最近友人に借りたチェリビダッケのブルックナーを聞く。
広大な原っぱで暴れているような印象。
チェリビダッケは時々雄叫びを挙げて気合を入れる。
堅固な構造に音楽を当てはめるタイプではない。
自由度の高い演奏。響きの一音一音の間を聞かせるタイプ。
スケールはでかい。芸術家肌のブルックナー演奏。
ラジオで聞いたフランソワのドビュッシー・ラヴェルとフェドセーエフの
グラズノフに興味あり。
最近父の見舞いに連日通っている。灯火の消えそうな感じ。
昨日はカラヤンの管弦楽を聞いていたら友人から電話で豪徳寺パティヤラパレス行く。
ほうれん草と豆のカレー、ナン、シシカバブと飲み物。
友人はイランのことを熱く語る。
友人は幼少時代イランで暮らしていたので思い入れが深いようだ。
アシュラーの儀式の話、イランやトルコは親日家が多いことなど話す。
モーツアルトのレクイエムの話でモツレクと言うな、ドヴォルザークを
ドボ八とか言うなと喋っていた。
エスニックのピリ辛料理店を何軒か見つけたから今度行こうと言う。
父の見舞いで気分が曇りがちだと話す。
二人で計4300円。十一時帰宅。
今日も見舞いに行って父の顔を見つめてきた。
帰ってフルトヴェングラー・ザ・レガシーを聞いている。
音楽は人に寄り添ってくれるように思える。
灯火が消え入りそうな横顔を静かに見つめ人の世を憂う
後期課程の同窓会でブルガリア料理ソフィアに行く。
八重洲ブックセンターの脇を曲がったところ。琴欧洲の看板が出迎える。
頼んだのはヨーグルトのカクテルと葡萄酒。
スネジャンカというヨーグルトチーズまったりして旨い。
ジョブスカサラダという野菜に粉チーズを掛けたサラダ取り分ける。
続いてブルガリアン・ムサカ。ひき肉をチーズでサンドした料理。
ハンバーグ料理キュフテ。カヴァルマという肉と野菜のオーブン焼きに目玉焼きを乗せた料理。
キッシュとヨーグルトのデザートを頂く。
皆一通り仕事の話や過去に受けたロラン・バルトや緋文字などの授業の話をして歓談する。
私以外の人は少女マンガやアニメに詳しい。
二次会は駅構内の喫茶店。250円の珈琲を飲んで話す。
ここでクラシック好きの友人と日頃のクラシックの感想を話す。
友人はクラウス・テンシュテットのベートーヴェン交響曲全集はフルトヴェングラーを越えるかも知れない、六番田園は小宇宙で自然への畏敬もあるし極端なデフォルメもない名演奏だ、第九は凄絶、キーレフィルでさえ美しい、オケの実力より指揮者の力だ、ロジェストヴェンスキーはドラマティックでロシア的、コンドラシンは自発的に燃えるタイプ、アンドレーエは原典主義、ストコフスキーの編集盤は好き、
クレンペラーは速い頃よりフィルハーモニアとの巨匠テンポが好き、クレンペラーはヒンデミットを代役に立てて置いて、あんなのに振らせたのかと平気で言う、フルトヴェングラーの謎の動きはオケが精神性をくみ取って音楽化した、セーゲルスタムは情緒的にスピードを落とすが、ヴァンスカは楽譜を読み込んで納得のいくように遅くしている、トスカニーニの隠れた名演は多い、ティルやスケーターズワルツなど
スピード感のある名演だ、フルトヴェングラーもトスカニーニも20世紀前半の指揮者は曲を具体的に細部までイメージして演奏している、昔の演奏家はそうだった、「リヒテルは語る」はイメージの洪水だ、チェリビダッケは独特の間が奇才だ、チャイコフスキーの聞き比べも企画したが今回は止めておいた、マルケヴィッチのチャイコフスキーやバーンスタインのチャイコフスキーなどお勧めだと語る。ヴァンスカのシベリウスとチェリビダッケのブルックナーを持ってきたと言う。存分に話したが話は尽きない。
11時過ぎに家に着く。仕事の話は苦手だが雑談は大好きだ。自分で企画して本を書いてみればと勧められた。それもいいかもしれない。
東欧の花咲く食のフォークロア交響曲を熱く語る日
今日は隣町の比較的新しいタイ料理店に行った。
ナムトック肉のサラダ、パネーン豚肉のカレー煮、
ヤムウンセン春雨サラダ、ムートート豚の唐揚げと飲み物を頼む。
友人は昨日ジャズフェスでコンドルは飛んで行くの斬新なアレンジを歌ってきた、
観客の批判は覚悟の上だ、
去年よりも反応が良かった気がする、
曲調をそんなに分からないほど変えていない、
明る過ぎない飛翔感のある曲が好きだ、
ブラックバードの入ったジャズアルバムを聞いてそのことを思い知らされた、
コンドルは飛んで行くの方がスターティング・オーヴァーより年配者には有名だと思う、
お前がCDを買わないと言い張るときほど必ず買っている、
武満徹の居た実験工房の展覧会が鎌倉の近代美術館でやっていて行こうと思う、
あの何かができそうな時代の感覚に魅かれるものがある、
と喋っていた。結構前衛好きなところが微笑ましい。
二人で計五千百円。店の人に初めてですかと言われた。
帰って八重の桜を見て、カラヤン・シンフォニー・エディション
のブルックナーの八番を聞く。これでカラヤンのブルックナーは
一通り聞き終えた。勿論以前も聞いたが今回聞き直した。
私には中古で買ったカラヤン・シンフォニー・エディション
が丁度よい。
飛翔して再び何かできそうな時代に行ける気がしたのはいつか
昨日は友人と待ち合わせて新宿西口シーアンに行く。
頼んだのは牛肉のサラダ、牛肉の唐辛子炒め、ラム肉の串焼き、豚スペアリブのニンニク炒め。
杏露酒とグラスワインを飲む。
友人はブログに出てくる自分は全然思慮深くない、
他の人が出てくると思慮深い、
お前がこんなCDボックスがあるんだよなという時が危ない、
大体その後買っているじゃないか、
買わないような回りくどい言い方をする、
そういうところがうちの父親と似ている、
わざとばかにしてみせる、
結局、ドヴォルザークだって買ったじゃないか、
室内楽編が手に入らないからといって代わりのCDを8枚分買ってるじゃないか、
このあと室内楽編が見つかったらまた買うんだろう、
この牛肉のサラダはウイキョウの味がする、
ラム肉の串揚げはクミンの匂いがする、
イランに行くとこういう匂いに満ちているぞ、
と話していた。
こういうふうに会話を羅列していると友人にまた
怒られそうな気がする。
確かにパノハ四重奏団の素晴らしいドヴォルザーク四重奏集は買った。
けれどカラヤン70は…うーん悩ましい。
カラヤン・シンフォニー・エディションもあるし、
今回は我慢するか。今日もシンフォニー・エディションを聞いた。
絹の道薫りに満ちた別世界時間を忘れしばし語らう
郵送でスプラフォンのパノハ四重奏団のCD来る。
ドヴォルザークの弦楽四重奏全集である。8枚組。
CD一枚目を入れると何とも言えない至高の美しさがある。スプラフォンを信じて正解。
パノハ四重奏団は知らなかったが素晴らしい。
ドヴォルザークの四重奏曲自体がこれまた素晴らしい。
今までベートーヴェン、シューベルト、モーツァルトなどの弦楽を聞いてきたが、
それとは異なる独特のボヘミア感。
ドヴォルザークは天才ですね。
音響体験の新境地を味わった。
日本コロムビアの限定盤室内楽編は見つからないが、代わりに至高のドヴォルザーク四重奏入手。
何とも言えないくつろいだ空気感。
先日友人とまた豪徳寺パティヤラパレスでほうれん草のカレーとシシカバブ食べて話す。
友人は今日のシャラララはいつもと音が違う、
人間辛すぎると思うことはできない、
ジャズユニットのギターの人と俺は分数コードが好きだ
そのからくりが判明した、ギターの人は洗剤のCMで俺はニュース解説のテーマ曲だ、
大人しい美大生らしき女性が客にいるな、
スターティング・オーヴァーにイマジンのイントロをつけたくないメンバーの気持ちもわかる、
と喋っていた。
先日買ったファン・ヘネップの「通過儀礼」は名著。うなずきながら読んでいる。
書店からモルガンの「古代社会」上下巻入荷しましたと電話。まだ受け取ってない。
フルトヴェングラーのブラームス全集やドイツレクイエムに感嘆していたが、
本日パノハ四重奏団のドヴォルザークの弦楽四重奏曲に開眼。
新境地を聞いた気がする。
ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」という本は、庭に宇宙の永劫回帰を感じている稀有な本。
何だかんだでインドアライフ充実している。
鳩好きで鉄道好きの少年が書いた宇宙の襞の弦楽