家で掃除をしていると、
どこからか、生協のトラックが音楽を流しながらやって来ました。
朝の6時前から自分が積込んだ荷物が、私の家の近くでも荷下ろしされる…。
今朝もバタバタ忙しかったけど、ちょっと嬉しい気持ちになりました。
でも、明日はちょっと、荷物減らないかなぁ~。
季節の変わり目というのは、体調を崩したり、精神的に不安定になる人がぽこぽこと出てきます。
私自身は、眠くなるくらいですが、その振り幅は人それぞれで、
本人も自覚をするほどの崩れ具合の人もいるでしょうし、そんなのないよ、という人もいると思います。
その季節の変わり目の頃になると、普段とは行動が変わってしまう子どもたち、何人かと関わったことがあります。
ただただ、イライラして気持ちのコントロールがうまくいかない子。
どんよりと落ち込んでしまって、自分でもどうしてそうなのかわからない子。
とてもハイテンションになって、奇声を上げてしまう子。
人のものを盗ってしまう子。
異性のトイレをのぞく子。
異性に抱きつく子。
最初にあげた、2つは本人の中でじゅくじゅくしていて、
八つ当たりされたり、煮え切らない態度に周りも多少は迷惑もしますが、
「八つ当たりしない!」「ぐずぐずしない!」と注意していきながら、
自分でそういう態度だと自覚できれば、少しずつ成長していく感じがしました。
3つ目のテンションが上がって、ふさわしくない場で奇声を上げる子は、
衝動的になって自分で自分をコントロールできない点では、上の2つと似ています。
その子の奇声が引き金となって、クラス中がキャーキャー、ワーワーなることもあります。
奇声をあげそうになったときに、ちょっと目配せなどすると、
本人も「あ!」っと気がついたりするので、
今、どんな場面か、ということにも気づかせると、
自分でわき上がる衝動をコントロールできるような感じがしました。
ところが、残りの3つです。
あってはならないことです。
発覚したのも色々な偶然や勇気を持って訴えて来た子どもがいてくれたからです。
指導が難しいことのひとつに、大人の目の前では起こらず、
子どもたちだけの休み時間や放課後に事件が起こってしまう点もあります。
私が関わった子どもの中には、起こった出来事に対してその場で注意しなくては、
何について注意を受けているのかが、わからない子どももいました。
そういう子に周囲から聞いた情報を元に本人に話しをしても、
本人はおとぎ話か何かを聞いているような感じで、自分がやったことを省みることができませんでした。
また、事件の真相を辿っていくと、
小学生の頃にされたことに対する屈辱感からの長年の嫌がらせだったということもありました。
やった本人は、昨日のことのように涙を流しながら小学生の頃の悔しかった思いを語ります。
しかし、時を隔てて被害に会っている子どもは、そんなこと覚えていないのです。
被害者の保護者の方も小さい頃から見知っている仲、学校で指導してくださいということになりました。
ここできっちり話しをしていかなくては、年齢が上がるほどに大変なことになります。
担任の先生や学年の先生、部活の顧問の先生、保護者と手を尽くして、
その子と話しをしました。
しかし、最終的に保護者の方が、
小さい頃から色々なことで同級生より時間がかかった子どものことをかばい、
よくぞ、ここまで成長した!と号泣され、
子どもの中では、自分がしでかしたことがプラスマイナスゼロの出来事のように感じている…、
そんな印象を受ける結果になってしまいました。
普段は、なんのこともなく静かでおとなしい子ども。
おしゃべりでお調子者だけど気が利く子ども。
自主性は薄いけれど、まじめにコツコツがんばる子ども。
家で色々大変なこともあるけれど、健気にがんばっている子ども。
どの子も、どの子もとても良い子どもたちでした。
だからこそ、ただのその日の気分だよ、と軽く見るのではなく、
ちょっとの変化もきめ細やかにしっかりと見て、
気分の変化の山が大きくならないように、本人の成長を促す関わりをしたいと思うのです。
いつまでも注意を受ける存在ではなく、
自分で気がついてコントロールできるように、
保護者も学校も私のように関わる大人たちは、温かくも眼光は鋭く、
見守っていかなくてはならないよな、と思うのです。
季節の変わり目になると、何事もなく過ごしているかなぁ~と、
季節の変わり目に飲み込まれ、振り回されがちだった子どもたちのことを思い出すのです。
どこからか、生協のトラックが音楽を流しながらやって来ました。
朝の6時前から自分が積込んだ荷物が、私の家の近くでも荷下ろしされる…。
今朝もバタバタ忙しかったけど、ちょっと嬉しい気持ちになりました。
でも、明日はちょっと、荷物減らないかなぁ~。
季節の変わり目というのは、体調を崩したり、精神的に不安定になる人がぽこぽこと出てきます。
私自身は、眠くなるくらいですが、その振り幅は人それぞれで、
本人も自覚をするほどの崩れ具合の人もいるでしょうし、そんなのないよ、という人もいると思います。
その季節の変わり目の頃になると、普段とは行動が変わってしまう子どもたち、何人かと関わったことがあります。
ただただ、イライラして気持ちのコントロールがうまくいかない子。
どんよりと落ち込んでしまって、自分でもどうしてそうなのかわからない子。
とてもハイテンションになって、奇声を上げてしまう子。
人のものを盗ってしまう子。
異性のトイレをのぞく子。
異性に抱きつく子。
最初にあげた、2つは本人の中でじゅくじゅくしていて、
八つ当たりされたり、煮え切らない態度に周りも多少は迷惑もしますが、
「八つ当たりしない!」「ぐずぐずしない!」と注意していきながら、
自分でそういう態度だと自覚できれば、少しずつ成長していく感じがしました。
3つ目のテンションが上がって、ふさわしくない場で奇声を上げる子は、
衝動的になって自分で自分をコントロールできない点では、上の2つと似ています。
その子の奇声が引き金となって、クラス中がキャーキャー、ワーワーなることもあります。
奇声をあげそうになったときに、ちょっと目配せなどすると、
本人も「あ!」っと気がついたりするので、
今、どんな場面か、ということにも気づかせると、
自分でわき上がる衝動をコントロールできるような感じがしました。
ところが、残りの3つです。
あってはならないことです。
発覚したのも色々な偶然や勇気を持って訴えて来た子どもがいてくれたからです。
指導が難しいことのひとつに、大人の目の前では起こらず、
子どもたちだけの休み時間や放課後に事件が起こってしまう点もあります。
私が関わった子どもの中には、起こった出来事に対してその場で注意しなくては、
何について注意を受けているのかが、わからない子どももいました。
そういう子に周囲から聞いた情報を元に本人に話しをしても、
本人はおとぎ話か何かを聞いているような感じで、自分がやったことを省みることができませんでした。
また、事件の真相を辿っていくと、
小学生の頃にされたことに対する屈辱感からの長年の嫌がらせだったということもありました。
やった本人は、昨日のことのように涙を流しながら小学生の頃の悔しかった思いを語ります。
しかし、時を隔てて被害に会っている子どもは、そんなこと覚えていないのです。
被害者の保護者の方も小さい頃から見知っている仲、学校で指導してくださいということになりました。
ここできっちり話しをしていかなくては、年齢が上がるほどに大変なことになります。
担任の先生や学年の先生、部活の顧問の先生、保護者と手を尽くして、
その子と話しをしました。
しかし、最終的に保護者の方が、
小さい頃から色々なことで同級生より時間がかかった子どものことをかばい、
よくぞ、ここまで成長した!と号泣され、
子どもの中では、自分がしでかしたことがプラスマイナスゼロの出来事のように感じている…、
そんな印象を受ける結果になってしまいました。
普段は、なんのこともなく静かでおとなしい子ども。
おしゃべりでお調子者だけど気が利く子ども。
自主性は薄いけれど、まじめにコツコツがんばる子ども。
家で色々大変なこともあるけれど、健気にがんばっている子ども。
どの子も、どの子もとても良い子どもたちでした。
だからこそ、ただのその日の気分だよ、と軽く見るのではなく、
ちょっとの変化もきめ細やかにしっかりと見て、
気分の変化の山が大きくならないように、本人の成長を促す関わりをしたいと思うのです。
いつまでも注意を受ける存在ではなく、
自分で気がついてコントロールできるように、
保護者も学校も私のように関わる大人たちは、温かくも眼光は鋭く、
見守っていかなくてはならないよな、と思うのです。
季節の変わり目になると、何事もなく過ごしているかなぁ~と、
季節の変わり目に飲み込まれ、振り回されがちだった子どもたちのことを思い出すのです。