いよいよ、梅雨本番ですね。
この時期は、いつも「なにかいい雨靴がないかな」とか、
「濡れても気持ち悪くないグローブないかな」とか、
バイク用品に代用できそうな物をネットで探しています。
「うーん、イマイチ!」と食指が動かぬまま、いつの間にか梅雨の時期を抜けています。
冬も同様で、「いい防寒ないかな…」となりますが、進化しないな私。
蕨を頂いたので、アクを抜くためにタンサンを買いにスーパーに行きました。
タンサンなんて、そんなに買うものでもないので、どこにあるかなぁ~と探します。
でも、当てもなく、ぐるぐる歩き回ることはさすがにしません。
粉ものだから、小麦粉などと一緒かな、とまず小麦粉などが置いてある所に行きました。
棚を丁寧に見ましたが、ありませんでした。
では、どこだろう?
鹿児島では「ふくれ菓子」というお菓子を作るのに使うので、
お菓子の材料のあるところかな?と思いながら場所を移動。
ホットケーキミックスやベーキングパウダーなどと共に並んでいるタンサンを見つけました。
ふと、ここで思い出したのは、
中学校で支援員をしていたときの子どものことです。
この子は子どもの頃から、周りのことにあまり興味を示さなかったそうで、
スーパーななどに行っても、「あれ買って!これ買って!」とも言わなかったそうです。
小学生くらいになり、だんだんお菓子を買ってなどと言うようになり、
保護者の方は、少し面倒になりあまり買い物に連れて行かなくなったそうです。
それでも、その子の好みのものはわかるので、
買い物に行ったついでに買ってきて、それを家で食べるということが長く続いていたようでした。
中学生になって、支援クラスの担任の先生と私、その子で話しをしていると、
買い物や洗濯、私たちにとっては特別ではない日常のことを想像することが、
その子にとって、とても難しいことだ、ということがわかりました。
色々、話しを聞いていると、経験していないのでわからないようでした。
そこで、日常生活の時間を使って、スーパーに買い物に出かけたのですが、
その子はスーパーで何が、どこにあるということが想像できないし、
上からとか下からという風に棚を見ずに、目についた所を、ぱっ、ぱっ、っと見るので、
買うべきものが見つからず、とても時間がかかりました。
買い物が終わって、ほっとしたのか、
学校に帰ると、荷物を自分のスポーツバックを置くように放り投げて、
卵のパックが割れてしまったこともありました。
他の子は「買い物の勉強!」というと、「やった~!」と喜ぶのですが、
その子は、「面倒だなぁ~」という顔で微妙な笑みを浮かべていました。
それでも、2年ほど経つと、
「先生、夜ご飯の足りないもの買ってきてあげますよ。」というくらいになり、
私も難度をあげて、「もやしは○○のね!」と銘柄指定したりしても、
間違えずに買ってきてくれるようになりました。
やがては、「安いほうを買ってきた」とか「日にちが新しいほうにした」
「先生は2人暮らしだから少ないのにした」などと、
その商品を選んだ理由まで教えてくれるようになりました。
これは、支援クラスの担任の先生が、
「頼まれたら、新しいものを買うのよ!」とか「値段も比べるのよ!」
「先生は家族何人?じゃあ、量はどうしたらいい?」と、
たくさんの話しをしながら買い物学習をした成果でもありました。
私自身は時々、そういうことに無頓着でカゴに入れてしまうので、
その子のきめ細やかさに本当に感謝して「ありがとう~~~!」と感謝のハグをしたりしていました。
やっぱり、経験に勝るものはありません。
そして、自分がやったことで他のだれかが喜んでくれるというのは、
学習の意欲に繋がっていくように思います。
勉強することは、自分を助けるツールになるのですが、
他のだれかの役にも立つ!ということを学習の中で知ることができると、
勉強にも豊かな彩りが生まれるような気がします。
この時期は、いつも「なにかいい雨靴がないかな」とか、
「濡れても気持ち悪くないグローブないかな」とか、
バイク用品に代用できそうな物をネットで探しています。
「うーん、イマイチ!」と食指が動かぬまま、いつの間にか梅雨の時期を抜けています。
冬も同様で、「いい防寒ないかな…」となりますが、進化しないな私。
蕨を頂いたので、アクを抜くためにタンサンを買いにスーパーに行きました。
タンサンなんて、そんなに買うものでもないので、どこにあるかなぁ~と探します。
でも、当てもなく、ぐるぐる歩き回ることはさすがにしません。
粉ものだから、小麦粉などと一緒かな、とまず小麦粉などが置いてある所に行きました。
棚を丁寧に見ましたが、ありませんでした。
では、どこだろう?
鹿児島では「ふくれ菓子」というお菓子を作るのに使うので、
お菓子の材料のあるところかな?と思いながら場所を移動。
ホットケーキミックスやベーキングパウダーなどと共に並んでいるタンサンを見つけました。
ふと、ここで思い出したのは、
中学校で支援員をしていたときの子どものことです。
この子は子どもの頃から、周りのことにあまり興味を示さなかったそうで、
スーパーななどに行っても、「あれ買って!これ買って!」とも言わなかったそうです。
小学生くらいになり、だんだんお菓子を買ってなどと言うようになり、
保護者の方は、少し面倒になりあまり買い物に連れて行かなくなったそうです。
それでも、その子の好みのものはわかるので、
買い物に行ったついでに買ってきて、それを家で食べるということが長く続いていたようでした。
中学生になって、支援クラスの担任の先生と私、その子で話しをしていると、
買い物や洗濯、私たちにとっては特別ではない日常のことを想像することが、
その子にとって、とても難しいことだ、ということがわかりました。
色々、話しを聞いていると、経験していないのでわからないようでした。
そこで、日常生活の時間を使って、スーパーに買い物に出かけたのですが、
その子はスーパーで何が、どこにあるということが想像できないし、
上からとか下からという風に棚を見ずに、目についた所を、ぱっ、ぱっ、っと見るので、
買うべきものが見つからず、とても時間がかかりました。
買い物が終わって、ほっとしたのか、
学校に帰ると、荷物を自分のスポーツバックを置くように放り投げて、
卵のパックが割れてしまったこともありました。
他の子は「買い物の勉強!」というと、「やった~!」と喜ぶのですが、
その子は、「面倒だなぁ~」という顔で微妙な笑みを浮かべていました。
それでも、2年ほど経つと、
「先生、夜ご飯の足りないもの買ってきてあげますよ。」というくらいになり、
私も難度をあげて、「もやしは○○のね!」と銘柄指定したりしても、
間違えずに買ってきてくれるようになりました。
やがては、「安いほうを買ってきた」とか「日にちが新しいほうにした」
「先生は2人暮らしだから少ないのにした」などと、
その商品を選んだ理由まで教えてくれるようになりました。
これは、支援クラスの担任の先生が、
「頼まれたら、新しいものを買うのよ!」とか「値段も比べるのよ!」
「先生は家族何人?じゃあ、量はどうしたらいい?」と、
たくさんの話しをしながら買い物学習をした成果でもありました。
私自身は時々、そういうことに無頓着でカゴに入れてしまうので、
その子のきめ細やかさに本当に感謝して「ありがとう~~~!」と感謝のハグをしたりしていました。
やっぱり、経験に勝るものはありません。
そして、自分がやったことで他のだれかが喜んでくれるというのは、
学習の意欲に繋がっていくように思います。
勉強することは、自分を助けるツールになるのですが、
他のだれかの役にも立つ!ということを学習の中で知ることができると、
勉強にも豊かな彩りが生まれるような気がします。