提供曲をセルフカバーする
というのは
色々なアーティスト
とくに、アイドルに
曲提供をしてきた
ニューミュージック系の
アーティストなら
セルフカバーは
ひとつの区切りつけのようで
また、
歌いおさめ的に
捉える人もいれば
本家の味を見せつける意味で
セルフカバーする人もいるだろう。
意味を持した
セルフカバーアルバム
であるのなら、
そこから
アーティストの真意を
理解しながら
紐解きながら
聴いていく
もう一つの聴き方
楽しみ方があってもいいと思う。
9月4日に
竹内まりあさんの
デビュー40周年記念のアルバム
「Turntable」が出た。
岡田有希子さんへの提供曲を
歌った
竹内まりあ
が話題になっている
触れてはいけなかった
避けてやり過ごしてきた
作家と歌い手だけの関係
だけなのに
歌という
媒体をとおして
封印していた…
なんていい方をされているが
実際歌えなかったとコメントされてる
時がそこだけ止まってしまって
誰にも
動かすことも
触ることもできない
あの時のまま
18歳でこの世を去った
岡田有希子さんへの
歌は
あくまで岡田有希子さんのもの
だと
作り手は
その作品は完成したときから
手を離れ
提供者のもとへ送られる。
全てが彼女色に染まった歌を
上書きするように
カバーするのは
忍びない感情だったのだろうか?
でも、作り手がどこかを境に
その歌を歌ってあげることが
ひとつの供養にもなり、
その歌の本当の意味の完成を意味するように思う。
生みの親
が作者ならば
育ての親は
提供された歌手だ。
岡田有希子さんも存命ならば
50歳になっていただろうに…
今彼女がこの歌を歌ったなら
重ね合わせた心情を
歌に込めて
竹内まりあさんは
歌われたと思う。
18歳当時の曲に
年齢のギャップは感じるものの
可愛いアイドル向けの雰囲気を
封じ込め
違う意味をもたした
歌に仕上げた
セルフカバー曲
「ファーストデイト」
どこかで歌っておかなければ
いけなかった歌でもあり、
供養を込めて
そして
まだ 歌の世界で生き続ける
岡田有希子さんへ向けて
セルフカバー曲にして
特別な意味をもつ
「ファーストデイト」
魂を揺さぶる
歌に仕上がっている。
特別視したくはないけれど
どうしても聴くものは
特別視してしまう。
意味のある
セルフカバーとして…