香りと食でカラダを幸せにする芳香/料理愛好家

"香りと食でカラダを幸せにする芳香/料理愛好家"

加藤サキ子

唯一無二それがあなた  香りと光のある暮らし

2023-08-12 23:00:00 | からだのこと
2023.08.12

アロマセラピストの加藤です
お立ち寄りいただき
ありがとうございます


暑いながらも朝の風は
秋を連れてきています

今朝の空、地球は丸いよ、と
言ってるみたいでした

魚眼など一切使わず、
スマートフォンで撮りました

一瞬に出会えたことに地球にありがとう
と言いたいですね



私たち一人一人、二つとない
一卵性双生児も見かけは
同じように見えても中はそれぞれ個性的

ならば、何か持っている才能を
使わない手はありません

オリンピック選手にならないのであれば、
その願望は届く、必ず手が届く
手を伸ばして〜、前に進んで〜

そして毎日少しずつでいい

今日できなくても、明日はできる!と
あなたが信じる!


例えばダイエット、
いつも失敗する、
スタート前から決めてませんか?

そんな思い込みが
あなたにブレーキかけてます^_^

大丈夫、大丈夫と
念仏のように唱える

そうすると、ある日、
何かドアが開く瞬間を感じます
そしたら躊躇せず、
ドアを押して次なる部屋に入りましょう

あなたの手で!!

最後まで読んでいただき
ありがとうございました



残暑お見舞い申し上げます 香りと光のある暮らし

2023-08-10 09:00:00 | 成分のはなし
2023.08.10


残暑お見舞い申し上げます
秋の季語、台風
まさにシーズンに入ります
この時期、物が腐りやすいですので
冷蔵庫に入れていても、 
安心せずに気をつけましょう^_^

アロマセラピストの加藤です
お立ち寄りいただき
ありがとうございます

こんな時は柑橘系の
エッセンシャルオイルの香りを
ディフューザーで香らせ、リフレッシュ!
ペパーミントを加えてあげると
より殺菌作用、抗ウイルス作用が
高まります
^_^v















暑さ対策のアイテムご紹介
上手に取り入れて暑さ乗り切りましょう









サングラス
サングラスは遮光するので、
体感温度をグッと下げてくれます

理由は目から入る光情報で
脳がカラダのあらゆる機能調整を
してくれています

ただし、濃い色は瞳孔(どうこう)が
開きすぎるのでNG

UVカット加工されたもの
室内に入ると透明になるもの
メガネの上から着用できるもの、など
バリエーションの豊富です











日傘
最近男性も利用するようになった「日傘」
何より直射日光を防ぐので
体感温度はぐんと下がります
日陰効果で何より涼しい

色はUV加工された白系が理想
紫外線を反射
眼にも涼しいです
晴雨兼用もあります

黒は紫外線を吸収して、肌に届かない

地面からの照り返しを考慮すると
外側が白、内側が黒かシルバー色がベスト







扇子(せんす)
折りたたみ出来て、コンパクトでエコ!!
香りをつけてあるものも多く、気分転換にも!
ペパーミント精油を滴下しておくと、
清涼感たっぷりの風が~
なによりかさばりません










#暑さ対策
#UV加工
#酷暑
#暑中お見舞い申し上げます
#香りでココロとカラダを整える
#アロマセラピー
#芳香療法

あの日を忘れない(長崎原爆の投下の日)後半

2023-08-09 20:30:00 | 持続可能な社会のために
2023.08.09


アロマセラピストの加藤です
お立ち寄りいただきありがとうございます

後半です

あの日から行方不明の母の弟。
新築していた諏訪神社近くの家とは別に本来の家は坂本町にあった。
そこは爆心地から600mほど。
ほぼ周辺にいた人は灰となっていただろう。
投下の前日、母の父(祖父)に叱られ殴られたせいで母の弟は肩を痛めていた。
(当日は)母いわくおそらくもとの家の方に行っていたのだと思う。」と言っていた。

母の弟を可愛がっていた(母の)母もその日から一言も弟の話をしたことはなかった、という。
街の惨状を見れば、息子がどうなったかは想像がつく。

空襲警報がならなかったのはおそらく1機だけだったからだろう。

6日に広島に投下された原爆のことは、ひどい爆弾が落ちたらしい、と今と違い被害の状況はあまり知らされていなかったようだ。
その頃は戦争の状況は不利だったので、報道制限もあったのだろう。

長崎原爆投下数日前にビラが上空から落ちてきたそうだ。
そこには「死の。。危険」と言った原爆投下を暗示するようなものだったようだ。
母も人伝えで投下後知ったのだった。

当時の候補地は博多や佐世保など。

原爆投下後は、植物は数十年生えない、と言われたそうだが枯れたようになっていた稲も秋には米が取れたそうだ。

もちろん、過去に原爆投下されたことはなく、その影響は未知数。
わたしも、以前インターネットで検索したが「データなし」だった。

わたしのカラダのDNAにも母から受け継いだ損傷したDNAが存在しているだろう。

と言っても、いとこたちは結婚、出産を経て孫たちもいる。
彼らの中に被爆の影響を疑われる者は1人もいない。

確かに日本は紛れもなく被害者である。
母は亡くなる頃まで繰り返し
「トルーマンが(原爆)を落とした」と言っていました。
トルーマンとは当時のアメリカ大統領である。

当時日本も原子爆弾の研究をしていたと聞きます。
それは日本に限らず、あらゆる国が研究したのです。
当時原料のウランの採掘を福島でしていた、という話も聞きます。

科学者やそれを手にした者は原爆に限らずいかなるものも試してみたいという誘惑にかられると思います。
それが悪い結果をもたらすものである、としても。

水爆や中性子爆弾など、2つの原爆投下後世界で開発、研究されました。


第二次大戦後、アメリカでは原爆実験の見学ツアーをしていたと言います。
それらの影響を知らないアメリカ人はそれに参加した人もいた、といいます。
(今その人たちはどうしているのだろう)

ウエスタン映画はアメリカではネバダ周辺で撮影されたと言います。
それに参加していたスタッフや俳優たちに影響が少なからずあったとする情報もあります。
ネバダは核実験場がありました。

東日本大地震で福島の原子力発電所で
放射能漏れがあったとき、各地で放射能の測定がされた。
それは大戦後、太平洋上でアメリカが核実験をしていたので、それらの汚染を測定していたので、測定器が存在していた。
わたしが子供の頃(現在わたしは65歳)、雨が降ると
「雨に濡れたらハゲになっちゃうんだよ」と言っていました。
それは案に核実験による放射能汚染を意味していたのだと、今更ながら再認識してしまいます。



今も核使用をちらつかせる者がいます。
それを所有していても使わなければ、安全というわけではありません。
それが存在する限り、将来それを使う者がいるかもしれません。
自然災害の時、何らかの作用で起動するかもしれない、汚染されるかもしれません。
投下されたところだけでなく、大気を通して世界中に広がります。

他人事でなく、声を上げ続けることが抑止となります。




あらゆる戦争で命を絶たれた人々の冥福を祈ります。
そして愛する人を失った人々がに安らぎがいつの日か訪れることを強く祈ります。



***
母のアルバムの中に
おそらく写真館で撮ったであろう女学生たちの笑顔の写真が数枚あります。
饒舌な母から彼女たちのその後を聞いたことはありません。
あの日の笑顔のまま、母の記憶は止まったままでした。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました

あの日を忘れない(長崎原爆の投下の日)前半

2023-08-09 15:15:00 | 持続可能な社会のために
2023.08.09

アロマセラピストの加藤です
お立ち寄りいただき
ありがとうございます


今日は1945年8月9日、長崎に原爆が投下された日です。

わたしの母、母の両親、母の弟が被爆しました。
そして、弟は今も行方不明のままです。
そういった彷徨える(さまよえる)魂が今もそこにいるのだと思います。

幼い日からわたしは母からその日のことを聞かされました。

おそらくわたしが記憶しない幼い頃から母はあの日のことをわたしに聞かせていたと思います。

---母の記憶---
そこは諏訪神社近く。
(戦争中だというのに、新築をしていました)
お昼前、食事の支度をしていました。

作業する大工さんたちもいました。

それが突然上空に現れました。

一機だけだったせいか、空襲警報もないまま、それは何かを投下したのです。

大工の1人が、
(わたしの記憶が曖昧)
「警報鳴らんとおかしか、落下傘が降りてくる、防空壕にいくか。」
他の人の声
「もう間に合わ。。。」言い終わる前に

強い閃光が光ったかと思うと、(母の体が)爆風と共に浮き上がり、投げ飛ばされました。
すると、次の瞬間、ふわと何か着地して。。。。

どれだけそこにいたのだろう。
目覚めると全身に痛みをかんじた。

そこは、建築中の家の奥の部屋に積み上げていた布団の上だった。
そのおかげか大きな怪我をしなかった。

外へ歩いていくと、みんな怪我をしていた。
母(祖母)は立てかけていた角材が頭にあたり、怪我をしていた。
のちに母は笑いながら話してくれた。
「大怪我だったのに、赤チンだけで治しちゃったのよね。」と。

(母の)父は、当時勤めていた三菱造船所を体調が悪いといって早退していた。
これが幸いしたのだった。三菱造船所にいた方はほぼ亡くなったそうだ。
のちに東京から人が来て後処理に当たったそうだ。

幸いと言っても、上半身裸でいた父は背中を酷くやけどしていた。
やけどによく効くと、後(のち)に嬉野温泉で療養に行った。

ケロイド(やけどの後)はしっかりおじいちゃんの背中にあった。

昼ごはん支度をして外にしゃがんでいた母には爆風が来た側の肘(ひじ)や足の甲にケロイドがあった。

母は、目覚めた後、何度も嘔吐し、水を飲んでは嘔吐したそうだ。

「それが幸いだったのね、街の方の人は見かけは怪我していない人も後から亡くなったのよね。おそらくガスを吸って内臓が傷んだのね。」

続く

生きていること自体が奇跡の連続

2023-08-05 17:00:00 | からだのこと
2023.08.05

アロマセラピストの加藤です
お立ち寄りいただき
ありがとうございます


当たり前に生きているようでも生かされている、
今朝はしみじみ感じました

昨日は股関節術後検診に行きました
可動域チェック中、ドクターが
「いいね、いいね」と連発してくれました

実はわたしは両足股関節が人工関節です
左足が13年前、右足が3年前手術しました
赤ん坊の頃から
左股関節が悪い人生を送っていました
でも、その不自由がわたしの日常だったので、
大変だね、の言葉にピンときませんでした^_^

普段はわからないですが、
冬はチタン製の関節が冷たい

そして、両足が人工関節なので
NG可動域や動作がどっさりです
いまは杖もなく、当たり前のように歩けています

当たり前って、とても奇跡の連続の積み重ね
朝目覚めたら、今日も無事目覚めたね、と思います
全身の細胞がそれなりに動いてくれているから

空腹を感じるのは、健康の証拠
わたしは朝の目覚めがスッキリです
5時間程度で10分です
ちゃんと、睡眠ができない、と悩んでいる方も
多い中、贅沢な生活をしていると感謝感謝です


今日も太陽がキラキラです(ギラギラかな!?)
地球の生きる生物
(人間を含めた動物、植物、微生物)全てが
この太陽の光と熱のおかげで生きています

暑い!ですが、氷に閉ざされるより対応可能では
と、感じます

今朝は風が涼しいと油断して散歩を長めにしました
後半は滝のように汗が〜
いい汗というより、出過ぎです^_^

帰宅後、レモン水でクールダウン中です




今日も各地軽々35℃超えの予報です
沖縄、九州、四国、山陽、山陰方面は台風で
災害も出ていますね

水分補給も含め
みなさまご自愛くださいませ

最後まで読んでいただき
ありがとうございました


***
昨日、帰りの電車の車窓から撮りました
不思議な色、窓のコーティングでしょうか