外も部屋の中も爽やかな風が吹く一日でした。
しかし、車の中は夏!
1時間ばかり乗っていて、降りたときにはお漏らしをしたかのような汗でズボンはぐっしょり。
エアコンもつけているというのに、なんだこりゃーな暑さでした。
スーパーの駐車場で、車中で飼い主を待っている犬が、キャンキャン鳴いていましたが、
この暑さ、鳴くわ、いや、命に関わるわ!と不憫でした。
支援員として仕事をするようになってから、
最初は、自分の知識不足を補うために、
発達障害や自閉症、アスペルガー症候群などの本を買い、読みまくっていました。
しかし、発達に問題があろうが、なかろうが一緒のことですが、
本で得る知識の通りのステレオタイプな子どもばかりなはずもなく、
本人が持つ性格や性質、今までの育ち方や環境、色々なことがミックスされて子どもは形成ます。
毎日、小さいけれど、色々なことが待ったなし!で起こる中、
自分と言語感覚が違う子どもに物事を伝える難しさ、
こんなことは知っている、ということが通じないときにそれを伝える難しさ…、
本当に自分が使っている言葉は、人に通じているのか?
自分が常識と思っていることは本当に常識なの?と自問自答することでした。
それでも、そんな感傷的になっているのは家の風呂の中くらいで、
仕事に行けば、学校で接する子どもたちにどういうことをすればいいのか、
この子のココを伸ばすには、どういう取組みがいいのか、
いつも「これでいいのかなぁ~」がつきまといながらの試行錯誤の繰り返しでした。
そんな中、自分が接する子どもの困り感をちょっとでも手伝える方法はないかと、
色々な言葉を検索すると必ずブチ当たるブログがありました。
それが、げんママさんのブログでした。
http://glowgen.exblog.jp
そのげんママさんのブログで、今回書かれた家庭訪問の記事がとても印象深いものでした。
先生といわれる立場の人が発する言葉を、保護者の方が受け止めるときのその重さよ、と。
私を初めとするそれを発する側にいる者は、その重さを受け止めているかなぁ~と、
じぃっと考えずにはいられませんでした。
当たり障りのない、耳に心地いい言葉を求められている訳ではもちろんありません。
親として、子どもにやってきたことを褒めて欲しい訳でもありません。
ただ、策のない口だけの評論家のように、子どもの現実を淡々と客観的に言われたら、
なんだか、虚しいだろうなぁ、そんな気がしました。
日々、子どもをみて、少しでも発達させようと奮闘している保護者にとっては、
ただ、やさしく寄添うだけの支援も評論家のような分析もいらないものだと思います。
子どもの発達を一緒に考え、実行して、試行錯誤して新たに策を立てる…、
そういうことが私にはできているのか、と反省したり、考えさせられた内容でした。
家に籠っていても、色々考える機会がある、良い世の中ですね。
しかし、車の中は夏!
1時間ばかり乗っていて、降りたときにはお漏らしをしたかのような汗でズボンはぐっしょり。
エアコンもつけているというのに、なんだこりゃーな暑さでした。
スーパーの駐車場で、車中で飼い主を待っている犬が、キャンキャン鳴いていましたが、
この暑さ、鳴くわ、いや、命に関わるわ!と不憫でした。
支援員として仕事をするようになってから、
最初は、自分の知識不足を補うために、
発達障害や自閉症、アスペルガー症候群などの本を買い、読みまくっていました。
しかし、発達に問題があろうが、なかろうが一緒のことですが、
本で得る知識の通りのステレオタイプな子どもばかりなはずもなく、
本人が持つ性格や性質、今までの育ち方や環境、色々なことがミックスされて子どもは形成ます。
毎日、小さいけれど、色々なことが待ったなし!で起こる中、
自分と言語感覚が違う子どもに物事を伝える難しさ、
こんなことは知っている、ということが通じないときにそれを伝える難しさ…、
本当に自分が使っている言葉は、人に通じているのか?
自分が常識と思っていることは本当に常識なの?と自問自答することでした。
それでも、そんな感傷的になっているのは家の風呂の中くらいで、
仕事に行けば、学校で接する子どもたちにどういうことをすればいいのか、
この子のココを伸ばすには、どういう取組みがいいのか、
いつも「これでいいのかなぁ~」がつきまといながらの試行錯誤の繰り返しでした。
そんな中、自分が接する子どもの困り感をちょっとでも手伝える方法はないかと、
色々な言葉を検索すると必ずブチ当たるブログがありました。
それが、げんママさんのブログでした。
http://glowgen.exblog.jp
そのげんママさんのブログで、今回書かれた家庭訪問の記事がとても印象深いものでした。
先生といわれる立場の人が発する言葉を、保護者の方が受け止めるときのその重さよ、と。
私を初めとするそれを発する側にいる者は、その重さを受け止めているかなぁ~と、
じぃっと考えずにはいられませんでした。
当たり障りのない、耳に心地いい言葉を求められている訳ではもちろんありません。
親として、子どもにやってきたことを褒めて欲しい訳でもありません。
ただ、策のない口だけの評論家のように、子どもの現実を淡々と客観的に言われたら、
なんだか、虚しいだろうなぁ、そんな気がしました。
日々、子どもをみて、少しでも発達させようと奮闘している保護者にとっては、
ただ、やさしく寄添うだけの支援も評論家のような分析もいらないものだと思います。
子どもの発達を一緒に考え、実行して、試行錯誤して新たに策を立てる…、
そういうことが私にはできているのか、と反省したり、考えさせられた内容でした。
家に籠っていても、色々考える機会がある、良い世の中ですね。