明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

ほんの短い夏 伊勢正三

2019-09-27 15:16:00 | 僕の音楽日記
1993年
正やんはフォーライフにいたんだね。



みんなが持つ
伊勢正三というアーティストは
どうあるべきだったのか
また、正やんはどこを目指していたのか?



70年代前半
ほんの短い かぐや姫での活動期間
5年間
そして
風での4年間
フォーク全盛の頃から
ニューミュージックへの変貌を経て

歌うスタイル
曲調も
必然的に変わっていった。

いい意味で変わっていくアーティストもいる

いつまでも変わらないことが
いい事ばかりではないし、
どちらがいいとも言い難い

しかしながら
正やんの場合

才能が、あり過ぎて
空回りしていったように思う。

音楽の流れも
一回りして
原点回帰していることもあり、
あの頃、
あの時の
あの歌
が賞賛を受けていることもある。

あの時代、フォーク全盛の時代
80年代から90年代
全く過去の産物として
一番古い音楽くらいの扱いまで
落とされたフォークというジャンル

アコースティックサウンドが少し
こっぱずかしいような
アコギがダサいような
そんな時代があった。

正やんや、こうせつも生き残りみたいな
扱いで
時代に置いてきぼりを食らった
そんな位置にいたように思う。
昔からのファン
を除き

時代はフォークからのアーティストには
迎合しなかった。


ヒット曲から遠ざかっていたことも
あり、
忘れ去られていた。


あまりにも
ヒット曲が偉大過ぎて
時代と二人三脚で脚光を浴びた
曲だった
「なごり雪」
「22才の別れ」
だったから

もはや過去の人
過去の歌
過去のアーティストとして
烙印されていたのだろうか


どっこい正やんは死んでないぞ!
と…


「ほんの短い夏」

ニューミュージック全盛の頃
こんな
シティーミュージックを書ける才能と歌っているアーティストへと変わっていた。











僕が僕であるために 尾崎豊

2019-09-27 07:24:00 | 僕の音楽日記
男は
いくつになっても
青くさい事を思うし
口にしたりする…


自分という存在の証が欲しかったり
爪痕を残しておきたかったり
男という動物の本能は
その場所にマーキングしたり

一体なんだったのだろう?

僕のしてきたことは
意味のない事だったのか?

自分で自分を慰める材料もなく

かと言って強がる事も
可笑しくて…


この世に無駄な事など
ないはずと
信じていても
心沈む


張り詰めた糸が緩み
何かが、
逆回転していくようだ…

身体の変調が
少しずつ始まっていく昨今

もう
100パーセントの自分は
ないのだろうと思ってきたが
少しの不安
が心のシミを広げてゆく

先を何も不安がらず
心配せず

心の声が別のところから
響く

「わかってるけどね…」



僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものはなんなのか
それがこの胸にわかるまで
僕はこの街にのまれて
少し心ゆるしながら
この冷たい街の風に
歌い続けてる