日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

春うらら。

2016-03-21 18:53:37 | 日記
春うららな薄ぼんやりとした日和です。遠くを眺めても、霞か雲かpm2.5か、というもや~っとした視界です。

春という季節は、桜が咲き、寒さから解放される伸びやかな季節ですが、私にとっては身体がしゃきっとしない、なんとなくだるい季節です。

療術で学んだことのひとつに、漢∞蘭アロマテラピーがあります。まだまだ、初めのよちよち歩きにも満たないくらいの学びしかしていないので、うまく使いこなせていません。少しでも、自分の身体を整えるためにも用いたいと思い、漢方や東洋医学の本を紐解いています。

そんな本を読みながら、私のような春のしゃきっとしない感じに、気の巡りが悪いのかなぁ、と考えたり、気が巡らないのなら、「木火土金水」の五行のどの香りを補ってみようか…そんなことを自分の身体で試しています。薬ではなく、漢方の生薬のアロマテラピーなので、自分の嗅覚の快不快を頼りに鎖骨下などに塗っています。

アロマテラピーや療術は、自分の病気とは言えないくらいの不調を自分で整えるのに私は役立てています。明日は、少しすっきりしているといいなぁー(*☻-☻*)v

筋膜リリースアドバンスコース

2016-03-20 07:21:52 | アロマテラピー
きらきらの朝日を浴びて、空港で飛行機の搭乗待ちをしています。

筋膜リリースの後半、発展応用のアドバンスコースが半年の日程で始まります。テキストを読んでいると、「ある状況において自分がどう感じているか、ということについて、言語的には明確に表現できないのだけど、身体に注意を向けることで、曖昧で複雑な様々なものが入り混じった感覚を感じることがある」というような記述があります。それをひとことでいうと「感じる感覚」というもので、その感覚は生きていく上でとても重要なものだということが書かれています。

筋膜リリースを学び始めたきっかけは、身体を緩める心地よさを知ったからで、その頃は、発達に凸凹がある子どもたちの身体が緊張している、なんてことはあまり感じていませんでした。そして、学び続けるうちに、上記したような身体の中の言語化できないものと身体の感覚に行き当たり…、と私自身もうまく言語化できないのだけど、なんだか、発達支援に筋膜リリースは使えるのではないかなぁ、という思いが強くなってきています。

筋膜リリースという外からのはたらきかけが、人の内側にどうか関われるのか、まだ、私にはわかっていません。でも、外からのはたらきかけで、何かを変化させるお手伝いになるのではないか?そんな気がしてなりません。

暗中模索、曖昧模糊ではありますが、色々なことを整理しながら学び続けてみようと思います。

恵まれているのか、な?

2016-03-19 20:11:31 | 日記
 珍しく、風邪気味で体がふわふわしています。
葛根湯と生姜湯のお世話になっています。

 珍しく、米も食べたいとは思わないので、甘酒で栄養補給。
りんごはやたらと食べたいので、むしゃむしゃ食べています。
りんごは薬膳では「体の熱をとる」作用があるといわれています。
欲してるんですね、りんご。

 明日は筋膜リリースのアドバンス1回目。
がんばれ、私のからだちゃん!

 昨日は、子どもさんとの勉強の後に、
以前、中学校で仕事をしていたときの同僚の方と久しぶりに会う約束をしていました。

 その同僚は、不登校の子どもや不登校まではいかずとも、その予備軍的な子どもに
繊細且つパワフルに働きかけて、子どもたちにとても慕われている人です。

 そんな同僚が色々なことに、心を砕き、嘆き、なす術無く立ちすくも話しに、
ああ、そんなことになっているのか、学校は…とため息をつかずにはいられませんでした。

 不登校の子どもたちは、大きな市にあるその地域では、
学校以外にも行く場所があり、勉強をする機会にも恵まれているそうです。

 それは、とても良いことなのだけど、
ちょっと、学校に行きたくない…と足が遠のきそうになると、
間髪入れずにそういう機関を紹介し、そこに行けば良い、という感じになっているそうです。

 そんな状況に、「ああ、子どもの居場所があってよかった!」と安心する向きもあるようですが、
ことはそう単純ではなく、子どもよりも大人たちの都合が見え隠れしないでもない、
という感じのようです。

 まずは、学校にとっては、
不登校でまったく学校にこなくなるよりは、外との関わりがあったほうが…ということもですが、
なんだか、面倒くさい事例に発展しそうな子を、早い時期にそういう機関にまわして、
厄介払いをしてしまう、そんな空気も感じられなくはないようです。

 また、保護者にとっては、子どもが家に籠ってしまうよりも、行ける場所で学んで欲しい…
との思いもある一方、仕事も忙しい中、家に籠られては大変だし、
とりあえず、午前中だけでも外に行き、単位も認めてもらえるなら、
そこに行かない手はない、という感じもあるようです。

 同僚は、本当は友だちと一緒に学びたい、と思っている子も、
少しのトラブルが乗越えられないと、すぐ、外の機関に!というシステムでは、
少しだけ、知恵を貸すことで乗越えられるトラブルまで、乗越えないまま、
やがては高校生に、大人に…となって、大丈夫なのか、と危惧していました。

 また、育児放棄のような状態で荒んでしまい、トラブルを起こす子どもも、
他の子に加害が及ぶことを恐れて、学校には来させない、そんなことも今はあるようで、
そんな子どもたちの行き場のなさや誰も指導しようとしない様子、
指導しようとすると「では、全責任を負ってください」と言わんばかりのトップの発言に
心底参っているようでした。

 私が中学生の頃、私の学年は消火器を撒いた同級生や
担任をも含めて教室に監禁した同級生などもいましたが、なぜだか、
毎日、みんな学校に来ていました。

 卒業式でも不思議と金髪も茶髪もいなかったし、
卒業式を邪魔されたという感じもありませんでした。

 むしろ、そんなことしていた同級生が大きな声で返事をして卒業証書をもらう姿に、
みんな、「あんた、あんなことしてたくせにー!」と突っ込んだりもしていました。

 私と同じ年くらいの先生も多くいるだろうに、学校って、どうなってるのかな。
先生になる人たちって、そういう同級生としゃべることなかったのかな、
みんな可もなく不可もなく、そつなく何事もこなせる人だけが先生してるのかな、
人の気持ちをくむ余裕がないのかな……。

 色々なことを思った、同僚との再会でした。

数遊び。

2016-03-18 23:37:41 | 算数
 昨日までの晴れは、嘘のような土砂降り。
近頃の天気予報は、当たりますね。

 今日は、安曇野プランの算数を年中さんの子どもさんとしました。
数えることや分けることに興味津々のお年頃なのか、とても楽しそうに取り組んでくれます。

 数字と数が子どもの頭の中でどうなっているのか知るために、
1~5の数字を書いて、その数のブロックをおいてくださいもらいました。
1~5までなら、順番がバラバラでもブロックをパッと置くことができました。

 試しに、6~10までの数字を書いてブロックを置いてもらうと、順番通りなら難なく置けますが、
「8」とか「6」とかバラバラに問題を出すと1個ずつ数えるでもなく、
なんとなくでおいて間違えていました。

 子どもの頭の中で「5までの数はしっかり入っている」なと思いました。
まずは、5までの数について、色々なバリエーションで遊ぼうと思います。

子どもがわからなかったり、混乱しているとその部分を強化したくなるかもしれません。
私はできているところについての応用的な遊びをして、
できているところをよりしっかり、強化していくようにしています。
その方が次の段階に入りやすくなるように思います。

 それにしても、「できるぞ」「できそう!」というときの子どもの顔は、
キラキラして楽しそうですね。

 そんな顔を見れるように、色々工夫しなくちゃ!と思うことでした。

食べ物のエネルギー!?

2016-03-17 22:43:07 | 養生・薬膳
 今日は、アロマトリートメントのお客様が、
クリームバスのモニター第1号になってくださいました。

 「クリームバスってね…」と説明をしていたら、
「今日やって!頭すっきりしたい!」ということで、
講座の手順を確認しながら、初のクリームバス!

 鉄は熱いうちに打て!ですね。
まだ、しっかり覚えてます。
ふぅ、よかった。

 自分が食べること、作ることが好きだからか、
同じように、食べること、作ることが好きな人とはなんだか、気が合います。

 こんな食べ物があったよ、こんなの作ったよ、こんなのもらったよ、から、
これ、食べてみて、こんな風にしてみたら、まで、
食べ物を囲んでの話しがつきません。

 そして、食べ物がきっかけで親しくなった人とは、
誰かのうわさ話をしたり、悪口言ったりという時間がまったくなく、
「こんあことあったの~」「わーたいへんだったねー」という感じで、
自分に起こったことを淡々と話し、淡々と受け止められて、
何かを作ったり、食べたりして、すっきりしておわり!ということがよくあります。

 なんだか、不思議だなぁ~と、
我ながら狐につままれたような気分になります。

 「食べ物にはエネルギーがある!」って、
そういうことなのかな、と、そんなとりとめのないことを考えた、
今日の半日でした。