平安宮朝堂院大極殿跡の桜
794年、都が長岡京から平安京へ遷都されました.
その平安京のメインストリートである朱雀大路は現在の千本通りです。
千本通と丸太町通の交差点の北西の角の歩道に大極殿の説明板があり、
そして、すぐ北側の小さな児童公園 (内野児童公園)の中には大極殿跡の石碑が建てられています。
ほんとに小さな児童公園です。
平安京の面影を示すものは何もありません。
全ては土の中。
住宅地の中の小さな児童公演に、大極殿跡の石碑が建つのみです。
今、桜は満開です。
★平安宮朝堂院大極殿跡について
平安時代、平安京の北部の中央に位置した平安宮(大内裏)は東西約1.1キロ・南北約1.4キロの広さで、その中心には国の重要な儀式が行われた朝堂院がありました。朝堂院は東西約200メートル、南北約470メートルあり、全体が回廊で囲まれていました。その朝堂院の正殿として華麗な大極殿がありました。平安時代の中期から後期になると度々火災で焼失し、1177年(安元3年)の大火のあとは再建されることはありませんでした。