レナード・バーンスタインのハイドン・セット欲しいのだが、
アンタル・ドラティ持っているので手が出ない。
今夜はピエール・モントゥー聞きながらノート書く。
ベルグルンドの最初のシベリウス全集聞いて休む。
ベルグルンドのシベリウス2番3番スローテンポで素晴らしい。
そのあとコンドラシンのマーラー選集より6番の疾走感を楽しんで聞く。
クックパッドを検索して、
minakunのアフリカン・シチューというのを見つける。
これはシチューと書いてあるがナイジェリアのトマトチキンカレーで、
私の母の得意料理と似ている。
母がレシピを公開しないので、
しょうがないのでクックパッドのアフリカン・シチューで間に合わせる。
母が覚えたがっていた鮭のいずしという料理もクックパッドで見つける。
いずしというのは生鮭の寿司。一晩酢でしめる。
よほど鮮度のよい鮭を寒い時に
扱わなければいけない北の大地の特産品である。
クックパッドで鮭のいずしbyかけあおのレシピを見たが、
とても素人の作れる物ではない。
最近買ったトーヴェ・ヤンソンのスープ・マグ、
大きくて使い勝手が良くて色が綺麗で素敵である。
スープやミューズリー、スジャータのコーヒーなどを入れて飲んでいる。
毎日の喜怒哀楽を注ぎ込み綺麗な柄のマグで飲み干す
今日は鎌倉江の島一日フリーパスで鎌倉を周遊した。
藤沢から江ノ電で長谷まで行く。江ノ電は民家の間を縫って通るレトロで色取り取りの車両で電車好きにはたまらない。鎌倉高校前の手前で視界が開けて海の広がった景色に出る。
長谷駅で降りて歩いて由比ヶ浜まで行き、由比ガ浜でビーチコーミングをする。
貝、石、瀬戸物の破片、硝子をいくつか拾う。瀬戸物の破片が結構落ちているのが意外だった。瀬戸物の破片は模様が多様で面白い。
御嶽神社に寄る。
9時半鎌倉するがやという和菓子屋さんで塩大福180円買って食べる。塩大福、驚きの旨さ。至芸である。
長谷駅から鎌倉に行く。
鎌倉東口大町通り沿いの古民家のような造りの穀菜カフェ・ソラフネに11時開店時に入る。
大豆の唐揚げ定食食べる。玄米のご飯食べる。玄米菜食の安心のお店。
付け合わせは、根菜のサラダ、野菜のゼリー寄せ、切り干し大根の漬物、赤出汁味噌汁。一品一品丁寧な作りで体に優しい味。
鎌倉駅前で豊島屋の鳩サブレーと小鳩豆楽という落雁を土産に買う。貞次郎商店で潮風の小道というクッキーと鎌倉七味買う。
鎌倉駅から極楽寺駅に行き真言律宗極楽寺という閑静なお寺でお参りする。
極楽寺坂の崖の切り通しを歩く。坂の下の力餅家で権五郎力餅10個670円買う。家で食べたがまったりして旨い。
神社の境内に電車が通る忘れられない風景の御霊神社に久しぶりに来た。夢にまで見た不思議な風景。
だいぶ以前面掛行列というおめでたい行事を見に訪れて以来の来訪である。
疲れたところ偶然見かけた感じのいいカフェ&ギャラリー・ブオリでネルドリップコーヒー飲む。
鎌倉の大仏200円払って見る。お馴染みなのに実物はすごい迫力。大仏のお顔、印象的。
長谷寺も300円払って海を一望できる展望台まで登る。長谷観音も拝観。
鎌倉駅に行き、期待していたホットケーキのイワタコーヒーは改装工事中で休み。
鎌倉駅の小町通の脇の遥か遠い日に来たお店カフェ・ヴィヴマン・ディマンシュでメープルシロップとクリームのワッフル食べ、こだわりのコーヒー飲んで帰る。
秘かなる願いを込めて大仏のお顔を拝み思いに沈む
陽水のエヴリナイトやバレリーナ、9・5カラットを聞いた。
エヴリナイトは歌詞がいい具合に意味不明で曲の乗りがいいので気に入っている。
バレリーナは解説にジャン・コクトーの詩にマッカートニーが
曲をつけたようだと言われている。
バレリーナは「虹のできる訳」という子守唄が絶品。歌詞も曲も完璧。
それから、「この頃、妙だ」という若惚けの歌が戦慄の名作。
「ビーズとパール」という若い夫人の同窓会を思わせる作品もノスタルジー満載の美品。
表題作の「バレリーナ」がいちばんジャン・コクトー的。
美しいことばを装飾的に羅列する技が光る。
「エヴリナイト」は文法を無視した英語とシュールな歌詞とロックな曲が素敵。
百恵ちゃんに提供した「クレイジーラブ」も快い意味不明な風に吹かれる開放感が絶品。
「世間人でGO」も、内面は滅茶苦茶だけど
とりあえず真人間を演じて生きるという決意表明が見事。
「答えはアンダースタンド」も適当で甘美な歌詞がいい。
「アイヤイヤイ」も箱入り娘の飛んだ世界を甘美に見守っているのがいい。
「空にブルーエンジェル」も童謡的な世界で
惑う人々を天使が超然と眺めているのが素敵。
「ダンスは上手く踊れない」は麗人の
けだるい孤独な詩情をうまく表現している。
「恋の予感」は普通は敢えて言わないような
台詞を多用した女性の心をのぞき込むような奇異な作風の名曲。
「いっそセレナーデ」は孤独な男の
未練がましい回想や感傷を美しく歌い上げた逸品。
総じてシュールで意味不明で耽美的な歌詞がさりげなく歌われている驚異的な世界が見事。
実は昔から陽水好きである。内緒だけど。
美しいことばをうまく羅列して意味が不要な陶酔に誘う
最近、ブルーノ・ワルター・エディション(韓国盤)をよく聞いている。
ワルターのベートーヴェンの田園、マーラー選集などは聞くのが快感である。
ベートーヴェンは英雄も運命も七番もテンポが適正で凄く良い。
写真はオリジナルジャケットではないが、一枚一枚違うワルターの写真が使われている。
紙ジャケに内袋がついた丁寧な作りの箱物である。
隠居後はブルーノ・ワルター・エディションだけ抱えて引き籠ろうかと思っている。
いや、ギュンター・ヴァント・ライヴも必携だな、これが。
私の好きな指揮者はブルーノ・ワルター、ギュンター・ヴァント。
カール・ベームも捨てがたい。それにオイゲン・ヨッフムとラファエル・クーベリック、
ベルナルド・ハイティンクといったところ。温厚な指揮者の全集物が好き。
カール・ベームの田園聞いてますと書いたら、
温厚な指揮者の意外に熱い演奏を聴くと得した気分になる、
特にベームやハイティンクの指環は
意外に熱くなる瞬間があって嬉しいと書いてくれた友人がいる。
ハイティンクのニーベルングの指環は持っているけどまだ聞いていない。
カール・ベームの指環はほしいけど持っていない。
内田光子のシューベルト作品集も好んで聞いている。
内田光子の孤独な打鍵はシューベルトの人懐っこい旋律に寄り添っている。
ブルーノ・ワルターの英雄、運命、田園、七番、第九を聞いて、
珈琲を飲んで中公の世界の名著を何冊か読んで、忘れ掛けた知識を継ぎ足している。
時間が空くと忘れ掛けた記憶の修繕をしながら、地味な指揮者の全集物を聞いて過ごしている。
遠き日の記憶の地図を書き足して地味な指揮者の全集に酔う
フルトヴェングラー・ザ・レガシーを聞きながら哲学史の本を読む。
古代の詩を数行訳し足す。
翻訳書では受動で書いてあるが原書では能動。
ウルガータ聖書、読み進める。
何年か前にギリシア語で読んだ所をウルガータで読んでいる。
イエスが水の上を歩いたので
ペテロが私も招いてくださいと言う。
ペテロも水の上を歩いて近寄ったが
強い風が来て怖くなったところ、沈み始めた。
主よ、私を助けてくださいとペテロが言う。
イエスが手を差し伸べて、尋ねた。
不信心者よ、なぜ疑ったのだとイエスは言う。
フルトヴェングラー・ザ・レガシー飽きることなく聞いている。
昨日の夜、ヴァーツラフ・ノイマン&チェコフィルのマーラー全集聞いたが、
スプラフォン全盛期の録音で好ましい響きである。
ジュリーニのベートーヴェンをソニー録音集のスカラ座フィルで聞いた。
ベルリンフィルとの第九も素晴らしい。
第三楽章までと第四楽章は録音が違うが
私は気にならない。
スカラ座フィル1-8番とベルリンフィルの第九を足せば、ジュリーニの
ベートーヴェン交響曲全集ができる。
ジュリーニはベルリンフィルやグラモフォンに義理立てして
スカラ座フィルと第九を録音しなかったという。
勿体ないが美しい逸話である。
主を真似て水の上まで歩けても沈まず無事にたどり着けるか