アートインプレッション

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レーピン展作品紹介 作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像

2012-08-30 13:02:53 | レーピン展
レーピン展出品作品より
作曲家モデスト・ムソルグスキー


先日、Bunkamuraザ・ミュージアムにて、亀山郁夫先生による講演会「神か、リアリズムか? 19世紀ロシアの芸術文化における“救い”の探求」の様子をお伝えしました。
今日は芸術は民衆に奉仕するべきであるという考えのもと、「音楽はそれ自体が目的ではなく、人々と語り合う手段なのだ」と語った作曲家、ムソルグスキーについてご紹介します。


出品作品no.46 《作曲家モデスト・ムソルグスキーの肖像》1881年

ムソルグスキーはモスクワから約470キロの距離にあるカレヴォ村の地主の息子に生まれます。
あまりに田舎だったため、昔ながらの風習がほとんど変わらず残っていて、民謡や民話も語り継がれていました。ムソルグスキーは農家の子どもたちと遊ぶのが大好きで、また、乳母が語り聞かせるロシア民話を夜も眠れないほど楽しんでいたと、後に振り返っています。
こうしたバックボーンの影響でしょうか、ムソルグスキーが作曲したオペラでは、農民や市民の心情がとても丁寧かつ激しく描写されています。

その中でも本展と意外な繋がりがあるのが、死の間際まで取り組んでいたオペラ《ホヴァーンシチナ》。
史実に基づいて書かれた大作で、登場こそしていませんが、本展出品作品となっている皇女ソフィヤなど、ピョートル1世の皇位継承をめぐって勃発した動乱が描かれています。
レーピンが《皇女ソフィヤ》を制作したのが1879年、ムソルグスキーが亡くなったのが1881年(未完で亡くなったため、《ホヴァーンシチナ》はその後コルサコフやショスタコーヴィチ等に引き継がれました)。同時代に活躍した2人の芸術家が、まさに同時期に同様の題材の作品に取りかかっていたのですね。


出品作品no.34《皇女ソフィヤ》1879年

さらに、この《ホヴァーンシチナ》制作にあたって、ムソルグスキーに助言や援助を与えた人物こそ、本展出品作品となっている評論家ウラジーミル・スターソフでした。当代随一の芸術評論家だったスターソフは、レーピンの親しい友人でもあり、「ロシア5人組」を最初に「力強い一団」と名付けて擁護した芸術界の立役者でもあります。ムソルグスキーの有名な《展覧会の絵》も、スターソフに捧げられました。


出品作品no.15 《ウラジーミル・スターソフの肖像》1873年

スターソフの助言を受けて、亡くなる間際までオペラ制作に取り組んでいたムソルグスキー。亡くなる約10日前に、同様の題材を手掛けたレーピンが訪れて冒頭の肖像画を描いたことに、亀山先生のお言葉をお借りするならば「革命家世代」の芸術家の濃厚な繋がりを感じます。
後日ムソルグスキーが亡くなったことを知ったレーピンは、ムソルグスキーの肖像画に対してトレチャコフから受け取った400ルーブルをスターソフに託し、葬儀などにあてるように提案しています。

展覧会場ではムソルグスキー以外にも、当時のロシアを代表する人々の肖像画や革命運動をテーマにした衝撃的な作品、温かい家族の肖像など、まさに激動のロシアが凝縮された作品群が展示されています。
日本では初めての本格的な回顧展を、是非ご堪能下さい。

photo(c)The State Tretyakov Gallery
参考:本展カタログ
   「ロシア音楽史I」森田稔・梅津紀雄訳 全音楽譜出版社





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