寒かったが、ベーカリー行ってコーヒー飲んでくる。
来月に父の教え子さんと歓談する会があり、今から楽しみ。
深層心理学の探求、なかなかエンジンが掛からないが、直、軌道に乗るだろう。
法哲のメモ書きも少々必要。去年は各分野併せて15冊ぐらいメモ書きした。
変更で使わなくなったりする。慎重に行こう。
年初までに論考を2つ校了した。
オルフェウス論は長年暖めてきたもので、ディオニュソスに続く神話連作。
オルフェウス論の続きを書くように勧められているが、目下、ネタ切れ中である。
美術部の友人と会ったとき、熊野の話が出たので、南方民俗学の文庫買い直す。
部屋のどこかにあったのだが紛失中。水木しげるの「猫楠」お勧めである。
ジャンプの打ち切りマンガ「てんぎゃん」もよく書けていた。
1巻しか出てないが、2巻はキンドルで出ている。キンドル利用経験なし。
深層心理学、改めて読むと、自分の心がよくわかる。
インターネットで、願い事は、かなう、とか、悩みは勝手になくなる、
とか好きなものが集まるとか、楽しさが持続するとか、
要はポジティブ思考の勧めみたいなのをよく目にするが実際どうなのか。
実際そういう傾向の友人は明るく生きてる気もする。
私は「ささいなことに動揺してしまう」独楽鼠みたいな性格なので、
少しは見習いたい気がする。
ポジティブ思考でどうしようもない生老病死の定めもあるが、
小さなことは山も越えれる気もする。尾崎放哉の伝記と句集楽しみ。
「眠れずにブルーチーズをかじる」 「転んで帰るまで覚えてない」「寒いが珈琲を飲んでくる」
「短縮版マーラーで脈拍上がる」「福音書を閉じて歩く雪道」
「湯上りにいつもかりんとう」「読めない文法書を三度読む」「よろこび茶を飲んで終える」
など放哉ごっこするつもり。
日記にも描き切れない内面の自分をみつめ山も越えれる