本を読んだ。
★無常という名の病
山折さんのお話は京都では2〜3回聴いています。宗教学者が語る美については非常に関心がありました。僕自身が浄土教の世界で育ちましたので、僕にとってはほんとに親しみやすいものです。
この本は、山折さんの講演集みたいなものです。眼の前には聴衆がいますから、飽きないように、時には少しオーバー気味に話を展開しながら、自説を述べています。九つの講演を載せていますが、貫かれているのは、「共生と共死の思想」。連綿として受け継がれてきたとされる自然観や死生感の底に流れる無常観。
寂寥の感覚を早くから知り、まさに放蕩すること、美を享楽することが人生の最大の夢と思った瞬間から僕の混沌がはじまりました。そのことの説明を自分ではうまく語れなかったことが、さらに混沌に拍車をかけての現在です。
山折さんはうまく説明しています。少しずつながら自分の思いと重ねてまとめてみたくなりました。混沌にそれなりのメドをつけたいと思い始めました。
宗教学者山折さんは語る「叙情について」
詩歌とは、呪うべき寂寥の中で生み出されるものだ、まさにそういう孤独地獄の中で紡ぎ出される文学と思うようになり、そのような伝統の中にこそ、叙情性の源流が潜んでいるんいるのではないか。と同時に、そういう孤独な人間を救済する仏教の思想との葛藤のなかにおいても、それは存在するのではないか、つまり、文学と宗教の葛藤の中で生み出されるドラマ、その中にもう一つの叙情性の流れというものが宿るのではないか。
前半部分は自分の中では理解していたが、仏教思想との葛藤という考え方は、僕には新鮮だった。
山折さんが語る「人の評価について」
一つは知性です。インテリジェンス。
二番目はやくざ精神つまり冒険精神。
三番目は、恥じらいを知る心、含羞。
その三つの基準にどのくらいのパーセンテージを割り当てるか。
なるほど、もっともです。
話の中で紹介している句が面白い。良寛さんの二句。
かたみとて 何か残さん 春は花
うらを見せ、おもてを見せて、散るもみじ
仙崖さんの
古池や、芭蕉飛び込む 水の音
これもいいですよ、高浜虚子さんの
虚子ひとり 銀河の中を 西へ行く
うーむ、ある程度は気持ちがすっきりしました。