1980年、東京大学に2回も落ちた自分は、失意のまま私立の大学へ入学しました。当時の日本は、高度成長期から安定成長期へ入った局面で、かなりの学歴偏重が社会に浸透していた時代。特に、国立の中学・高校と歩んだ人間にとっては、東大受験に失敗して私学に行くなど、都落ち感が半端ない状況で、まさに「青春の蹉跌」状態に陥っていました。
そんな時に観た映画が、石井聰互監督の「狂い咲きサンダーロード」。
まぁ、この世界観にハマったハマった! 見えない規律や柵に、猛烈な閉塞感を感じて、それを破壊することでしか、自分の存在を確認できない主人公の生き方に、自分自身の置かれた状況を重ねておりました。
それから40年。バブルが崩壊、金融危機やリーマンショックを潜り抜けてみると、学歴や既存の規律・柵なんぞ、カエルの小便ほどの意味もありませんでした。それよりも、既存の枠組みの中でふんぞり返っていた人々が、さぁピンチとなると、肝っ玉は小さいわ、何の役にも立たないわ、でクモの子を散らすようにいなくなりました。むしろ、その出自に関係なく、生きるか死ぬかの修羅場を潜った人だけが、ギリギリの土壇場で頼りになることを学びました。
今思えば、それを教えてくれている映画だったと思っています。