安曇野へスケッチに行ってきました。
晴れならば、安曇野の山々が見えるのに。
大気不安定で雲多く。
途中、大粒の雨が急に降り出し、残念でした。
久しぶりの安曇野スケッチです。
ちょうどこの位置から、スケッチ。
安曇野へスケッチに行ってきました。
晴れならば、安曇野の山々が見えるのに。
大気不安定で雲多く。
途中、大粒の雨が急に降り出し、残念でした。
久しぶりの安曇野スケッチです。
ちょうどこの位置から、スケッチ。
★フェルメールからのラブレター 展
京都市美術館
フェルメール作品の中から
「手紙を読む青衣の女」
「手紙を書く女」
「手紙を書く女と召使」の3作品が来日そして京都へ。
注目の「手紙を読む青衣の女」は、来日直前にオランダで修復作業が行われたばかり。
蘇った《フェルメール・ブルー》を見てきました。
この3作が一部屋に展示され、あの《真珠の光》の前でゆっくり時間を過ごす。
幸い人がまばらであったこともあり、まさに至福の空間でした。
これぞフェルメールからの贈り物です。
フェルメールの作品を3点揃えるということは、これは大変なことであると思われます。
しかも、それぞれに収蔵する美術館が違うというのに。
さらにこの時期、海外から作品を借りるということは相当難しい。
どのような仕掛けと関係者の努力があったかは解りませんが、
困難を乗り越え実現した感涙する企画でした。
●《手紙を書く女》ワシントン・ナショナル・ギャラリー
●《手紙を読む青衣の女》アムステルダム国立美術館
●《手紙を書く女と召使い》アイルランド・ナショナル・ギャラリー
フェルメールの部屋で妙なことを考える。
《これは、抽象絵画だな》と。
3点とも手紙を読む女性、書く女性を描いているが、人物を描くことよりも、その空間を描くことに並々ならぬ情熱と神経を使っているように思われます。
背景の壁に架けられた絵画をひとつの面として大きく捉え、
机と椅子は画面の中で、安定的役割を果たし、
人物は、その絵画と机を繋ぐ要素として描かれている。
どうしたら安定的空間になるか、人物と光はその手段のように思われてしかたがない。
それほどフェルメールの絵は平面空間の構成の妙が面白いと思う。
人物に感情を惑わされなければ、抽象絵画そのものにみえる。
フェルメールが現在になお光を放つのは、
その抽象的思考を内在しているからではないでしょうか。
彼は、現存する作品点数から、寡作作家と言われていますが、
何故に彼は制作点数が少なかったのか。
計算的には一年に2〜3点のペースである。
熟慮の抽象的思考が彼の制作スタイルであることがその原因ではないか、、、と。
17世紀初頭に生きたの彼の思考に思いを巡らして観ました。
今回修復直後ということもあり、《絵画の色彩》がとても新鮮でした。
よく言われる《フェルメール・ブルー》。
この作品に関しては、それほど魅力的に使われているわけでありませんが、
光の階調がとても繊細でした。
できれば、もう一度、あのゆとりある空間で見たいと思う。
が、果たして、人の少ない時間をキャッチできるかどうか。
あれは、幻の時間だったんでしょうか?
★青木繁展ーよみがえる神話と芸術
京都国立近代美術館
《最初で最後の大回顧展》ということで、
《青木繁》に会いに行った。
彼は真剣に生きたし、真剣に描いたが、
最後は哀れなくらい惨めな作品を描き、
そして力尽きて悔しい最期を迎えている。
つい、会場で泣きたい感情に襲われてしまった。
久留米や東京のブリジストンで、彼の作品は何度も観ているが、
やはり、彼の絵は久留米で観るのが一番いい。
久留米で観るとは、不思議と《明治の力》を感じる。
作品にパワーがある。
さて、今回の京都での《青木繁展》ですが、
何でこんなに、色彩が鈍く汚くみすぼらしいのでしょうか。
僕の記憶にある《青木繁》はかなり鮮やかな色彩を使っているのに。
ある年配(それも相当な)の方が、
白線を超えて作品に顔を近づけて覗き込もうとしたとたん、
監視員より、「白線を越えないでください」
鑑賞者のつぶやき「暗くてよう見えんわ」
作品の保護でしょうが、暗くてようみえない。
彼は地塗りに茶褐色を使っているので、もともとが画面全体が暗く沈みがち。
そこへ、この展示空間、照明。
これでは作品の輝きがまったく伝わらない。
代表作《海の幸》、
かっては、(僕の記憶では)
少なくても海は青く見えたはずだと思うが、、、。
間違いなく、日本絵画史上における傑作のひとつだと思う。
青木は、「高揚感溢れる物語」を20代前半で描ききり、
そしてその時点で、ひとつの大きな山を自覚しないままに越えてしまった。
《天才青木の凄さと悲劇》はそこにあるような気がする。
果たしてこの作品は《完成作品》かどうか、大いに興味ある議論である。
私の意見。
《青木の本質はデッサン家である。
青木はこれ以上描き進められない、
ここで手を止めたところが奇跡である。
天才というのはそういうものかも》
となりの壁面に下絵のデッサンが展示してあった。
キャンバスに木炭で描いたものだが、これが素晴らしく美しい。
力強く儚く美しい。
抽象的でさえある。