日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

比べっこ。

2015-06-15 14:33:03 | フォイヤーシュタイン
 雨の音がしています。

 世の中には「レインスティック」といって、雨の音がする楽器があります。
乾燥させた筒状のサボテンの内側に、たくさんの刺が刺さっていて、
筒の中には種が入っていて、揺するとザァ~ッと雨が降るような音がする楽器です。
アフリカや中南米で使われる楽器のようで、雨乞いの儀式にも用いられるそうです。
私がYouTubeで聴いたレインスティックでの雨音は、心地よいリズムで、眠くなる音でした。

 アロマトリートメントをするときのBGMでも、
水の音や波の音、雨が降っているような音のCDをかけます。
なんだか、落ち着くのでBGMに選ぶことがあります。

 でも実際の今、私の耳に入ってくる雨の音は、
「嗚呼、また雨が降りだした…」という感歎の気持ちが沸くだけです。
不思議なもんです。

 珈琲とお茶、どっちが飲みたいか。
 赤と青の紙、どっちにするか。
 ラーメンとうどん、どっちにするか。
       ・
       ・
       ・
 その他、どっちにするか、どっちにするか。

 私たちは、色々な場面で何かを選択しています。
そして、選択するときには、無意識のうちに「選択肢A」「選択肢B」を比べて、
どちらか一方を選んでいます。

 ときには「選択肢C」や「選択肢D」もあることもあるかもしれません。

 そして、選ぶ理由は、
自分が好むほうであったり、そのときの状況にふさわしいものであったり、
体調に左右されたり、懐具合であったり、
集団の場だからだったり、個人の事情が優先されたり、様々だと思います。

 複数のものの状況を分析して、何をしているか、どういう状況か、違いは何かを分析する、
これはフォイヤーシュタインの「比較」という教材の入り口になります。

 ものすごく、卑近な例だと、
「リラックマとキティちゃん、どっちが好き?」と聞かれてどちらかを選択する場合、
頭の中で、両方のキャラクターを思い浮べて、どちらが好きかを選びます。

 「キティちゃんが好き!」と答えたならば、
「どうしてキティちゃんが好きなの?」とその理由を言語化してもらいます。
理由を考えるということは、「どうして自分はキティちゃんを選んだのか」ということを
リラックマとキティちゃんとの違いを比べて、分析していくことになります。

 比べるということは比較するということ。
比較して、違いを見つけて、自分が好きなほうを選ぶ。
自分で自分が好きなものを選ぶ、という行為は楽しいものだと思います。

 さらに、比較ができるということは、細かな違いがわかるということです。

 3と8は形が似ているけれど、違うということをわかっていないと計算間違いをします。
字が乱暴で、6と0が同じようになってしまっても、ちっとも構わないという感覚の子もいます。
「人」とい字と「入」とい字も一緒のように感じるかもしれません。
「ろ」と「る」もごちゃごちゃ、「シ」と「ツ」も運次第ということもありますね。

 「バナナとキウイ、なにが同じで、何が違う?」
そんな入り口から、食べながらでもくらべっこしてみると良いですね。

 そういう日常のくらべっこの積み重ねで言語化していくことが、
やがては「私は、あれとこれ、どっちがやりたいのかな。」と
進路の選択や人生の選択にまで繋がっていく、そう思うのです。
 
コメント
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