日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

世話焼きをかわして。

2015-09-27 15:31:16 | 発達応援
 本を読んで過ごすつもりが、
雨降りで暗い天気なのでいつの間にか眠ってしまいます。

 季節の変わり目の冷たい空気。
しっとりとした雨模様。
昼寝に絶好の一日です。

 『自閉っ子のための道徳入門』という本があります。

 

 この中で第三章目を書かれている賢ママさんのブログがあります。

http://blog.goo.ne.jp/ocyapu-/e/1ee5ba1f6cac0d5ded3703b9c17c0dd8#comment-list 多病息災発達障害者こよりの日常

 本の内容も共感することが多かったのですが、ブログの内容も頷くことがとても多いです。
今日のブログの内容も考えさせられること、思い当たることがとても多い内容でした。

 学校で支援員をしていたときに、
小学校でも、中学校でも、支援クラスに在籍する子どもや他の子どもより少し行動が遅れがちな子どもに、
手を貸してくれたり、声をかけてくれる子どもたちはたくさんいます。

 中には、同級生が困っているんだからと、手を貸してくれたり、
「先生、○○さんができないって~」と教えてくれる子どももいました。

 そんな子どもたちを大人たちは、「気が利く」とか「親切」と褒めることがあるので、
周りの子どもたちも「ああ、そうかぁ」と声をかけてくれたり、気にかけてくれたりして、
クラスの雰囲気があたたかい感じで、良い、といえば良い感じです。

 そんなふうなので、支援クラスの子がしていることを手伝おうとした子に私が、
「手伝わなくていいよ、できるから」というと、
なんだか、恥でもかかされたかのように怒る子や「先生、冷たいね!」なんて言われることもありました。

 たしかに、支援が必要な子どもが本当に本人の力で何かする、となると、
ものすごい、時間がかかります。

 例えば、学習面では、各自でB4の壁新聞を作らなくてはいけない時など、
クラスで取組む2週間くらい前から、支援クラスでテーマについてや
どんなことを書くのかやレイアウトやら内容の文章書きやらと取組んだにも関わらず、
出来上がるのもクラスの出来上がりが一番遅い子と一緒くらいで、
まさに、新聞との格闘といった感じでした。

 それでも、自分で仕上げたということが自信になって、
学年があがって、また、違う課題で各自新聞を作る時は、
少しだけスムーズにできることになりました。

 また、体育での柔道の道着の紐が結べなくて、
「結んで」と言ってバンザイで来る支援クラスの中1の子に、
「自分でやらんと!」と言ってつっぱねたところ、
「できない!」「できる!」「できない!」「できる!」の応酬になり、
床に寝転んで駄々までこねはじめたこともありました。

 通りがかった先生が事情を察して、
体育の先生に言ってくださって、「自分で結べたら授業にきなさい」と伝言があって、
私もその子の横でビニール紐を胴に巻いて、手順を一緒にやりながら、
どうにかこうにか、自分で真結びに結んで授業に参加することができました。

 本当に、本人が困っていて、どうにもできないならば、
誰かに助けてもらうことが必要なときは、もちろんあります。

 でも、失敗もできて、何度もやることができる
学校や家の中では、時間の許す限り、世話を焼かれずたくさんチャレンジして欲しいなぁと思うのです。 

 また、私は時々、いやだなぁと感じる空気感がありました。

 それは、
手伝いをした子の「世話しなきゃ、なんにもできないのよね」という手伝った子の優越感漂う空気感、
手伝ってもらっている子の「最終的には誰かがしてくれる、でも、オイシいとこはやる」という人任せで自分本位の空気感、
そして、先生の「これで、計画通り進める」という場当たり的空気感。

 この3者の利害の一致で、その場がスムーズに凌がれて、
「はーい、みんな良く、協力しました!」なんて言われると、
なんじゃそりゃーーーーーーー!!!!!わー、なんか、やだーーーーーー!!!!!
と思わずにはいられないのでした。

 余計なお世話を焼かれないために、
しっかり、自分で自分の気持ち、意志を伝える力はつけたいものですね。