今日は山奥の外勤+当直、こちらは町と比べ、まだまだ寒いです。
朝病院に顔出したところ、破裂のおばあさまの調子があまりよくなく、腎不全が進行して、意識レベルもいまひとつ、ナルコーシスは無いが呼吸も怪しく、とりあえず透析の指示を出して、家族にきびしめのお話、88歳ということで延命はなしでということになった。外勤先での往診から帰ってくると、後輩からメールが入っており、昼過ぎに急変されて残念ながらお亡くなりになったとのことで、仕方ないが執刀医として最後の仕事ができなかったこと、山奥からただただ申し分けなく思うばかりである。どうすれば救えたのか考えるが、直接の死因は腸管虚血か、肺炎か、腎不全かはっきりはわからない。寿命といえばそれまでであるが、手術を望まれてこちらも引き受けた以上、どこかで救えるポイントは何度かあったはず。便に血液は混じっていなかったので腸管虚血が原因かどうかはわからないが、手術ではアプローチの判断が正しかったのかどうか、血腫の中、なれないアプローチで行くことをためらったが、最初からレトロで行けば癒着剥離の必要もなく、腸間膜動脈を損傷することも無かったかもしれない、また、バイパスまで置く必要があったのかもしれないが、手術のトータル的なことを考えて、そこまで積極的におこなわなかったこと。当日に抜管したが、自己排痰できず、胃全摘後のため、胆汁様の嘔吐の誤嚥から肺炎、敗血症の可能性もあり、抜管のタイミングが早かったのかもしれない。また、もう1日早く透析を導入するべきだったかもしれない。いくつか後悔すべき点はあるが、結果が変わったかどうかは、今となってはわからない。以前の施設で、一緒に働いていた同僚から、後悔しないように転ぶなら前向きに転ぼうといわれたことを思い出す。
ここ数年は術前のマネージメントから、術式、術後管理といろいろ変えていき、運よく助かる方も増えてきたが、やはり無力なこともある。破裂を任せてもらうようになって4年で22例ほどの症例を経験したが、残念ながら5例を失っている。初めての症例はオペ室が空いてなく、カテ室で行った症例であるがオペ前からHt10程度で、血液はほとんど透き通っており、意識の無い状態でスタートしたが、術中から出血のコントロールがつかず出血死。次の3例はおそらくコンパートメントから腎不全、MOFで死亡、それ以来、2期的閉鎖や術中イレウス管留置、膀胱内圧測定などコンパートメント対策など、いろいろ試行錯誤して対応したが、結局のところ、手術時間の短縮と大量輸血に大量の凝固剤投与することで、2期的閉鎖の必要もほとんど無くなり成績は安定してきたように思える。今回の症例も思えば術前Ht15と、かなり厳しい状況ではあった。