アメリカン・ブルーです。
昨日、夫とルナと一緒に、強風の中、福島まで出かけました。
その時に車の中から、あまりにも美しい吾妻小富士を見て撮ったものです。
撮影場所は、高速道路・福島西インターを降り、猪苗代湖方面へ向かう途中です。
吾妻連峰の中央にあって、富士山の山頂のように見えることから、「吾妻小富士」と呼ばれるそうですが、
本当の名前は「摺鉢山」と言うのだそうです。
そして、画像をトリミングして見ると、
雪うさぎが見えました。
向って右肩の方です。
山肌に残る雪がうさぎのような形に見えることから、「雪うさぎ(吾妻の雪うさぎ)」と呼ばれるのだそうです。
そして、昔から雪うさぎが見えるようになると、農家の人々が苗代に種をまき始めたところから、
「種まきうさぎ」とも呼ばれるそうです。
福島市民の早春の風物詩となっているそうですが、
2年前に、この土地で3週間ほどを暮らした時には、
この美しい吾妻小富士を見ることも、
その山肌に浮かぶ可愛い「雪うさぎ」の存在すら知る余裕はありませんでした。
あれから、間違いなく2年の月日が流れたのでしょうか・・・・
東日本大震災が発生した2011年3月11日のことは、
昨年、1年前、あの日あの時・・・と題して、記録していました。
今日は、そのあとのことを、追記したいと思います。
震災の日から、三日後・・・私は、ルナと一緒に福島に居たのでした。
今も、夫が良く言うことがあります。
「あの日、あの時間、一緒に居たことが何よりだった。
もし、自分が、福島に居たら、どれほどの想いで苦しんだろう。」
夫は、震災発生のわずか1週間前に単身赴任で福島市内へ転居したばかり。
我が家は、たった3人家族が、仙台・福島・船橋と3か所に住む生活が始まったばかりでした。
前日、会議で仙台へ来て、そのまま休みを取って、その日は家に居たことが、
不幸中の幸いだったと言うことか・・・・
おそらく、職場も壊滅的になっていたことから、
その日、おそらく、連絡のすべが無かった私とルナの心配で、はち切れそうな気持ちをこらえて、
そこへ留まらざるを得なかっただろうことを想像するからです。
震災の翌日、早朝5時には、福島へ行く・・・と言って、
私は、「唖然」としながらも、「気をつけて・・・」と見送りました。
夫は、そこから、3日間、福島と仙台を往復して、夜は、車の中で寝泊まりしました。
しかし、三日目、ガソリンが無くなりました。
災害復旧車のステッカーを貼った会社の車。
優先的にガソリンを給油できる車です。
唯一、生きていたライフラインの「水」を我が家から大量に車に積んで、
その交換条件で借りて来たという車で、
「もう、通えないから、福島気来てくれ・・・・」
そう言われて、数日のことかな・・・と、何も考えられないまま、
最低限のものを持ち、すでに夜中になってから、福島へ向かったのでした。
福島に借りていた夫のアパートは、間取りは狭いながらも、綺麗で、
水周りがゆったりとしていたので、
ペット不可を隠している以外には、落ち着けるシェルターのようで、
電気が早くも復旧していて、明るい部屋、そこでようやく布団に足を延ばして眠れました。
ホッとしたのもつかの間・・・・
翌日、テレビが見られるようになったことで、
福島原発の放射能漏れをニュースで見ることとなりました。
原発から60キロ離れているとはいえ、当時は何も知識もなく、
このまま、ここへ居て良いものか・・・・
それすらも判断できないまま、
窓を閉め、換気扇・エアコンを閉じ、家から一歩も出ない生活が始まりました。
付近の方々も、ほとんど外出する姿を見ませんでした。
津波の恐怖からようやく逃れて来たことと、
赴任先の夫の部屋には、倒れるものが何もない安堵感・・・・
それに安心できたのは、一晩だけだったような気がします。
その後は、原発の放射線量が毎日テロップで流れる様子に、目を凝らす日々。
実は、福島市内の方が、原発近隣の地域よりも数値が遥かに高かったのです。
この時期の、まさに花粉と一緒です。
大きな都市の風が吹きだまる場所・・・そこが、異常値を出していました。
直接的な被害は無かったけれど、
地震のみならず、津波・原発への強い恐怖を感じた私達の東日本大震災から2年の歳月。
いまは・・・・
3週間を過ごした「福島への愛着」を抱きながら、
あれから、春夏秋冬の福島を楽しめるようにまでなりました。
景色は美しく、お菓子やくだものはことのほか美味しいんです。
そして、
今年は、吾妻小富士のトレッキングに行けたら嬉しいなぁ~と思っています。
いまだ、風評被害に苦しむ福島のようですが、
そこに、あれから・・・そして、今も、これからも・・・
生活をしている方々がおられるのです。
それから、私が毎日やっていることがあります。
誰でもできる特別なことではありませんが、
夫が出かける時に、必ず、玄関で見送ることです。
ルナと一緒に「いってらっしゃ~い」と、たった一言です。
息子には、毎週、必ず連絡をもらって、
何気ない会話をして過ごします。
予想だにしなかった大震災・・・・
また、大洪水や大雪、列車の脱線事故、通り魔事件・・・
宇宙から隕石も落下する。
たったいま、元気であっても、その先に何があるか解らない今日この頃。
家族に、出来れば笑顔のままの自分でいたい・・・・
また、あの時、ちゃんと声をかければ良かったと後悔したくない・・・・
そう思うようになっている自分。
突然亡くした家族への想いを、この2年間、
辛く、悲しいほど多く、納まることなく、
その報道で見続けて来たから。
今朝の仙台は、うっすらと一面の雪化粧になりました。
最高気温も4℃と、冬の寒さです。
間もなく、あの時間がやってきます。
今日も、ルナと一緒に、鎮魂の祈りを捧げたいと思います。
そして、私達は、「いま」この時を大切に生きましょう。