超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">願いは一つ、薔薇色の明日</span>

2010-01-23 19:05:43 | 無題

最近、ユングの「心理学と宗教」を読んでいる。今読んでいるのは、三位一体論である。三位一体は三元性の元型に根差しているが、調和の象徴として最も重要なのは四元性の元型だとすでに表題作「心理学と宗教」で語っているので第四のものをどう説明するかがユングの腕の見せ所である。第四のものは悪か女性性になるだろう、とユングはほのめかしている。もともとユングは父と子と聖霊の三位一体には父性的な属性しかなく母性や悪の起源が欠けていることに注目している。そこで聖母被昇天の信仰が、欠けている第四のものを補うのではないかとユングは期待しているのである。
昨日はネットでラインスドルフのベートーヴェン交響曲全集をみつけて電話で注文した。かなり珍しい全集らしいので期待している。今はアンドラーシュ・シフのシューベルト・ピアノソナタ集を聞いている。シューベルトのピアノ・ソナタは愛らしいフレーズがたくさん出てくるので好きである。
日中は近所のお寺に初詣でに行って、行く末を祈願してきた。願い事が叶うといいのだが。お寺の近くの和風の喫茶店に入って小物を見たり、コーヒーを飲んだりした。結構散財してしまったが、初詣でなのでやむを得ない。昨日は「名指揮者ワルターの名盤駄盤」という宇野功芳の本を部屋で探して小一時間かけて見つけた。最近、ワルターのベートーヴェンやブラームスをよく聴くのでうんちくを仕入れようと思って名盤駄盤を引っ張り出して読む気になったのだ。ミュージック&アーツ社の全集の第九は差し替え前の旧録音を使っていて、アンドロメダ盤等と比べると面白い。その他「スジガネ入りのリスナーが選ぶクラシックこの一枚」も愛読している。アンドラーシュ・シフはシューベルトもいいがモーツァルトもいい。シフが弾くとグルダのように軽くならず、バッハのように穏やかにモーツァルトを弾くのである。その他モーツァルトではクラウディオ・アラウがスローテンポでよい。最近思い出してメシアンのオルガン曲を引っ張り出して聞いたが、やはり底抜けに深い。深すぎて常人にはついて行けないぐらいである。ジャズやソウル、スタンダードなどを歌う友人が音楽活動に忙しく過ごしていると喫茶ハイチで言っていたが、私は時間のある時は読書とクラシックで過ごしている。
日々の憂さ忘れるように初詣で願いは一つ薔薇色の明日



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<span itemprop="headline">映画プールの幻想風景</span>

2010-01-14 17:13:02 | 無題

百貨店の映画館で、映画「プール」見る。
タイのチェンマイが舞台の映画。ゲストハウスの支配人として小林聡美(京子)が働く田舎に娘役の伽奈(さよ)が卒業旅行で訪ねてくる。けれどもビーちゃんというタイ人の孤児と半ば同居しているのでさよは不信感を持ち、情緒不安定になる。さよとビーちゃんは母の教えてくれた歌を一緒に歌って仲直りし、近所のお兄さん加瀬亮(市尾)や病気療養中のゲストハウスのオーナーもたいまさこ(菊子)と親しくなる。
最後に願い事をするおまじないの紙製の凧に燃料をつけた気球を皆で飛ばす。燃えるだけ燃えて跡形もなく消えて無くなるのよ、と菊子。魂みたいだ、とビーちゃん。夜の闇に飛んで行く紙の気球は何とも言えず幻想的だ。さよは母には家を捨てて自分と祖母を残したことが寂しかった、母は勝手だと不満を言うが、母の刺繍してくれたショールを羽織って旅から帰る。
市尾さんの車で送られて帰る途中、プールサイドで寝ているはずの菊子がお茶を町で飲んでいる光景が一瞬目に入る。その菊子は死んだようにプールサイドで眠っている、というような映画だった。
基本的にテレビドラマ「すいか」、映画「かもめ食堂」「めがね」と同様の配役なのだが、若い客層を取り込むためか、今回の映画は娘さよの視点で一貫して描かれている。
そのため、「かもめ食堂」や「めがね」で中心だった小林聡美やもたいまさこの颯爽とした自由な生き方という主題に対して、自由に母親が出て行って勝手なことをしていては家族としては堪らない、という現実的な批判の視点が付け加えられている。それゆえ、今までの一連の作品にあった、現実を忘れて小林聡美やもたいまさこの飄々とした自由な姿を見て元気づけられた解放感に加えて苦い後味が残る。
舞台はチェンマイ、かわいいタイ人の子供、定番の俳優陣、タイの珍しい風物とお膳立ては揃っているのだから、「自由が一番でしょう教」と家族の葛藤みたいな対立劇を持ち込まないでほしかった。
そうは言っても、並んで歩くタイの僧侶の群れ、夜にまぶしく光る紙の熱気球が飛んでいくようすなど、いくつかのカットはひじょうに幻想的で、映画の醍醐味を味わえた充足感はある。
これからもこの俳優陣の映画は作り続けてほしい。



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<span itemprop="headline">C・Gユング、友とする夜</span>

2010-01-11 14:33:02 | 無題

昨日はたまの知久さんの誕生日記念ライブのチケットを買いに街へ出た。帰りによみた屋という古本屋さんで、「世界の大思想、ヘーゲル精神現象学」とユングの「心理学と宗教」を手にとって迷った末、ユングを選んだ。ユングの宗教観は、教義の一面性を無意識の声を聞いて修正して自分のものに作り直そうというものなので、具体的に何が書いてあるか楽しみである。
慶一・幸宏のビートニクスの歌にGrains of life というのがあって、出口を求めて悩んでいる主人公がC.G. might have helped us out,but he's gone(C・Gなら脱出を助けてくれたかもしれないが、彼は逝ってしまった)と言うが、このC・Gとはユングのことを歌っている。
そのあと山幸という登山用品店に行って、スマート・ウールという冬山登山用の靴下を冷え対策に買い、中古CD店でアンドラーシュ・シフのイタリア盤のモーツァルトのピアノソナタを買って帰った。
スマートウールの靴下で足先を温めながら、買って来たシフのモーツァルトをポータブルCDプレーヤーで聴き、ユングの「心理学と宗教」を読む。
このなかには、旧約聖書の心理学「ヨブへの答え」やユングのキリスト教観を知る貴重な資料三位一体論、患者の夢に出てくる宗教的なイメージを解くカギは無意識からの声だと説いた表題作「心理学と宗教」など六編が入っている。まだざっと目を通しただけだが、これから詳しく読むのが楽しみだ。
シフのモーツァルトは静謐で心休まる沈静的な演奏でこれもなかなかよい。
私は若い頃からGrains of lifeを繰り返し聴いていて、C・Gなら脱出を助けてくれるかもしれないというフレーズが頭に焼きついているので、考えに詰まるとユングを読むことにしている。確かにユングは心の道行きの助けになる。これからの心の道案内として、大著「心理学と宗教」を得たことは大きな収穫だと思っている。
手さぐりで前へ踏み出す手掛かりにC・Gユング友とする夜、という短歌を書く。



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<span itemprop="headline">デジ造と、まっすぐな道でさびしい</span>

2010-01-10 14:29:27 | 無題

電器店の広告でアナログ音源・映像もデジタル化できるデジ造というソフトを見つけ、うちには死蔵しているカセットテープやビデオが山ほどある、ヴィック・ゴダードの「トラブル」のカセットや高嶺剛監督の「ウンタマギルー」、ルイス・キャロルを切なく描いた映画「ドリーム・チャイルド」、バロウズのインタビュー映画など、宝の山が埋もれている、と思い、電器店へ急いだ。デジ造四九八〇円を買って帰る。
デジ造の音楽取り込みソフト、サウンドリッパーをインストールする。カセットを入れてイヤホン・ジャックから繋いで音楽を取り込もうとするのだが、なかなか取り込めない。パソコンの三つある穴のうち、一番手前の穴にジャックを差し込んで、エンターを押すと読み込み始めたので、MP3形式でカセットをデジタル録音する。45分に45分掛かる。MP3の再生装置がないので、MP3からWAV形式に変換した。同時にウィンドウズ・メディア・プレーヤーにもデータが書き込まれたので、書き込みでCD―Rに書き込んで、作業終了。大仕事だった。これでかしぶち哲郎氏の「リラのホテル」のカセットがCDになった。
そのあとMDプレーヤーで、バルビローリのばら売りのマーラーほぼ全集を聞きながら、バートランド・ラッセルの西洋哲学史を読む。プロタゴラスが終わり、ようやくソクラテスの項目まで来た。ラッセルはソクラテス・プラトンを特別視しない。むしろイオニアの自然学派やレウキッポス、デモクリトスなどの原子論者の方を現代的だと評価している。哲学史の本としては珍しい。ラッセルは饒舌に面白おかしく哲学史を解説するので、つい引き込まれる。こういう大河学術小説を読んでいくと、頭が整理されて、脳内に饒舌な流れができて、長い文章を書きやすいのだ。長い文章を書いていると、山頭火の「まっすぐな道でさびしい」を思い出す。誰かが英訳して、「ディス・ストレイト・ロード、フル・オブ・ロンリネス」と書いていて、とても惹かれた。

道一杯独りぼっちが広がってやがては淡い花を咲かせる、という短歌を書いた。



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<span itemprop="headline">ヘルプ・ミー・トゥ・ヘルプ・マイセルフ</span>

2010-01-06 16:40:26 | 無題

昨日は昔からの友人と会い、とりとめのない話をする。
この友人は難しい本が好きで私の読んでない本をたくさん読んでいる。まぁ正月だから会おうかみたいな感じで待ち合わせ、インドネシア料理屋さんに入った。友人はジョン・レノンのダブルファンタジー&ミルク・アンド・ハニー・セッションのアウト・テーク2枚組のアルバム、それに1980年の「現代思想」禅特集号を土産にくれた。色々話したが、竜樹は仙術を身につけてさんざん悪さをした後、仏教に帰依して大乗の流れを作った、とか西田幾多郎は弟子に絶対矛盾の自己同一と念仏のように唱えろ、そのうちわかるから、と言ったとかところどころ爆笑である。会って爆笑できるというのは波長が合っている、ということなので楽しい。
帰って禅特集を読む。玉城康四郎氏が、仏教の根底にあるのはブッダの悟りだ、具体的には禅定した釈迦にダンマ(法)が露わになることだ、と言っていて、さすが秋月龍氏が賛同するだけのことはあると思った。同じことをキリスト教の八木誠一氏も言っていて、龍つながりの書き手はセンスが一緒だと思った。それからジョン・レノンのアウト・テーク集を聞く。ヘルプ・ミー・トゥー・ヘルプ・マイセルフは初耳で、すごい感動した。オリジナルだろうか。ロード、ヘルプ・ミー・トゥ・ヘルプ・マイセルフというのがサビである。
そのほか、テネシーという曲とメモリーズという似た曲が、グロウ・オールド・ウィズ・ミーのピアノ進行と似ていて、こうやって曲と言うのは混沌から徐々に形を成して行くんだと感心させられる。この音源は一時ヨーコの手元から誰かに持ち出され、ロスト・レノン・テープスと呼ばれていたものと同一だと思われるが、堂々と売られているところをみると権利問題は解決したのだろう。正月早々、いい福袋を貰った思いである。ここ数日おやつも忘れて長い文章を書きまくっていたので、いいバイブレーションで一時停止している。今日もフランスパンとカマンベール・チーズをスーパーで買って来た。正月はまたこれで食いつなぐのだ。
手を尽くし僕は自分を救うから照らしてほしい雲の上から、という短歌を書く。



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