昨年6月に脳梗塞で倒れた5歳上の兄が、昨日、急逝いたしました。
失語症を患っていたので、コミュニケーションを交わすのは難しい状態でしたが、相手が話す内容は、声のトーンなどで理解して頷くことが出来るまでに回復してきた矢先の急逝でありました。
今はリハビリ施設にいて、昨日も、特別に許された姉と甥の面会の機会でも、非常に元気にしていたようです。今朝も元気に朝食を摂ったあと、入浴も済ませて、11時頃に疲れて眠ったところ、12時過ぎの見回り時には息がなかったとのこと。すぐに、近くの救急病院に搬送されましたが、そのまま午後一時過ぎに死亡判定が下されるに至りました。
自分は、そのあとで病院に駆けつけて、兄の死に顔を見ることとなりましたが、苦しんだ様子もなく、綺麗な顔をしておりました。
思えば、昨年6月に倒れたあとは、入院した病院も、そのあとのリハビリ施設でも、コロナのせいで面会が原則許されない状態が続いていました。同居家族のみ、2か月の一度のペースで特別面会のチャンスを設定されていましたが、それもウイークデイの日中だけで、しかもリモートによるものでした。
したがって、同居家族でもない、弟のワタクシは、一度も面会できないまま、兄の死を迎えることになりました。病院やリハビリ施設の対応には止む無しと考えていますが、コロナウイルスに対しては、強い憤りを感じております。悔しい限りであります。
思い起こせば、兄は、渋谷区の小学校を出たあと、国立の有名中学・高校へ進んだのち、現役で東京の最高学府の法学部へ入学するという、エリート中のエリートでありました。
自分は常に、兄の背中を追いかけていたという記憶しかありません。兄と同じ中学・高校へ進んだあと、就職についても、兄の大学の時の同級生がいた信託銀行を選んで、今の自分があります。兄がいなければ、自分の学歴も、仕事のキャリアも存在しなかったと言えます。
ちゃんと、感謝の気持ちを伝えられないまま、兄を見送ることになります。
父や母を見送った時よりも、後悔や悔しい気持ちが著しく強い。もっと、もっと、恩返しをしておきたかった。
兄上様、本当にありがとう。子供のころから、あなたは私の誇りでありました。
いずれ、自分もそちらに行くので、その時はまた可愛がって下さい。 合掌