暑さに負けたせいか、今週は腰痛が酷く少し寝込んでおります。
blogの新作が書けないため、過去の記事を再掲いたします。本日から「猫伝説シリーズ」3部作を掲載いたします。
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昨年来、「終活」絡みで死生観に関する調査活動を続けております。
そうすると必ず出会うのが、奇妙な「宗教」や「迷信」あるいは「伝説」のようなもの。むしろ、世の中には「奇妙なものが満ち溢れている」と言った方が良いかもしれない。だいたい「パワースポット」などはその一例なのですが、あれはあれで「エンターテインメント」だと理解すれば、一応腹に落ちます。しかし「宗教」「迷信」の類はそうはいきません。
「この世界で、動物と人間が仲良く一緒に暮らしている聖なる場所があるのをご存知ですか?」
などと、家のインターフォンの向こうから、いきなり話を始める人に出会うと、「今、手が離せないもんで・・」と即逃げたくなってしまいますよね。
本日は、その中で最も奇異というか、奇天烈というか、想像を超える「宗教」「迷信」の類をご紹介したいと思います。
すなわち、「猫を神格化している宗教」についてであります。
もともと八百万の神の国であり農業国の日本では、小動物から農作物を守ってくれている「蛇」「きつね」「オオカミ」などの動物を神として祀る習慣が根付いています。「猫」だって農作物を守る貴重な存在でありましたから、これを神として祀ったっておかしくはありません。ただ、人間と猫はあまりに身近な存在として「共生」を始めてしまったものですから、「きつね様を祀る稲荷神社」のように、「猫を神とする神社」は国内にはありませんでした。お互い距離を置いている「蛇」「きつね」「オオカミ」の方が、神として祀るには相応しい存在だったのでしょう。
一方、猫の原産地に近い古代エジプトでは、猫は「太陽神ラーの化身」であり、「太陽神ラーの眼」として崇められておりました。日本とは異なり、明確に「神の使い」「神の化身」として神格化されていたのです。一説には、もともと農作物を守ってくれる存在であったほか、夜になると「眼が光る」、すなわち夜目が効く存在であったことから、すべてを見通す「太陽神ラーの眼」と信じられていたとのこと。
しかし、ワタクシが出会った「猫を神格化する宗教」は、そんなレベルを超えております。
この続きは明日、またお話いたしましょう。<続く>