今日は、亡くなった子どもたちと教職員の皆さんへの哀悼の思いを抱き、石巻市立大川小学校へ出かけてきました。
あの日と同じように時折雪の舞う寒い日でした。地震と津波で破損した校舎は、当時のまま 骨身をさらすような形で建っていました。でも、その立ち姿には、生々しさが消え、3年という時の経過を感じました。
校舎と向かい合うように設置された慰霊の祭壇は3年前と変わらずそのままでしたが、新たに慰霊碑が校庭の一画につくられていました。裏山と校舎との中間に位置する慰霊碑の中央には、亡くなった子どもたちと教職員の名が刻まれ、その左手の碑には 大川小学校校歌「未来をひらく」が、刻まれていました。
碑の手前には、「子まもり」の像と 「Angel of Hope」の天使像が立っていました。まるで亡くなった子どもたちが地蔵様や天使となって、この世界を見守ってくれているような感じがしました。
この碑を前にすると、何とも表現できない 込み上げる感情がありました。子どもたちの失われた未来、愛する我が子を失った親の方々の悲しみ、教職員の方々の無念さを 感じるからでしょうか。
ただ思うのは、こんな悲しい出来事は二度と繰り返してはならないということ。人智のすべてを尽くして、かけがえのない命が守られる 環境をつくるということ。
帰りのラジオから、「今日の雪は、亡くなった人たちの涙雪」 という言葉が聞こえてきました。それはまた、亡くなった人たちに寄せる 生きている人たちの思いでもあるのだろう と感じました。
大川小学校の対岸からながめた北上川は、無数のきらめきを湛え輝いていました。一つ一つのきらめきが、亡くなった方々の命の輝きのようにも見えました。
私のかっての同僚の中に奥様をなくした方,義妹をなくした方、教職員で一人生存した方もいます。奥様をなくされた方は金成の出身で奥様のお父さん、お母さんの家の隣に住んでいました。震災の時、二人の孫娘にお祖父さんお祖母さんは「お父さんお母さんが帰ってこないのは地域の人々の面倒を見ているからだ}と話していたそうです。奥様は11日後に見つかったそうです。石巻では火葬ができず川渡まで来たそうです。
一人生存した方も夏ごろまで地域では自殺したと噂が流れていました。
亡くなった方の家族はもちろん生き残った方も心に大きな傷を負っています。
私のかっての同僚の中に奥様をなくした方,義妹をなくした方、教職員で一人生存した方もいます。奥様をなくされた方は金成の出身で奥様のお父さん、お母さんの家の隣に住んでいました。震災の時、二人の孫娘にお祖父さんお祖母さんは「お父さんお母さんが帰ってこないのは地域の人々の面倒を見ているからだ}と話していたそうです。奥様は11日後に見つかったそうです。石巻では火葬ができず川渡まで来たそうです。
一人生存した方も夏ごろまで地域では自殺したと噂が流れていました。
亡くなった方の家族はもちろん生き残った方も心に大きな傷を負っています
書いていただいた事実の重さを痛感します。
亡くなった方はもちろんのこと、残された家族の方々や生き残った方々の辛苦の思いに、言葉もありません。改めて、亡くなった一人ひとりに人生があり、家族があり、関わった人があり、その分だけの限りない悲しみがあることを想います。
それだけの犠牲と悲しみがあることを、忘れてはいけないのだと思います。
同時に、そのことを背負いながらも 今生きて在る人々には、明日への一歩を踏み出してほしいと願います。
その命が必要とされているからこそ、今を生きる時間が用意されているのですから。
少しでも心が癒され、前に進む一日一日であることを願います。